1-①



 月曜日の朝、学校に到着とうちゃくしたあたしは昇降口でくつえ、「遅刻ちこく、遅刻っ!」とあわてながら二年生の教室に向かう。

 まだチャイムは鳴っていないから、生徒が廊下ろうかをウロウロしていた。

(先生も、まだ来てないよね? お願いだから、間に合って~)

 あたしは後ろのドアを開いて教室をのぞき、教壇きょうだんに先生の姿がないことを確かめて、胸をで下ろした。

すべり込みセーフっ! 危なかった~~」

 フラフラしながら自分の席に向かい、着席してクタッと机にす。

「おっはよ~、アリス。今日は遅刻しなかったじゃん」

 前の席の夜雨よさめちゃんが、クルッとあたしのほうを向いて声をかけてきた。

 ショートカットで、いつも制服の上にパーカーを着ている彼女は、朱夏しゅか夜雨という名前で、美術部に入っているあたしの友達だ。

「おはよ~、頑張がんばって走ってきたよー」

 あたしは片手だけ上げて挨拶あいさつを返す。「えらい、偉い」と夜雨ちゃんが頭を撫でてくれるから、あたしはヘラッと笑った。

 いつも寝坊ねぼうばかりしてしまうから、あたしが学校に到着するのはチャイムの鳴る直前だ。

 月曜日の朝は特におそくなることが多く、教室に入るとクラスのみんなはもう座っていてHRが始まっていることもある。

 チラッととなりを見ると空席で、鞄も置かれていなかった。まだ来ていないのかなと、あたしは少しソワソワする。

「目覚まし時計、こわれたままなの?」

 夜雨ちゃんにきかれて、あたしはのそっと頭だけを起こした。

「うん……」

「早く買いえなよ。不便じゃん」

「そうなんだけど……」

 部屋の机の上に置いているちょうネクタイをつけたウサギの置き時計は、小学生だったころ、お父さんとお母さんにクリスマスプレゼントで買ってもらったお気に入りの時計だ。

 ずっと使っているから、最近少し時間がおくれることが多い。夜雨ちゃんの言うとおり、そろそろ買い換え時なのかなと思ったりするけれど――。

「やっぱり、あのウサギさんに罪はないよ!」

 あたしはガバッと体を起こして、こぶしにぎりながら力強く弁護する。

 時計の目覚ましは、ちゃんと早めの時間にセットしている。それに、万が一鳴らなかった時のことを考えて、スマホの目覚ましもかけていた。

 それでも寝坊してしまうのは、なかなか起きられないあたしの責任だ。

 今朝も飛び起きたのは、目覚まし時計が鳴って二十分もってから。朝ご飯を食べる時間もないまま、急いで出かける準備をして家を出た。

 高校生活も二年目だから、このままではいけないとわかっているのに――。

 自分を変えるのは簡単にはいかなくて、足踏あしぶみしたまま進めないようなもどかしさに、『ダメだね……』とあたしはため息をいた。

 小さい頃から、何をするにも人より遅くて、のんびりしていると言われることが多い。空想の世界にひたってぼんやりしていると、話しかけられていることに気づかなかったりもする。

 あたしがグズグズしてばかりいるから、イライラしてはなれていった友達も少なくなかった。

(でも、夜雨ちゃんはこんなあたしでも、一緒いっしょにいてくれるから大好きだよ)

 それに、同じ美術部で、隣のクラスの玄冬げんとう淡雪あわゆきちゃんもだ。この二人は、高校に入ってからできたとても大事な親友だ。

(二人がいなかったら、あたしはもうちょっとつらかったかも)

 そんなことをぼんやりと考えていると、夜雨ちゃんがあたしの頭にポンッと何かをせてきた。少しひんやりしているそれを両手で取ると、学校の自動販売機じどうはんばいきで売られている牛乳のパックで、あたしはパッと目をかがやかせた。

「これは……っ! 元気いっぱいモーリーモリー牛乳!」

「早く飲んじゃいな。先生来ちゃうよ」

「うんっ、ありがとう!」

 あたしはお礼を言って、急いでストローをパックに差す。一気に飲んでしまうと、「ほぉ〜」と幸せな吐息といきれた。

 あたしが朝ご飯を食べそこねたこともお見通しだったのだろう。夜雨ちゃんは行動的で、何でもハキハキと言う活発な性格だ。クラスでも、美術部でも、みんなにたよりにされていて人気者でもある。

 それに、スポーツも得意で、去年の球技大会や運動会でも大活躍だいかつやくだった。運動部にさそわれたこともあるみたいだけど、美術部に入ることを選んだ。マンガをくのが好きみたい。

 チャイムが鳴り終わる頃、教室の前側のドアが開く。出席簿を手にした担任の先生が入ってくると、雑談していたみんなもバタバタと席にもどっていった。

 あたしも急いで飲み終えた牛乳パックを折りたたみ、ゴミぶくろに押し込む。

 全員が座ったのを確認かくにんすると、「今日の欠席は……」と先生は教室を見回した。

 その瞬間しゅんかん、バンッと教室の後ろのドアが開き、みんなが大きな音にびっくりしてり返る。

「ギリギリ間に合った……はず!」

 息を切らして教室に飛び込んできたのは、男子だった。

(わっ、白秋はくしゅう君……っ!)

 あたしは急にソワソワドキドキしてくる。

「間に合ってないぞー。三分の遅刻でアウト。白秋~」

 先生がニヤッと笑ってかべの時計を指さした。

「ええ~~っ、うそだろ……全力で走ってきたのに!」

「あはははっ、残念だったなー。晴斗はると!」

 がっかりしてうな垂れているその男子に、クラスの男子たちが笑って声をかける。

 白秋晴斗君はあたしの隣の席にやってくると、椅子いすを引いてつかれたようにドサッとこしをかけた。あせばんでいる首もとを軽く手であおぎながら、ふとあたしのほうに顔を向ける。

「今日は、青春あおはるのほうが早かったんだな」

 机にひじをついた白秋君は、先生に聞こえないように小さな声で話しかけてくる。ドキッとして振り向くと、彼は目を細めて笑っていた。

 あたしは緊張きんちょうのせいで、「うん……」と小さな声で返事することしかできない。

 でもその声は聞こえなかったみたいで、白秋君はすぐに頰杖ほおづえをついて顔を正面に戻してしまう。

(今のは心の準備ができていなかったからだよ。本当だよ。次はちゃんと話せるように頑張るから!)

 心の中で言い訳をしても、もちろん白秋君には届かない。あたしは自分にがっかりして下を向く。

 このクラスで遅刻するのは、いつもあたしか白秋君のどちらかだ。先生も、「青春が間に合っているのは、めずらしいな」とつぶやきながら出席簿に○をつけている。

 白秋君が遅刻しがちになるのは、部活の朝練をギリギリまでやっているからだ。

(朝寝坊してるあたしとは大違おおちがいだよ……)

 そっと横顔を見ると、白秋君は横の席の男子と小声で話をしながらちょっとふざけ合っている。その楽しそうな笑顔えがおに、あたしは見とれそうになった。


 同じクラスになったばかりの、四月の頃。放課後の教室で、初めて声をかけられた。あたしは職員室に呼ばれていた夜雨ちゃんが戻ってくるのを待ちながら、教室でクロッキー帳に絵をいていた。

 その時のあたしは夢中で色鉛筆いろえんぴつを動かしていたから、白秋君が教室に入ってきたことにも、興味深そうな目であたしが絵を描くところをながめていたことにも気づかなかった。

『君って、絵がうまいんだ』

 急に白秋君の声がしたから、おどろいて椅子からひっくり返りそうになった。

 そんなあたしに、白秋君は『絵本作家とか、なれそうだよな』と、笑って言ってくれた。

 それはずっと、あたしが心の中で思いえがいていた秘密の夢だ。

 友達にも、家族にもまだだれにも話していないのに。どうして、彼にはわかったんだろうとあたしには不思議に思えた。

 絵本の下絵を描いていたから?

 あたしの絵を見て、うまいとめてくれるような男子はいなかった。夢見がちで、子どもっぽい絵を描いているとからかわれたりもした。

 あたしなんかがなれるはずないよと、自信をなくしそうにもなっていたのに。

 白秋君の言葉で、あきらめないで、目指してみたいと思う気持ちになれた。


 好きになったのは、そんな単純な理由。

 なのに、こいかなえるのは難しくて、迷ってばかりいる――。

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