序章―③


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 屋敷やしきもどると、僕らはすぐにはなれの部屋に呼びつけられた。そこは我らが狐ヶ咲一族の当主、狐ヶ咲虹色にじいろの居室だ。僕らの祖母であり、師匠ししょうでもあるババ様だ。

 とこの間には『臥薪嘗胆がしんしょうたん』と書かれたじくと、長刀なぎなたかざられている。

 この部屋の張りめた空気が、僕は幼いころから少々苦手だ。ここに呼び出される時は決まって、ババ様のかみなりが落ちる時だったから。おそらく、今宵こよいもそうだろう。

 正座しているババ様がすっかりおいかりなのは、面をつけていてもわかる。全身から怒気どきみなぎっていて、普通ふつうの狐の面がおにの面に見えてくるほどだ。

 いつもなら寝床ねどこに入っている時間なのに、今日はまだ寝間着に着替きがえてもいない。僕らの帰りを待っていたのだろう。

「ただいま戻りました、ババ様……」

 僕は下を向きつつ、恐る恐る口を開いた。

「三人とも、ご苦労だった。ずいぶんと華々はなばなしい活躍かつやくをしたらしいじゃないか。なんでも樹齢じゅれい百年になるお寺の松をぶった切り、お堂を倒壊とうかいさせたのだとか」

 僕らの帰宅より先に報告が入っていたのだろう。横並びで正座した僕らは返答にきゅうする。

「それは……桃色お姉ちゃんの仕業しわざだから、うちらがやったわけじゃないけど」

 横を向いた夢色が、ポツリと不満そうなつぶやきを漏らした。

「それだけの大立ち回りをしたのだからもちろんのこと、怨霊は退治できたのだろうね。よもや、取り逃がしたなどという無様な失態をするはずがないと思っているけれど……どうなんだい、甘色」

 名前を呼ばれた僕は、「はいっ!」と返事した拍子に舌をんでしまった。まさにへびにらまれたかえるの心境だ。

「ごめんなさい、ババ様! 怨霊は……取り逃がしてしまいました……」

 僕はガバッと頭を下げる。ババ様が無言になったのがなかなか怖ろしい。緊張きんちょうのせいで背中が汗ばんでくる。

 僕の顔を見てから、あわてて口を開いたのは夢色だ。

「甘色お姉ちゃんだけじゃないよ。うちらもしくじったし……っ!」

 夢色はシュンッとして、「ババ様、ごめんなさい」と一緒いっしょに謝ってくれた。僕をかばってくれようとしたのだろう。

「ババ様、甘色ちゃんや夢色ちゃんのせいじゃないわ。私がしっかりしていなかったからですもの。それに、お寺のお堂と松は……」

 桃色姉さんがスッと横を向き、「怨霊の仕業です」とまして答えた。

 あまりにも堂々とした言い訳に、ババ様の沈黙ちんもくがさらに長くなる。

 僕も夢色もヒヤヒヤしながら、顔色をうかがう。といっても、面をつけているから表情は見えない。

 いつものように𠮟責しっせきの声が飛んでくるかと思ったけれど、ババ様はあきれたようにため息を吐いただけだった。

「……お前たちの言い分はわかった。夢色、お前は最近気がゆるみがちだ。もう少し真剣しんけん稽古けいこに打ち込まねば、いずれ足をすくわれることにもなろう。修練を積み重ねることでしか、おのれの身を守れぬものとよく心せよ」

「はーい、ババ様……」

 夢色は不服そうにしながらも返事をする。

「甘色」

「はい……っ!」

 僕はひざの上で手を強くにぎり、緊張しながら返事をした。

「人にあだなす怨霊をめっするのが、我ら討魔士のお役目だ。『狐ヶ咲 黒漆くろうるし祓拵はらいごしらえ為次ためつぐ』を受けぐ者として、きもめいじておかねばならぬ。よいな?」

「申し訳ありません、ババ様……」

 一度のがした怨霊はよりいっそう怒りやうらみをつのらせ、再び現れた時には凶暴きょうぼう化していることもある。人に害をなすものを、このままほうっておくわけにはいかない。あの怨霊をさがし出し、今度こそ誅滅ちゅうめつしなければならないだろう。

 気落ちしていた僕は、「ババ様」と顔を上げる。

「次はしくじらぬよう、必ずや討魔士としてのお役目を果たしてみせます」

「それはもうよい」

 僕は「えっ!」と、当惑とうわくしてババ様を見る。

 夢色も桃色姉さんもどういうことなのかと、困惑こんわくしたようにおたがいを見ていた。

「この怨霊の討伐とうばつは、ほかの者らに任せることにした。お前たちは、後で報告書をまとめておくように。それでこのたびのお役目は終わりだ」

(僕らの手には負えないと判断されたのか……)

 ババ様は「それと……」と、僕らを見回して話を続ける。

怨霊おんりょうを逃したばつとして、明日からは一時間早く朝稽古をするように。夢色、お前もだよ」

 ババ様にジロッと睨まれた夢色は、「ええ~っ!」と声を上げる。

 ただでさえ、朝の五時から稽古をしているのに、それよりも一時間も早く起きなければならないのは中学生の夢色にはなかなかつらいだろう。がっくりと、かたを落としていた。

 とはいえ、怨霊を取りがしたのは僕らの失態だ。罰としては軽いほうではある。山ごもりの修行しゅぎょうを命じられなかっただけ、まだ大目に見てくれているのだろう。それに、日々の修練は大事なお役目の一つでもある。

 ババ様の言う通り、いささかたるんでいたのかもしれない。ここらで、気持ちを引きめることも必要だろう。

(朝ご飯の支度したくは、稽古が終わってからだね……)

 朝ご飯とお弁当を作るのは、学校に行く前の僕の日課だ。

「桃色はここに残るように。お前とは話をしなければならぬようだ。じっくりとな……」

 ババ様がふところから取り出して広げたのは、『被害ひがい報告書』と書かれている紙だ。

 騒動そうどうの後、お寺の人たちが飛び出してきて、倒壊とうかいしているお堂をあんぐりと見ていた。

「……心当たりがあるだろう?」

 ババ様にたずねられた桃色姉さんは、「まったくありません」と白を切る。

「……いい度胸だ、桃色」

 ババ様はスッと立ち上がり、床の間の長刀に手をばした。桃色姉さんも横に置いていた大太刀おおたちつかをつかんで、すでにこしかせている。

「ああ~、そうだ! うち、明日の稽古に備えてもうなきゃ! お休みなさーいっ!」

 マズいとばかりに顔をこわばらせた夢色が、ふすまを勢いよく開いて一目散に部屋を飛び出した。グズグズしていると巻き込まれると思ったのだろう。僕も刀をつかんで立ち上がる。

「それでは、おやすみなさい。ババ様、桃色姉さん!」

 ペコッと頭を下げ、急いで部屋を出て襖を閉めた。

 安堵あんどして息をいていると、バンッと大きな物音がして真っ二つになった襖がっ飛ぶ。

 僕は「ひええっ!」と、頭をかかえてしゃがんだ。

「桃色っ! 毎回、あちらこちら破壊はかいしおって。加減というものを知らんのか!」

「心外だわ、ババ様。私のせいじゃありませんよ~?」

 長刀を構えたババ様と大太刀を構えた桃色姉さんが、龍虎りゅうこのように対峙たいじしているのが見えて、僕は脱兎だっとの勢いでその場を離れた。

さわらぬ神にたたりなしというからね……っ!)

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