小学生 前編

「……」

 手帳を読み終えたオレは静かにそのページを閉めた。

 隆文はもうこの世にはいない。死体は寄り添う形でいたそうな。だから、きっと後悔などはしていないのだろうな。

 オレは黙ったままその手帳を藤田さんに返却した。

「おう、もういいのか?」

「はい。なんだか、よくわからなくなってきました。これも、「愛のかたち」というものですか?」

 藤田さんは手帳をしまいながらうーんとうねっていた。

「まあ、色々なもんがあるからな。どうだろうな。わからない。ただ、俺にはできないことではあるのは間違いないな」

「……」

 オレは押し黙っていた。

「まあ、人それぞれってやつだ。あんまり気にすんな」

「まあ、そういうもんですか……? オレは恋愛とかはしたことがないからわからないので」

「参考にはできないだろうけどな。でも、お前には愛華ちゃんがいるじゃないか。付き合っているんだろう?」

「いえ。付き合っていないですよ。……ただ、告白はされましたが」

「ほう。いいじゃないか。青春してるね。だけど、ふったんか? それでも、仲良くいるけどな」

「いや、返事を先延ばしにしているんですよ。そういうの本当にわからないので」

 オレはそのまま言葉をつづけた。

「好きとかそういうのってわからないんですよね。それがどういうものか、それに対してどのようにすればいいのかがオレにはわからない。理解できない。愛華に対してはそれは、ほかの人とは違う何かがあるのはあるとは思うのですが……でも、それがなにかがわからない。オレが愛華に対してあるものは……なんでしょう? 責任でしょうか? オレはあいつに対していろんなものを捨てさせてしまった。そういう道を選ばせてしまった。その責任がオレにはあるので、それに応えなければならないと思っているんです」

「だから? 付き合うっていうのか?」

 オレは首を横に振った。

 藤田さんは小さくため息をついた。そして、オレの肩にそっと手をおいた。そして、目を見てこう言った。

「そういうのは付き合っても意味はない。そういう気持ちならきっぱりとふってしまえ。そうすればお互い楽になる」

「でも……」

「いいか? 幸司くんはさっき「責任」っていったんだ。だけど、それは違う。お前が愛華ちゃんに抱えているのは責任ではなく、義務感だ。こうしなければならないっていう、なにかに強制されているものを感じているだけだ。そこに恋愛なんて最初からありはしない。ただな、まだ迷っているということは自分のその感情に違和感があるってことだ。それがそのはき違えているところだ。しなければならないという強迫観念は捨て去りな。というか、高校生の恋愛でそんな深く考えることなんかないんだよ。いいな、ちょっと好きかも、付き合おう。飽きたんで別れましょう。そんなドライなもんだよ。子供の恋愛なんてもんはそんなもんで十分だよ」

 長く話した後、髪の毛をかきむしって、天井を見上げた。そのあとにまたオレの目を見ていった。

「お前たちを見ているとなんだか、お似合いな感じはするさ」

 そう言って立ち去ろうとした。

 それを止めた。

「どうしたらいいんですか?」

「だから、深く考えんなって話。結婚するわけでもないんだからさ。若いんだし、付き合っちまえよ。それから見つかる答えっていうのもあるさ。まあ気を付けて帰りな」

「あの……」

 踵を返して帰ろうとしていた藤田さんを呼び止めた。ポケットに手を突っ込んで肩をすくめて「どうした?」と返してきた。

「奥さんに対してはどうだったんですか?」

「ちょ……恥ずかしいこと言うなよ」

 少し顔を赤くして首を横に振った。にやけづらになっていった。

「もう覚えてないよ。出会ったときはそれこそ、好きだなっと思ったからだ。でも、今は違うな」

「どういうことですか? 好きじゃないってことですか? そこに愛はあるんですか?」

「CMみたいな言い方をするな。そうじゃない。違う形に変わったって言ったほうがいいのかね。うまく言葉では説明できないけど。男女の恋愛っていうやつから家族愛ってやつに変わったとかそんなんじゃないか?」

 後半が適当な物言いになっていった。

「普通の恋愛と結婚の違いっていうのはそこに「責任」というのがあるかどうかということだ。これから何十年一緒に生きていく決意と責務。もう一人の人生を背負う覚悟があるんよ。そこに違うかたちの愛ってもんじゃないか。なんか恥ずかしいな」

 照れ隠しに笑った。

「最近さ、なんだか主人とか夫とか妻、嫁、家内だとかそうした呼び名がよくないとかいう馬鹿馬鹿しい、本当にアホ臭くて馬鹿臭い風潮があるけど、それでそうした呼び名をまとめてパートナーとかそんなんに言い換えて使用するとかあるけど、バカバカしいけど、凄くバカバカしいんだけど……」

「どんだけ嫌いなんですか」

「とりあえず、でもなパートナーっていうのは言いえて妙というやつだな。あながち間違いではないんだよなとは思う。パートナーというか要するに相棒だよ。人生のな。何十年と、死が二人を別つまでずっといい時もつらい時もどんな時もお互いを支えあって生きていく。そうした自分の人生の相棒を作るのが結婚じゃねぇかなとは思ってるんだよ。そこには尊重と責任というのが存在する。そこには恋愛とは違う「かたち」があるんじゃないかね、と持論であるわけよ」

 頭をかいた。

「だからな、さっきからもうずっと結論を言っているが、とりあえず、付き合ってみれば? そこから始まる何かがあるっていうもんよ。そうして、こいつのために自分の一生をかけて……とかまあそんな重くなくてもいいが思ったら……ていうか行き過ぎたアドバイスだったな。とにかく、若者の恋愛は本能のままでいいんじゃないか? はい。以上。疲れたわ。やになっちゃうよ、ホント。じゃあな。気を付けて帰れ」

 藤田さんはすごくしゃべって、急に話を断ち切って立ち去って行った。

 一人残されたオレはどうしたらいいのかわからなくなった。とりあえず近くにあったソファーに腰を下ろした。

 手を組んで足を大きく開いて投げ出した。そして、白い天井をぼんやりと眺めた。

 付き合うってなんだろうか。恋愛って何だろうか。

 愛華は自分の「目」をかけてまでオレに求愛してきた。

 責任……義務……。恋愛……結婚……。「かたち」……ますます頭の中が混乱してきた。霧が濃くなっていき、目指すべきゴール地点がますます見えなくなってきた。

 オレはどこへ向かえばいいのだろうか。教えてほしい。

 ただ、これだけははっきり言っていいだろう。

 オレにとって愛華はほかの人とは違う特別な存在、人、女性であるということ。これは間違いがないのだ。

 なぜなら、オレが昔から抱えていたトラウマ……コンプレックスといってもいいのだろうか。どちらともとらえることができるものは愛華に対峙した際にオレを襲わない。

 そう。オレはとあるコンプレックスをもっていた。それは、女性に対して抱くだ。このというのはどう形容したらいいのかがわからない。でも、これが楔となってオレを苦しめているのは間違いない。

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 それはあの日から……。


 あの時は確か小学校4年生くらいだったか。10歳の年のころのお話だ。その時のオレの話だ。

 オレは当たり前の小学生の男子だった。どこにでもいる普通な、平凡な、凡夫な。そんな少年だった。成績も普通で、運動はまあ、普通で。友達とも仲良くしていた。放課後になったら、友達の家でカードゲームとか家庭用ゲーム機とかで遊んでいた。

 17時頃になると友達の家を追い出される。夕飯があるから、ということで。そろそろ親御さんが心配するから、とか。でも、オレにとってはそんな忠告は無意味だった。でも、友達に迷惑はかけれないので、そのあたりの時間になったら、素直に帰っていた。

 夕焼けがさす道を一人静かに歩いていく。

 オレは家なんかに帰りたくなかった。

 もっとだれかと一緒に痛かった。

 それもそうだ。家に帰っても親なんていないんだから。常に一人なんだから。

 ただいま、といってもシンと静まり返った何もない箱モノの家。そこでオレは一人で過ごすのだ。宿題をしたり、ゲームをしたり。その時の親は早くても18時、遅くても19時くらいには帰宅していた。その時にスーパーのお弁当を買って帰ってくる。それをありがたく、おなかをすかせてずっと待っていた。そして、それを受け取り、会話なんかはせずに一人でほおばっていた。

 親との静かな空間が怖かったため、テレビをつけてその音でこの感情をごまかしていた。

 友達の話を聞いていて、これはテレビとかでもそうだが、うらやましいなとずっと思っていたことがあった。

 オレはこんなスーパーの弁当をおいしいおいしいと食べていたのだが、本当は親の作る手料理を食べたかった。イメージは食卓で家族団らんと、運ばれてくる料理を食べる。今日はなにした、明日はなにがある、とか天気とか成績とかくだらない、どんなはなしでも、家族の話をしながら、温かい夕飯をいただきたかった。それが小学生のオレの夢だった。

 親は仕事で疲れているのか、何かを話をしようとしても、いつも機嫌が悪そうだった。たまに聞いてくれる時もあるが、もう疲れたからといってすぐに話を打ち切る。

 オレは自分の抱く微かな夢が遠いもので、その理想に近づくことはできないのだとあきらめていた。

 寂しいとは口にできなかった。してはいけないものだと思っていた。だから、ずっと口を閉ざしてきた。それは今でもそうだ。それが当たり前だと思っているのだから。

 そんな毎日を送っているときにオレはある人とであったんだ。

 いつも通りに友達の家で遊んだあとに一人で家路についていたところだった。

 とあるお姉さんにであった。

 確か、財布だったかな。それを落としてしまったということで困っていた。それをオレは心配になって一緒になって探したのが出会いだった。

 大人の女性。歳はいくつだったんだろうか。わからない。20代だったとは思うけれど、詳しくは聞いていない。

 茶髪のロングヘアーで、キラッと光ったバックにぴっちりとしたワンピースを着ていた。

 オレはその女性の財布を見つけてあげた。それが出会いだった。

 その女性はオレをほめてくれた。優しくしてくれた。すごいねって、ありがとう、って。いっぱい言ってくれたんだ。親には一度も言われたことがなかった。だからうれしくて仕方がなかった。

 その女性はオレに対してお礼をしてあげるって言ってくれた。内容はどうするかって話しになったときにごはんは? と聞かれた。そしてオレは親は遅くまで帰ってこないから……馬鹿正直に答えた。

 それを聞いてすごく心配してくれた。まるで自分のことのように。オレは自然とこの女性に心を許していた。親にない温かみがこの女性にあったから。

 そして、ハンバーガーをおごってくれた。

 オレは夕飯というのには早いがそれを誰かと食べるのが夢だった。本当は両親と食べたかったけれど、でも、この女性はオレにすごく優しくしてくれた。食べながらいっぱいお話をした。それこそ、学校のこと、仲のいい友達のことや勉強の話とか、くだらない些細なことをたくさん。

 それを一切嫌な顔をせずに聞いてくれた。

 オレはそれが楽しかったんだ。

 女性はもしよかったらまた遊ぼうといってくれた。

 女性はオレの気持ちがよくわかるって言ってくれた。自分も子供のころは親はいなくて、ずっと独りぼっちだったって。寂しかったって。一人は嫌だよね、って。オレの気持ちを全部理解してくれていた。

 仲間がいると思った。オレだけじゃないと思った。暗い世界の中で見つけた一つの希望という名の光だった。

 オレはそうして、その人と遊ぶようになったのだった……。


 オレはその人とは暗くなるまで公園で遊んでいたりしていた。毎日というわけではないが、その人が仕事とかがない時によくしてもらっていた。オレは人のやさしさというものに飢えていたのかもしれない。だから温かみを感じることができたのかもしれない。

 時々家にもお邪魔していた。アパートの一室で、ワンルームの狭いところであったが、そんなのは気にすることはなかった。

 ゲームも置いてあったので、そこでカートとかスマッシュとかをした。友達といるように感じた。

 この人はオレにとって欠かせない存在となっていったのだ。

 オレは暗くなりそうになると、時々駄々をこねていた。家に帰っても一人なのだから。寂しくてしょうがない。

 その旨を伝えると、同情してくれた。頭を撫でてくれた。

 何か心配事や楽しいこととかあるとその人に話をした。親に話しても何も帰ってこなかったが、この人は相槌を打っていつでも話を聞いてくれた。

 途中からは家まで送ってくれるようになった。

 この人の存在は親には内緒だった。教えてはいなかった。そもそも、興味がないのかもしれない。

 オレはその人に信頼を寄せていた。親の代わりといったら過言だが、そう、まるで姉弟みたいな。そんな感じのことを想っていた。

 そんなある日のことだった。

 オレはいつも通りにあの人の家に遊びに行ったのだった。

 その時の、あの人の様子が少し変だった。

 なんというか、オレを見る目が少しおかしかった。

 いつもはそこまでではなかったのだが、いやに体を触ってきた。最初は頭だったのだが、肩、胸、腰……とどんどん下へ下へと向かっていったのだった。

 オレはなにが起きているかが判断できなかった。ただ、「何かいけないこと」が起ころうとしている、そういう危機感を感じたのだった。

 最初はおふざけ程度かなと思っていたのだ。そうくすぐったい、とか軽くやめてよ、というくらいだったが、だんだんとエスカレートしていき、それに歯止めがきかなくなっていったのだった。

 オレはいきなり押し倒されると馬乗りにされる。女性の体とはいえ小学生の子供にとってはその圧は相当なものだった。

 身動きが取れないオレはあの人をおびえた目で見つめていた。あの人は野獣のような眼光だった。これから獲物をしとめる、そんな肉食獣のような目だった。さしずめオレはそれに狙われる草食動物といったところだろうか。

 頭を覆うように撫でられる。そして、頬を包まれる。しばらくオレのその表情をとろんとした瞳で見つめた後に顔を近づけていった。

 オレは抵抗できなかった。いや、これから起こることを予想ができなかった。だから、じっとしてしまっていたのだった。

 唇同士を重ね合わせる。これはたまに漫画とかドラマとかで見たやつだ。好きな人同士でしかしてはいけない、行為。それが今……。

 柔らかくて、とろけそうな程の今までに感じたことのない斬新な気持ちよさを感じていた。しかし、それと同時にこれはしてはいけないという罪悪感を抱いていた。そして、信頼を寄せていた人に対する恐怖が徐々にたまっていたのだ。そして、口の中に舌が入っていった。温かく、なめらかで、他人と自分の唾液が綿密に混ざり合う。まるで別の生き物が暴れているかのような感覚だった。そして、その得もしない感覚に脳がマヒしていく。

 あの人の手がするすると下腹部へと延びていく。

 無意識だった。いつの間にかオレのあれが隆起していた。幼いころから不思議だった。無意識に大きくなっていた、恥ずかしいもの、それが今起きてしまっているのだから。

 それをその人は撫でまわした。そして軽く握りしめた。

 オレはだめだとそう直感した。暴れた。逃げようとした。直感でこれ以上してはいけないんだ! そう悟り、あの人から逃げようとした。

 その時だった。怒声を浴びせられた。そして、パシン! と頬を叩かれた。その箇所が遅れてジンジンと痛み出していった。泣きだそうと、わめこうとしたとき、もう一度叩かれた。オレは顔を殴られまいと腕でガードしたが、今度はおなかを殴られた。反射的に腕のガードを緩めてしまった。そして、隙ができた顔をもう一度たたかれた。さらに追撃として握りこぶしをつくり、それをこめかみあたりに向かって放たれた。


「クソガキ! 喚くと殺すぞ!」


 オレはそう脅された。オレは自然と涙が出た。恐怖で顔をにじませた。ここはまるで地獄の様だった。地獄のような時間だった。その場から逃れたいのにもかかわらず、恐怖に支配されて何もできなかった。

 そして、オレはなすがまま。あの人の性欲をぶつけられたのだった。


 すべてが終わった。あの人は満足してオレをそっと抱きしめたのだった。大きな乳房に包まれたオレは何も感じることはできなかった。ただ、ようやくあの恐怖の時が終わったのだと安堵していた。あの怖かったあの人が元にもどった。それが安心だった。

 あの人はごめんねと謝っていたがオレは何も言えることはできなかった。なにかまた変なことを言ったら、暴力を……そう思うと何もできなかった。

 オレはずっと恐怖をいだいていた。あの人はずっと気持ちよさそうに嬌声をあげ、動き楽しそうにしていた。でも、それに対してオレはおびえていた。この人だけではない、女性という存在に対して、大人がひそかにしている行為に対して。

 オレはトラウマを植え付けられることとなったのだった。

 裸で抱きしめられているオレはどこからか来る頭痛と吐き気に悩まされていた。そして、握られる手は震えが止まらなかった。

 そんなオレを知ってか知らないか、たぶん気にしてないだけだろうが、あの人はオレに対して昔の自分を語っていくのだった……。

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