第2話 学校にて

 帰宅したオレはまっすぐと自分の部屋に向かった。部屋着に着替えて、そのままベッドへ倒れこんだ。仰向けになり、何もない真っ白な天井をぼんやりと眺めた。頭を働かせる気力すらわかなかった。このまま眠ってしまおうと思ったのだが、むかつくぐらい冴えてしまっていた。

 頭も体も疲れ切っているはずなのに、どうしてこうもねむれないのかなと、自嘲する。机に置いていたスマホがしつこく音を鳴らしていた。それもオレの眠りを妨げる一因になっていた。自室にいても落ち着かないので、オレはスマホを置いて、リビングへと向かった。

 両親はいない。もちろん死んでなんかはいない。ただ、二人とも仕事でいないのだ。机に置かれているものを見て、オレは嘆息した。千円札がぽんとおかれていた。これもいつもの情景だ。これで夕飯でも買って一人で食っててという事だ。本当にいつものことだ。

 オレはその紙を取り、何を食べようかなと熟考してみることにした。

 この家は2階建ての平均的な家だ。家族はオレと親の三人だけ。兄弟なんていない。両親はいつも仕事で家を空けることが多い。だから、こんな空間に一人でいることが多いのだ。平均的な広さといっても、狭いと感じる人もいるかもしれないが、この家は海のように広く、深海のように深く暗い。何もない。そんなところで一人でぽつんといるのだ。

 両親同士も仲がいいとはわからない。会話なんてしている所を最近見たことがない。寝室も別だし、どこかへ出かけたりするところもみたことがない。昔はそうだったかなぁと思い巡らせても思い出せない。

 一つの壁が冷たく分け隔てられている。

「愛華……」

 オレは無意識のうちにつぶやいた。

 オレにとっては彼女がまぶしい。温かいと感じる。だが、昔は彼女自身もひどく凍えていた。オレと何も変わらない。

 オレはとりあえず水だけを飲んで自室へと戻った。 

 独りぼっちの家。家族はいるはずなのにどこはかとなく感じる他人のような距離感。ひどく冷酷で冷淡なこの家には家庭という言葉は似合わない。ただの箱庭だ。

 こんな雪国のように白く寒く凍えるこの箱庭に愛華が願う家庭という温かさはどういうものなのだろうか。もし仮に愛と幸せというものにこの温もりというものがあるというのならここには一切ないと断言できてしまうだろう。



 愛華のことは一部しか知らない。そもそも半年以上の付き合いでしかない。それなのにもかかわらず、彼女はオレの事を心から慕ってくれていると、そう感じる。まあ、そうでなければ告白なんてしてこないだろう。

 オレは悩んでいる。それはなにか。オレに愛華の「愛」というのを受け止めることが出来るのか、いや、していいのだろうか。

 一種の罪悪感が心にひしめきあっており、どす黒いそれがオレの心を蝕み、彼女の心を拒否しようとしている。

 その正体とはいったいなんなのだろうか。

 わかっているのだろう。自分では。

 彼女の生活はこの半年でがらりと変わった。持っていたもののほとんどを失った。失わせるきっかけを作ってしまったのは、オレがきっかけだ。いや、オレの所為といっても過言ではないか。

 あいつは今、祖父母の家に住んでいる。前は父親と住んでいた。一緒の学校にも通っていたが、退学した。そして……。

 オレはあいつの「愛」というものを受け止めることへの自信がない。資格がないのだ。


――私は死にたいんです。だから、放っておいてください。


 会って初期の頃、彼女はオレにそういった。凍てついた眼をしていた。生気が通っておらず、抜け殻のようだった。身も心もボロボロで、この世界に対して憎悪を抱きしめ、それを抱いて身を飛び込ませようとしていた。

 そして、オレは彼女の物を奪い取ってしまった。いや、捨てさせてしまった。

 それなのにもかかわらず、彼女はどうだ? オレを一切合切恨む様子などない。むしろ、これはオレの知りたい、この上ない愛情、幸福というものに満ち満ちているのだ。

 もぬけの殻であった彼女は生気を取り戻し、一人の人間として地に足をついて立っている。

 オレにとってそれが不思議でならない。いや、まあ……境遇を考えればわからなくはないか。

 彼女がオレに対して送ろうとしている「愛」と「幸せ」とは一体何だろうか。

 オレが彼女に抱いている感情は、しいて言うのならば「罪悪感」というものだ。もしその類義語がそれらだとするのならば、言いえて妙だな。

 オレは中途半端に彼女と接してしまった。だからこその「責任」がある。その「責任」というのがオレをこうも悩ませるものなのだろうか。



 翌日だ。オレはいつも通りに学校へ行き、のんびりと退屈な授業を受けて、友達と他愛もない話をして、過ごしていた。

 この間でも、スマホからは相も変わらず名前も顔も知らないだれかさんから無数のラブコールが届けられていた。

 こいつもこいつでよくもまあ飽きないものだ。しかしながらこういうのも‘愛のカタチ‘というものなのだろうか。理解できるようでできない。いや、全くできない、か。ただ、頭ごなしに否定するのはよくはない。だから、しばらくは付き合っておこうかな、と思う。

「さて。君はどんな思いでお過ごしかな」

 通知がカンストしてしまうレベルでたっくさん届いている。

 中身は……オレの様子をうかがっているような内容ばかりか。特筆するようなことがないほどの中身がない文面ばかりだ。

 しかしわからない。オレは向こうの事は何も知らない。向こうもそれを認知しているはずだ。それなのに、様子を窺ったり愛の言葉を無数に投げかけたりとしても、それが届くものなのだろうか。アプローチをしたかったら、存在のみの認知というよりも自分自身の全体を相手に認知させるのが優先されるべき事象ではないのだろうかと思う。

 愛華に相談するのもそうだが、やはりここは友人に訪ねるべきであろう。いい話のネタになるのだろうか。


「なあ、聞きたいんだけど」

 学校の昼休みの時間に、オレは友人に訪ねてみた。オレは購買で購入したパンを食べながら友人である鷺宮さぎのみや隆文たかふみに尋ねた。

「なんだよ、藪から棒に」

 隆文は親からのお弁当をお昼にしながら嘆息した。

「うーん……なんていったらいいのだろうか」

「なんだよ、歯切れが悪いな。もしかして、あの後輩の、たしか……ごめん、名前が分からないけど、あの子のことか?」

「まあ……」オレは名前を言わなかった。「実はな、最近ストーカー被害にあってんだよね」

 隆文は予想していなかった言葉に食べていたものを噴き出した。「汚いな」と注意はしたが、そこまで怒ってはいない。咽て水を飲んだ。オレは口をへの字に曲げてため息をついた。

「わるいわるい。いやいや、そうなのか。ちょっとよそうの斜め上が来たからびっくりしちまったんだ。ところで、どんな風な被害なんだ?」

「うーん……直接的ではないんだが、メールがずっと続いている感じなんだ」

 そういってメールを見せた。中身は愛華に見せたのと大体変わらない。だが、送られてきたのは今日のものだ。

「ちょっと拝見させていただこうかな」

 隆文はスマホを拝借した。

 隆文に見せた内容は朝から今の内容を見せた形になる。「おはようございます」から始まって、「今日は弁当を作ってきました」とかそういう内容で、「今日はいつもより早めに登校するんですね」とか「いつもと違う靴はいているんですね」など、朝の行動を監視している内容から「休み時間何していますか? 私は今ずっとあなたの事を考えています」とかなんとか中身のない内容を送って、「お弁当は食べてくれましたか?」とかなんとか。

「……」

 隆文はメールの内容を眉間にしわを寄せて凝視していた。苦虫を嚙み潰したような顔をしながらスマホをオレに返却した。

「きもいな。一方的に送ってきて、何が楽しいんだかな」

「そうだな」

「ところで、その弁当っていうのはどうしたんだ?」

「あー……捨てた」

「中身はどんな感じだったんだ?」

「それすらも見てないよ。そのまま家のゴミ箱に……」

 オレはハッとした。そういえば愛華にこのことを相談した際に明らかに会話を聞かれていたなと気が付いた。もしかすると、このクラスにいるのか? と疑心暗鬼になってしまった。もしそうだとすると、この会話も聞かれてしまっているのではないか、と訝しく考えた。

「なんだよ……」

「いや、まあ……お前はストーカーの気持ちってわかるか?」

 隆文は嘲笑した。何を馬鹿な質問をしているのか、と。そんな顔をしていた。

「わかるわけないじゃん」

 そう一蹴した。

「そうだな」

 オレはため息をつきながら何度も頷いた。

「幸司には好きなやつとか彼女とかいないのか?」

 そう言われてまず愛華の顔が脳裏に浮かんだ。だが首を横に振ってそれを打ち消した。「いないな」と否定した。

「そうか。あれ? あの、後輩の子は?」

「後輩は後輩だよ。ところで、お前は彼女いるだろう? オレとちがって経験豊富じゃないか。だからこういう恋愛事情も詳しいのかなと思ったんだけど」

「経験豊富って言い方……そう、でもなぁ俺の彼女めちゃくちゃ可愛いんだよ」

 そう言って写メを見せてこようとする。オレは変なスイッチを入れちまったと後悔した。

「もうしっているからいらない」

「もう。本当にな、俺にはもったいないぐらいのかわいい子なんよ。頭もよくて気も使ってくれて、才色兼備! 大和撫子!」

「はあ……」

「この前なんてさ、デートにいったときそれこそお弁当を作ってくれて、それが滅茶苦茶おいしかったんよ。なにやっても完璧で愛おしくてたまらん。俺はこの子の為になら死んだっていいよ」

「……」

 オレはもう話を頭の中に入れる気が一切なかった。

「あの子の事なんて呼んでるか知っているか? 天使って呼んでんの。マイエンジェル」

「あーはいはい。天使ちゃんね。いいと思うよ」

「お前適当に言っているだろ」

「まあそうだな」

「なんだよ。人に物事聞いてきたのはそっちだろうに。失礼な奴だな」

「まあ好きなんだなっていう気持ちはすごく伝わったからいいよ」

「そうか。でな、今度一緒に登山しにいくんだよな」

「へえ。ああ、そうか。確か一緒の趣味だったかな。登山がきっかけで出会ったんだっけ?」

「そうそう。ハイキングコースだったんだけど、その時になー」

「まあ、熊とか気を付けてね」

「大丈夫! この俺の腕っぷしで返り討ちにしていやんよ」

「はは、お大事に」

 オレは乾いた笑いで適当に返した。

 うーん……いろいろと参考になったのかならなかったのかよくわからないのだが。天使ちゃんの気持ちはよくわからないが、多分恋愛が一方通行になっていないのが、愛ってもんなのかな、と適当な考察をしてみることとした。

 愛華の時のストーカーもまあ、一方通行だったからな……。そういうものなのだろうか。

「まあこの感じだと幸司はさそこまで深くは悩んでないだろ? そんなんだったらさ、進路の事考えたらどうよ? 俺たちは三年生だよ。受験生だよ。そっちの方が心配だな」

「まあ……進路か……それもそうだな」

 忘れていた悩みがもう一つ増えてしまった。

「進学するのか。就職するのか。幸司は?」

「……何も決まってないな」

「とりあえず俺は進学だよ。親が大学だけは行けっていうからさ。でもなあの子の為に働くっていうのもありだけど、でもなまあ初任給変わるしね」

「そっか……」

 オレは何も考えていなかった。一切合切何も。

「まあ……いつか決めるわ」

「早くしとけよ。ハハ」


 オレたちは昼を食べた後、適当に時間をつぶした。次の授業が別の教室なのでその支度をして、目的の教室へ向かおうとしていた。隆文は教科が違うので、一人で向かうことになった。

 オレはぼんやりとしていた。あまり気にはしていないようにはするが、気にはなってしまう。

 周りからの 視線、声。それらが過っていったりしてしまう。

 ヒソヒソと嘲笑されているような気がする。ざわざわとした声。喧騒としたざわつき。ただの学校の一部の日常。

 ただそれだけなのに、どうしてこんなにも気になるのだろうか。気にしてはいけない。そう思いつつも、完全には無理だ。

 全ての目線や言葉が自分へと集中してくるような気がする。落ち着かない。だが。

 はあ、とため息をつく。まあ、気にしたら負けだ。と自分を慰める。

 隆文もとい天使君もまあ、気にせずに友達やってくれてるし。まあ、気にしたら負けなんだよな。

 オレは首を横に振り、悩みと迷いを振り切った。ただただ歩く。

 そんな時に、オレは気になる人を発見した。そして、オレと目が合ってそいつはなぜか逃げ出した。その為にオレはふざけ半分で追いかけた。

「ちょっと待ちな」

 オレは追いかけた。なんで逃げるのかが分からなかったから。

 そいつは軽い悲鳴を上げて走っていった。だけど、走る速さはオレの方が早いので簡単に追いつけた。

「なんで逃げるんだ?」と問い詰めた。

 悲鳴をあげながら、オレに顔を決して見せようとはせずに震えた声で「だって……ち、ちかづく、な、なって……いって……」

「そうだね。よく覚えていてくれていたね。ありがとう」

「あ、あああ、あの、もう、もういいですか?」

「うん。いいよ。だけど一個だけ聞きたいんだけど、愛華にはかかわっていないよね?」

 大きな悲鳴を上げそうになっていたがそれを必死にこらえていた。

「はい! は、ははいはい。大丈夫です。大丈夫です。約束は守っています。大丈夫です。なにもしていません。だから、もう、いいですか?」

「ふーん」オレは彼女のだらんとした腕の先にある指の先を見つめた。「手、見せてみてよ」彼女は小さく悲鳴を上げて、おびえながら人差し指をさしだした。そして、その爪をまじまじと眺めた。「あー治ってよかったね」オレは静かに笑った。

 そうすると、彼女は悲鳴を上げながらよろよろと走って逃げていった。その後ろ姿を黙って眺めていた。

 姿が完全に見えなくなった後、メールが鳴った。オレは何かと思ってみてみると、例のストーカーからだった。

 ようするに、お弁当の内容はどうだったか、ということだ。

 オレは天井を眺めた。

「ストーカね……」

 そう静かに独り言ちた。

 愛華の時、その時は一体どうしたんだっけかな?

 オレはあの時の記憶を呼び起こそうとした。



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