序章ー②



 それは、『怨霊おんりょう』と呼ばれるもの――。

 人のうらみ、にくしみ、苦しみから生み出される怨念の塊。それらはにえほっするがごとく、生きる者を道連れにしようとする。あわれな人のたましいのなれの果てというべきもの。

 怨霊は同じように、恨みや悲しみを宿して彷徨さまよう行き場のない魂を引き寄せ、その内に取り込もうとする。あの人魂のようにだ。

「これも世のため……悪く思うなよ」

 僕は一人つぶやき、両手で刀を振り直した。

討魔士とうまし狐ヶ咲きつねがさき甘色あまいろして参る!」

 瞬時しゅんじに飛び出し、その姿が完全に消え去るより先に距離きょりめる。

 屋根瓦をって宙をい、両手で握った刀を真っぐ振り下ろしたものの、怨霊のほおに当たっただけで断ち切れず、刃が滑る。

「ややっ!」

 反動でよろめき片膝かたひざと片手をついたが、尻餅しりもちだけはつかずにすんだ。

 これは怨霊を斬るために打ちきたえられた討魔の刀。相手が怨霊ならば、斬れぬはずなどない。それなのに、先ほどの一撃の手応てごたえは、まるでかたい岩のようだった。

 渦巻うずまく靄の中央に浮かんだその怨霊は、まなこをジッと僕に向けている。

 唇は動いていないのに、ささやくような笑い声が漏れていた。一人ではない。数人が同時に笑っているような声だ。その内側に、いくつもの人魂を取り込んでいるのだろう。そのため、怨念の力が増している。

「……一筋縄ひとすじなわではいかないようだね」

 僕は呟いて、スッと立ち上がる。度々、この山の近辺で不穏ふおんかげ目撃もくげき情報が寄せられていた。数日前、ほかの討魔士たちが調べるためにおとずれたところ、この怨霊が姿を現したと聞く。

 怨霊は僕にねらいを定めたのか、十二単のすそをズルズルと引きずりながら追いかけてくる。僕はお堂の屋根の上で宙返りしながら、その刀の切っ先を怨霊に向けた。

 右腕みぎうでを斬り落としたけれど、すぐにもとにもどろうとする。すぐさま、僕はどうを断とうとした。

「……っ!」

 背後から這うように迫った黒髪が、首に巻きつく。体を引きずられた僕は、のどにくい込むその髪を咄嗟につかんだ。

(しまった……っ!)

 怨霊は僕を靄の中に少しずつ引き寄せようとする。

 踏ん張ろうにも足が宙に浮いているため力が入らず、もがくことしかできない。


『甘色、今度の相手はかなり手強てごわいようだ。油断するでないぞ』

 ババ様が出がけに話していたのを思い出す。

 事前に、この怨霊についての報告は聞いていた。数日前この怨霊と遭遇そうぐうした討魔士たちは苦戦の末、数名の負傷者を出し討伐とうばつに失敗している。明らかに低級や中級の怨霊ではない。相当に危険な怨霊だ。

 からみつく髪に喉をめ上げられ、息をするのもままならず意識が遠のきそうになる。ここで気を失えば、体ごと怨霊に取り込まれるだろう。

 そうなれば――。


 怨霊の顔がすぐ間近に迫り、その口が大きくけるように開いた。

 刀の柄から手をはなしそうになり、しっかりしろと自身に言い聞かせるように唇を強くむ。その痛みのおかげで、少しばかり意識がはっきりとした。

 僕が眼に刃をき立てると、怨霊は甲高かんだかさけび声を上げて後ろに下がる。

 今だと、僕は首に絡みついている髪を刀で切り裂いた。

 逃れたところで大きく息を吸い込み、痛む喉に手をやる。

(せめて、あと一太刀ひとたち……)

 後退あとずさりしながら刀を構えると、面の内側を伝った汗がポタッと落ちた。


「甘色ちゃん、おそくなっちゃった。ごめんね~!」

 のんびりした姉の声がして、僕ははじかれたように顔を上げる。

桃色ももいろ姉さん!」

 高く飛び上がった桃色姉さんが、細い体に見合わない大太刀をり下ろすところだった。怨霊どころか、お堂ごと一刀両断しそうな勢いだ。

 その重い一撃で、怨霊の右半身が大きくけずられる――まではよかったのだけれど、一緒いっしょに屋根の一部が崩落ほうらくし、瓦や木切れが鎮座ちんざする仏像の頭の上に落ちていった。

「桃色姉さん! ややっ、お堂が――――っ!」

 僕はお堂を指さす。

「あら~っ、古いお寺だから、きっと屋根がいたんでいたのねぇ」

 姉さんは目を丸くしながら、かろうじて形をとどめている屋根の上にストンと着地した。

(桃色姉さん……)

 姉さんが来てくれなければ僕の身もあやうかったのだし、助かったのだけれど、できればもう少しつつましく登場してほしかった。いや、それは望むべくもないこと。

 姉さんはふんわりした雰囲気ふんいきの人ながら、あつかう武器は大太刀だ。大柄おおがら屈強くっきょうな男の人ですら持て余すような重量と大きさのあるその大太刀を、自由自在に振り回す。

 ただ、あまり細かいことを気にしない、よく言えばおおらかな性格なため、怨霊も怨霊でないものもまとめて叩き切ってしまう。怨霊どころか、生きとし生けるものまとめて木っ端微塵にすると、おそれられる所以ゆえんだった。

「あ~も~っ。桃色お姉ちゃん、待ってよ~っ!」

 おくれてやってきた妹の夢色ゆめいろが、ピョンッと屋根の上に飛び降りてくる。くずれたお堂の一部を目にして、「うわぁ……」とドン引きしたような声をらしていた。

「これ、桃色お姉ちゃんがやったの……? ババ様、絶対おかんむりじゃん」

「甘色ちゃん、夢色ちゃん、気をつけて。この怨霊、なんだか危なそうよ~?」

 姉さんはにこやかに言いながら、大太刀を構える。

「桃色お姉ちゃん……」

「桃色姉さん……」

 僕も夢色も、少し遠い目になった。

 怨霊は人魂を取り込み、削られた半身はすでにもとのように戻っている。怨嗟えんさの声を漏らしながら、怨霊がゆっくりと顔を動かした。その長くびた黒髪くろかみは屋根の上をい回っている。

「うっ……うちの苦手なタイプじゃん」

 夢色が扱うのは短刀だから、髪や腕が伸びる怨霊相手では確かに分が悪そうだ。

「僕が正面から行く。夢色は背後を」

 桃色姉さんは言わずとも、真っ正面から首を狙いにいくだろう。

 僕はつかを両手で握り直し、「いざ!」と飛び出した。

 怨霊の髪や腕が、僕らをらえようと伸びてくる。僕はその腕に切っ先を突き立て、一気に切り裂いた。

 背後にまわった夢色が高く飛び、一回転してその首筋をとうとする。けれど、直前で怨霊がぐるりと首を後ろにめぐらせたものだから、「うげっ!」と声を上げていた。

「うちに見とれてんなっつうの――っ!!」

 そう叫んだ夢色は、その顔をガンッと下駄げたで蹴りつける。

 せまる髪をかわして背中に一撃いちげきを入れると、高く飛び上がって宙で一回転する。

 首にり込み、すぐさま顔面にやいばを突き立てていたがやはり刃ははね返されていた。

「かたっ!」と、おどろきの声を上げた夢色が、後ろに飛び退く。岩のごと怨霊おんりょうの顔面には、やはり傷一つついていないようだった。

 僕は「奥義おうぎ!」と、攻撃こうげきに移ろうとした。

「甘色ちゃん、夢色ちゃん、危ないわよ~」

 桃色姉さんの声にハッとして振り向くと、大太刀が勢いよく回転しながら飛んでくる。

 僕と夢色はギョッとして、反射的にそれをかわした。

 大太刀は周囲のもやごと怨霊の胴を切り裂き、松の木に深く食い込む。

「ややっ!」

 やはり、怨霊より怖ろしきは、桃色姉さんの大太刀だ。

「桃色お姉ちゃん!! むやみに振り回さないでよ。うちらまで巻き込まれるところだったじゃんっ!」

「外しちゃった? ごめんね~」

 桃色姉さんはほおに手をやって首をかしげる。そののんびりとした様子に、夢色は体から力がけたようにがっくりして、ため息をいていた。

「桃色お姉ちゃんと一緒に仕事するの、もうやだ~~っ!」

 怨霊はうめくような低い声を漏らし、ころもの裾を引きずって後退する。

がしはせぬっ!」

 僕は屋根をけながら、刃にれる。

 刀に宿ったむらさきほのおを、勢いよく放った。けれど、その炎の刃が届く直前で、怨霊の姿も気配もスッと闇に消えてしまう。

 靄の向こうはおそらく怨霊が跋扈ばっこする異界だ。

 そこに逃げ込まれると、いくら討魔士とうましといえども人の身では追えない。あの怨霊もかなり力を消耗しょうもうしたはずだから、それが回復するまでは姿を見せることはないだろう。

(任務失敗だなんて…… 口惜くちおしいが、深追いは禁物か)

 僕はため息を吐いて、刀をさやにしまう。

 その直後、メリッという不吉な音がした。

 おそる恐る見れば、大太刀の食い込んでいる松の木が半分に折れ、ゆっくりとお堂のほうへとかたむいている。

 僕らは冷やあせまじりに顔を見合わせ、「ややっ!」、「うそーっ!」、「あららっ」と三者三様の声を上げて屋根から飛び降りた。

 メリッ、バキッ、ズドンッと音がひびき、地面が震動しんどうする。

 お堂の半分を下敷したじきにしてたおれている松の木を、仏像がうつろな眼でながめていた。

「どーするの、これ。始末書だけじゃ、許してもらえないよ!! うち、お小遣こづかい減らされるの、嫌だからね!」

 夢色が青くなって、無残な姿をさらすお堂を指差した。

「うーん、これはきっと怨霊のせいね。危機一髪ききいっぱつだったわ~」

「お姉ちゃんの大太刀のせいじゃんっ。そんなことだから、怨霊よりも怖ろしい狐ヶ咲の怪力娘かいりきむすめとか言われるんだよっ!」

 そんな会話をしている二人の横で、僕はガクッと地面に両膝りょうひざをつく。

「僕としたことが…… 面目めんぼくないよ」

(ババ様にどう報告すれば……っ!)

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