回想① 次女イストスの敬慕
物心ついたときから、ウールギア姉さんはいわゆる大人だった。
不満があるからといって泣くこともなく、好き放題に遊ぶようなこともない、子供らしからぬ人だった。
姉として私たちの前に立ち、手本を示す姉さんのことを、私は心の底から慕っていた。
両親が殺されて孤児院暮らしが始まった時のことは、今でもよく覚えている。
当時の私たちは悲嘆に暮れていたが、決して絶望はしていなかった。
姉さんが生き残っていたからだ。
姉さんなら、どんな困難もなんとかしてくれるという信頼が、私たちの中にはあった。
当時を思い返すと、本当に姉さんに頼りっぱなしで申し訳ない気持ちになる。
私もすぐに働き始めたけれど、それができたのだって姉さんのおかげだ。
姉さんがお金を稼いで師匠を用意してくれなかったら、今の私はないと断言できる。
何の準備もなく冒険者として働いていたら、私はあっさりと魔物に殺されていただろう。
姉さんが雇った師匠は、キリオースという名前の壮年の冒険者だった。
白髪交じりの黒髪に無精ひげを生やした彼の姿は、お世辞にも強そうには見えなかったけれど、その実力と人間性は本物だ。
指導が始まった日、私に向かってキリオースはこう言った。
「なぁ嬢ちゃん。俺はこれからお前の師匠として、冒険者としての心得だとか戦う術だとかを教えるわけだが……お前の姉ちゃんが俺にいくら払ったのか知ってるか?」
「知らないです。一度聞いたんですけど、はぐらかされました。お金のことで心配させたくないみたいで」
「なら、お前の姉ちゃんには悪いが俺が教えてやる。金貨十枚だ。俺みたいな一流の冒険者を雇うにはちと少ないが、十二歳のガキにとっちゃ大金のはずだ」
キリオースの言葉を聞いて、私はひどく驚いた。
子供の頃の私は無知で、お金の価値も大まかにしか理解していなかったが、それにしたって金貨十枚が大金だということは分かる。
姉さんの献身は、私の想像を遥かに超えていた。
「お前の姉ちゃんが必死にかき集めたであろうこの金貨十枚、俺はただの金貨十枚だと思ってねえ。少なくとも、俺は金貨百枚は貰ったつもりでここにいる。お前には、それに値する覚悟はあるか?」
「……あるよ。私だって、姉さんに助けられてばかりだってことはよく分かってる。姉さんに恩返しできるなら、どんなことだってやる」
「よく言った。そうこなくっちゃな」
そう言って、師匠はあくどい笑みを浮かべる。
かくして、私の一か月間に及ぶ厳しい訓練の時間が幕を開けた。
最初の方は体力作りが主な訓練内容で、私は都市内の決まったコースを何回も走らされたり、剣の素振りをやらされたりした。
当然のことながら、身体強化の魔法は無しでだ。
当時の私は息を切らしながら訓練をしていたが、隣で同じ訓練をしていた師匠は表情すら変えていなかったのを覚えている。
そんな訓練が一週間続いて、私はようやく剣の扱い方だとか戦い方だとかを教えてもらうことになった。
都市の郊外の空き地にて、やや小さめの片手剣を持った私に師匠は次から次へと指示を出し、身体の動かし方を教え込んでいく。
その日の訓練の終わり頃には、身体強化の魔法を使って全力で師匠と模擬戦をしたりもした。
そうして、さらに二週間が経ったある日のこと、私は実戦へと連れて行って貰えることになった。
実践初日は、近くの森に行って弱い魔物を倒すだけで終わってしまったけれど、その次の日はダンジョンに連れて行ってもらったし、またその次の日は強大な魔物を相手に師匠の全力を見せてもらった。
自分の実力を知り、師匠との力の差を知った。
振り返ってみると、これが私にとって最も有意義な経験だったと思う。
身の程を知ることで、私は戦うべき相手とそうでない相手の見分けがつくようになった。
そして、遂に迎えた最後の指導の日。
私はいつも通り体力作りの訓練をして、師匠に剣の振り方を見てもらって、最後に師匠と模擬戦をした。
結局、最後まで師匠には勝てなかったけれど、今まで一番いい内容だったからそれで充分だと思う。
一か月間全力で訓練をしたところで、師匠に勝てるほど強くはなれないのは分かっていた。
「さて、契約上はこれでお前に色々教えるのは最後になるな。とはいえ、俺はそんなに薄情な男じゃねぇ。時間があったらいつでも相手をしてやるから、気が向いたら俺のとこに来るといい」
「いいんですか?」
「ああ。俺みたいなおっさんはな、可愛い弟子の成長を見られるだけで嬉しいもんなんだ。そんでもって、お前は俺に想像以上の成長ぶりを見せてくれた。それだけで報酬は十分だ」
最後の最後に、師匠は少しだけ微笑んでそう言った。
そんなわけで、一か月間の訓練が終わった後も私と師匠の関係は続いている。
今となっては、姉さんに次ぐ恩人だ。
あれから十年の時が過ぎ、師匠がますます衰えたこともあって、私はポリス商業都市において最強格の冒険者になった。
自分で言うのもなんだけど、膨大な魔力によって自身を強化して、師匠仕込みの剣術で戦う私に勝てる奴はあまりいない。
姉さんに助けられてばかりで無力だった少女は、強くしたたかに成長した。
……昔から、ウールギア姉さんはいわゆる大人だった。
どんな困難に直面しても、妹たちに心配をかけさせまいとする人だった。
自分一人で問題を抱え込んで、勝手に解決してしまうような人だった。
そんなあの人のことを、私は心の底から愛している。
だから、次に姉さんが乗り越えがたい困難に直面したときは、私が無理矢理にでも助けるんだ。
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