夢忘失病

色音

短編

「あなたは夢忘失症です」

体調が悪いわけでもなく顔色がおかしい。

そんなわけでもなくただなんとなく心臓とはまた別の…。

それこそココロというものに穴が空いたような、大切な神水のようなものがすり抜けていったような。そんな雲の上で踊り出すような気分に恐怖を覚え、医者に似た何かを尋ねたがどうやら無駄足だったらしい。

「……夢忘失症?そんなの聞いたこともないですよ?一体全体なんでしょうか?」

「えぇないですね。そんな病」

やはりヤブだったのか。

適当に街を歩き精神科と書かれたここに吸い込まれるように入ったのは間違いだったと思い返し自分の選択を悔やむ。

「今まではね」

医者に似たナニか(ここではヤツと呼ぶ)は、白紙のカルテのような紙を片手にレンズの入っていないメガネをスッと直しながらこちらを覗き込むようにしながら続けて口を動かした。

「貴方は精神的に不安定なんですよ。常にね」

「ずいぶん直接的ながらに曖昧な表現ですね」

「幼少期の頃から感情の浮き沈みが激しいと個人で感じたことや周りから言われた経験はございませんか?」

ヤツは僕の言葉を完全に無視し言葉を繋ぐ。

「いやぁ……。ありましたかね……?」

「そんなの私には分かりませんよ」

なんと医者らしくない言葉選びだろうか。

そんなことを思いつつもヤツには言わずに僕は深く思考を巡らせ旅を始める。

時計の秒針が半分ほど時を刻み込み、ヤツは黙って白紙のカルテを見つめる。

そして僕が口を開く。

「あぁ周りからは言われたかもしれませんね」

「あぁそうですか」

「……それだけですか?」

「もちろんですとも。今回の症状とは関係ないですからね。」

「真面目にやってくださいませんか?」

「いやぁ……何せ今日誕生した病ですので経過観察と質疑応答的なことしか思い浮かばなくてですね」

「困りますね」

「困りましたね」

なんとまぁ適当な医者もいたものだ。医師という言葉を使うのも憚られるような医者は一定数存在するのだろうが、おそらくそれらの最高峰にヤツは立っているだろう。

そんなことを考えながらも部屋では時計の音だけが鳴り響く。

確実に。

今。

この瞬間。

刹那の間にも残酷非道ながら時間だけはこの世界で進み続ける。

そういえばどこかの賢い学者が「時は空間と次元ごとに存在している」とかなんとか話をしているというのを聞いたような……。

どこに逃げても時間だけは変わらずに周りも動き続けると……。

なんとも現実に徹している理論だと……。

「夢忘失症という名前気になりませんか?」

あまりの静けさと進展のなさに飽きたのかヤツが話し始める。

「不思議な病名ですけど、なんとなく馴染みがあるような気がしますね。」

僕はなんとなくその場しのぎのような言葉でヤツの言葉に耳を傾ける。

「まぁその名の通り夢を忘却して失った気分になるような……まぁそんな症状のような感じですね」

「そのまま……なかなかに’らしいですね’」

「ですね……」

再び診療室が静寂を迎い入れる。

病名の由来を耳にして夢なんてあったかと、自分の今までの人生を振り返る。様々な夢を持ってきては捨ててを繰り返す。そんなしょうもない人生であったことを今強く感じる。そして、僕自身にそんな評価をつけてしまう自分の考え方に嫌気がさし、またまたココロの穴を広げる。

それでも決して昔から今にかけて持って捨て去った夢を思い出すこともできないし思い出そうともしない。それらを想起してしまったらまた自分がどこかへ浮いて行き死地を漂ってしまう気がするからだ。

そんなことを考えていると、これこそが夢忘失病なのかと考え煽られたようにヤツに解決策を聞くために口を開く。

「この病は治らないんでしょうか?一生こんな喪失感を味わいながら僕は生きていくのでしょうか?」

よくわからない気持ちに恐怖を覚えたように先ほどの思考を思い出すだけで不安が募り当てにもならないヤツに問いかける。そんな自分自身がもはや弱々しく。脆弱で嫌いになってしまいそうだ。

「治らないですね。むしろ治してはいけない気すらしますね」

「そうですか……」

再び静寂が訪れて僕をさらに不安にする。

そしてさらに今まで経験してきた挫折や努力や希望、夢、恋などと共に、今の空疎な生活を振り返りココロが張り裂けそうになる。

「どうしても治らないんでしょうか?」

不治の病であるとともに治す努力すら許されない。こんな馬鹿げた状況に楽観的でいられるわけがない。涙ながらになんとかしようと訴えかけるもヤツは首を横に振る。

それでも、目の前にいる’医師’になんとかしてはもらえないかと自分の願望を強く訴え続けるがひとまず医者の見解を聞こうと必死に悲観さを抑え質問する。

「……何にせよ、治してはいけないとはどういう意味でしょうか?」

「いやね?治す過程で何か別のものを失うかもしれない。いわゆる副作用的なものがあると考察できるのでね?やはり大病での副作用はそれなりに危険でリスクが高いわけですよ」

「治せるならリスクがあってもいいじゃないですか?」

「……果たしてそうでしょうかね?」

「え?副作用って吐き気とか……ですよね?」

「いやいや、何をおっしゃいますか。抜け毛や失明ひどい場合消え入ることすら副作用としてこの世の中では受理されていくことすらあるのですから。副作用を舐めてかかってしまってはいけませんね」

「なるほど。ですがこの不安感のようなものに毎日かられて生活するなんて僕には難しいですよ」

とても耐え難く途方も無いこの気持ちとこれから毎日向き合って僕は生活しなければならないのだろうか。

「そこまでいうなら……」

「直していただけるんですか!」

「いやぁもとより治るものではないので……」

「ではどうすればいいんでしょうか……!」

希望を見せるようで見せないなんとも言えないやり取りを繰り返し悩ませた素振りを見せる医者は悩みを振り払い淡々と告げた。

「では、飲み込んでください」

「は?」

「今のこの状況を貴方は飲み込んできてここまできているわけです。それはお分かりですか?」

「それは……つまるところ、どういった意味でしょうか?」

わけもわからず思考すらままならない僕の頭が今この瞬間真っ白になりリセットされる。

「つまりですね。貴方は私に夢忘失病など大層な名前を勝手につけられ静かな間で思考を自分なりに巡らせここまで様々な感情の起伏を繰り返しわけが分からずじまいになったわけですね」

「つまり僕のこの状態は虚構であると?」

「いいや。何も虚構とまでは言いませんとも」

なんとも周りくどい説明だろうか。

「端的にいうと病気ではない。誰にでもある感情の浮き沈み、それだけです。」

「……え?」

「そんなわけない?ってお思いですか?」

そういい目の前の医者は話を続ける。

「いいですか?夢を持ちそれを忘れたりふとした瞬間にそれを捨てるというのは誰しもがしていることです。そして、過去を振り返り後悔をする。これも至極真っ当で当たり前のことです。感情の起伏があるのも人間として普通のことです。ただ貴方は不安・恐怖に支配され正常なのにリスクすら気にも留めず私に助けを求めた。それだけのことです」

「…………。」

なんてヤツだろうか。正常とも伝えずに不安を煽り仮にも患者である僕を陥れようとしたのだろう。

「貴方はとんでもない医者だったようですね!」

そう吐き捨て僕は診療室の扉を開けて足取り早くその建物から飛び出てきた道を戻り疲れ切った体を休め、また普通の生活に戻る。

友達に少し奇妙な話として内容を少し面白おかしく共有し話を楽しむ。

ふとした帰り道に例の道を通り横目に見てやろうと思ったがどうも見当たらず子供が遊ぶような草が少し生い茂る空き地が2個ほどしか写らなかった。

どうせヤツのことだ顧客を獲得できずに潰れたのだろう。

そんなふうに考えるがあそこでのやり取りを独りになるとふと思い返すことがある。それほどまでにあそこでの体験は新鮮で腹が立つも刺激的であったのだ。

同時に夢というものも考える。そして今日という日も独りココロというものに穴が空いたような、大切な神水のようなものがすり抜けていったような。そんな雲の上で踊り出すような気分に恐怖を覚えず夢忘失病とやらに酔いしれて眠りについた。



                                   ー完ー


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