第9話 ランス帝国:若き皇帝と宰相
物語は、これより少し前に
ランス帝国の帝都アンジュランス。
宮殿にある皇帝の執務室は、帝都アンジュランスを広く見渡せる一角にあった。
今、そこにいるのは皇帝であるカイルと、宰相のオブライエン公爵である。
カイルは22歳。18歳で成人した日に、皇太子から正式にランス帝国の皇帝の地位に就いた。
とはいえ、カイルが幼い頃から後見役を務めていた宰相のオブライエン公爵が常に寄り添い、若き皇帝を支えていた。
「陛下、リオベルデ王国のアレシア王女は来月18歳となり、成人を迎えられます。今こそ、リオベルデの姫巫女であらせられるアレシア様を帝国にお迎えする時かと思い、正式にお手紙をお送りいたしました」
オブライエン公爵は緑の谷に書簡を送ったと皇帝に告げる。
カイルは青みがかったグレーの瞳を細めた。
22歳という年齢よりも落ち着いて見えるカイルは、不安や怖れ、といった感情を露わにすることは滅多にない。むしろいつも自信に満ち、力強く見えるように振る舞っていた。
そんなカイルの中に、かすかな
「オブライエン。言ったはずだ。妃など不要、と」
「しかし、陛下もご存知のはず。王国に王女が生まれたなら、各代で必ず1人、必ず緑の谷より花嫁をお迎えせねばなりません」
「王国に王女が2人生まれた場合、だ。そんな伝統、今の時代に必要だとは思わない。実際、先代の皇后様には、お子はできなかった」
「それでも、この婚姻はその先代皇后様がまとめられ、先代皇帝の遺言にも書かれていることですから。……それに私も個人的に、先代皇帝であった兄上から、あなたのために、くれぐれもと言いつかっております」
その言葉にカイルの言葉がぐっと詰まる。
「確かに、リオベルデ王家に今代いらっしゃる王女は、姫巫女様お1人。とはいえ、王位を継ぐ兄上がいらっしゃいます。王国の姫を迎えるのは、帝国と王国との古い盟約でもあります。姫巫女様をお迎えしなければなりません。皇帝の血を引くお子については……その問題はまた別。必要な手段はいくらでもつけられますゆえ」
若き皇帝を思いやる、帝国宰相であり、カイルの叔父であり、国を愛する献身の人に見えるが。
カイルは青みがかったグレーの瞳で、オブライエンを見つめた。
オブライエンの緑色の瞳には、どんな感情も乗せられていなかった。
ふいっと、カイルは視線を外す。
「私からもアレシア王女に手紙を送っておこう。……7歳で婚約してから、彼女と実際に会ったことはない。1度帝都に来てもらって、顔合わせをしてもよいだろう。もし、本人と合わないようなら、その時に考え直してもいい」
「陛下。そう簡単に1国の王女を送り返したりはできますまい」
そう言いつつも、オブライエンの顔はどこか、嬉しそうでもあった。
「まあ……ここだけの話、陛下のお気持ちはわからなくもありません。陛下はまだお若い。婚約してから1度も会ったことのない他国の王女を
アレキサンドラはオブライエンの1人娘だった。
母親そっくりの赤い髪、オブライエンの緑の瞳を受け継いだ彼女は、豪華な美貌を誇り、確かに公爵令嬢であり身分も随一、「ランスの赤いバラ」と
オブライエンがひそかにカイルの妻にと望んでいるのは、社交界では結構知られた話だった。
しかし、オブライエンの計画していることは、それだけではない。
(姫巫女が嫁いで来るのは防げない。ならば、排除するまで。手元に呼び寄せておいた方が始末しやすい)
自分の目的を達成するためには手段を選ばない、非情な人物がそこにいた。
ランス帝国は、北の外れ、そして東方の国々を除き、大陸のほとんどを
次々に併合されていった国々の中で、リオベルデ王国のみが独自の王を抱き、属国ではあるが自治を保っている。
それはリオベルデの緑の谷に、女神の世界創造の地として、女神を
帝都にも女神を
起伏のある緑の草原と森が続き、緑の川と谷へと変わるリオベルデとは異なり、ランス帝国、とりわけ帝都の周辺は商業的にも栄えた町が多く集まっていた。
郊外に出れば緑の草原も見られたが、そこは広大な平野で、リオベルデの変化のある自然景観とはだいぶ異なっていた。
そんなランス帝国の帝都アンジュランス。
宮殿は町の中心に建てられていた。とはいえ、周囲には計画的に緑が配されていて、けして
宮殿の隣には、女神神殿の分院が建てられていて、そこもまた豊かな緑で覆われた区画になっているのだった。
オブライエンが執務室を出た後、カイルは大きく取られた窓から、外の景色を眺めていた。
遠くに広がる帝都アンジュランスの景色。近くに目を移せば、女神神殿分院に向かう人の波が続いているのが見える。
カイルはしばらく神殿を眺めていたが、ひとつため息をつくと、机の上に紙を広げ、簡単なメッセージを記した。
それからたっぷり5分は迷った後、侍従を呼ぶと、手紙を渡し、さらに何かの手配を言いつけたのだった。
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