第3話
時は戻らない。ただ進むだけである。だけど、私の時は止まったままだ。時というのは、も出らないだけで、止まったり進んだりを繰り返しているだけに違いない。私がいい例だ。それしかない。
私は、時が戻ればいい、そう思った事が何度もある。カラと出会ったあの頃に戻りたいと何度も願った。だけど、それは無理なのですね。
どうせなら私はもっと前に戻りたい。山暮らしになった原因になる前に戻りたい。そうすれば、今よりも幸せだったかもしれない。
しかし、そうすると、カラには会えていなかったかもしれない。私が、こうして山籠もりしたからカラと出会え、悦びに気づけたのだ。
なんだか、複雑だ。糸が縺れているような心境だ。それが運命という奴なのだろうか。
私がこうなってカラと出会うのが運命であり必然であったのだろうか。
私は欲しがりだ。あれは嫌だ、これが良い、とわがままを言っている。でも、言って何が悪いのか。もしかすると、これは、そんな私への天罰なのでしょうか。
誰か教えてください。私の運命。これから進む道を。私がこうして長い時を生きてしまっている理由を……。どうして、なんのために、私は生きているのでしょうか。
誰かお願いします。進ませてください。私の時を。多くを望みません。
「キキョウ! 来たよ!」
「わっ!」
私は飛び起きた。あの花畑で睡眠を取っていたら、起こされた。それも、思わぬ相手に。
「ラン!」
私はランに飛びついた。そしてランを押し倒した。
「よかった……よかった……」
私は喜びのあまり涙を流していた。ランの小さな胸に顔をうずめさせて泣くのだ。
「だから、約束は守るって言ったでしょ?」
ランは「よしよし」と、優しい声で私の頭を撫でた。
「うん。ごめんね。ちゃんと、守ってくれた」
私は、あれっきりだと思ってしまった。ランを信用しきれていなかった。私はそんな私を恥じた。ランの言葉や気持ちを信じていなかった。偽りだと思っていた。
あれから、四回、あの太陽が回っただろう。私はもう駄目だろうな。と半ばあきらめていた。その時に、ランが現れたのだ。何やら変わった服装を身に着けて、明るい声の調子で登場した。
「ホラ。これ」
カラは、私が与えた花を渡すのだった。
「あ、ありがとう」私はそれを受け取った。そして、「私も、一応持っているわ」と、パンジーのお花をカラに渡した。
「一応って。まあ、確かにすぐには来られなかったけどさ。うん。ごめんね。待たせちゃったね」
「いいえ。いいのよ。こうやって私なんかに会いに来てくれたのだから」
「ははは。当たり前だよ。私も、キキョウとまたこうやって会って話がしたかったんだから」
「ありがとう」
「そうそう。ねえ、キキョウ。プレゼントがあるんだ」
「ぷ、ぷれぜんと……?」
私は聞きなれない言葉に首を傾げた。
「うん! そうだよ。これこれ」
そういえば、今日は何か大きめの袋を持っていた。そのなかにぷれぜんととやらが入っているのだろうか。
「まずは、これ!」
カラが取り出したのは、何やら変わった布だった。模様や形状が、カラが身に着けている服と同じようなものだった。
「これは?」
「洋服! やっぱり分からないと思った。だから、今日はもう、自分のイメージチェンジをしよう。たまには和服も脱いで、こういった服も着ないとね」
「え? で、でも……いいのかしら? こんな貴重なものを」
「貴重って……。大丈夫! まあ、私のお古だけど……。ごめんね。さすがに新品を用意できるほどおこづかいがなかったから」
「私の為にそこまでしてくれたのね。でも、気持ちだけで良いわ。私にそういったものは似合わないわ」
「気に入らなかった?」
「いえ。とっても可愛らしいわ。でも、私なんかが着てはいけない代物だわ」
「何言ってんの。大丈夫。きっと似合うよ。可愛いんだもん」
「う……あ、ありがとう……。でも……いいの?」
「いいって。じゃあ、着替えようよ! キキョウの家に上がってもいい?」
「え、ええ。いいわ。でも、散らかっているわよ?」
私は気まずい顔をする。人をあげるなんて、恥ずかしかったからだ。でも、まあ、ランならいいか。と、許可を出した。
そういう訳で、私はランを家に招待するのだった。
「わー。こういう所で暮らしているんだ。すごい。かまどまである。畳だ。すごいな。年季が入っているわ」
「あ、床とか抜けやすいから、気を付けてね」
「うん。わかった。それにしても、こんな所でずっと暮らしてきたってすごいよね。冬とか寒くないの? 凍えて死にそう」
「まあ、案外何とかなるわよ」
「家の前には野菜畑もあるし。楽しそうでいいな。なんか田舎って感じで。和むよ。昔の日本家屋にいるみたい」
「まあ、随分と昔のだから仕方ないわね」
「自分で建てた?」
「いいえ。元からあったものを改築したのよ」
「え? 改築だって? 一人で」
「ええ。さすがに骨が折れたわ。そういった知識なんか一つもなかったのだから」
「ひえー。尊敬しますわ」
ランはぱちぱちと拍手を送ってくれた。
「あれ? 枯れた花が置いてあるね。それも、随分と……」
「これはね、ちょっとしたものよ」
私はその横に、カラが返してくれたお花を添えてあげた。
「なんかもう、原型がなにか分からないね。二つ、かな。どうしてこうなってまで持っているの?」
「……」私は少し考える。それから「なんででしょうね」と曖昧に答えた。
「これってなんのお花かな? 名前分かる?」
「確か……カランコエ……だったかしら」
「んー……なんだろう、花言葉わかんないや」
能天気に笑った。
「それで、着替えてもいいかな?」と、私は話題を変えた。
「あ、うん。私、手伝うよ。前と後ろを逆に着そうだし」
「えっと……」
私は顔を赤らめた。人前で着替える所を見られるのは恥ずかしかった。だけど、ランの言い分も分かるので、しぶしぶ、それを了承した。私は、顔を真っ赤にしながら、服を脱いでいく。そして、長襦袢の姿になった。そして、あの洋服を着ようとする。すると、ランに止められた
「えっと、その服も脱ぎなよ」
ランにもっともらしい指摘をうけた。
「そ、そうよね。当然のことよね」
私は慌てふためく。そして、ランの前で全裸になり、肌を露出させた。
「え、もしかして下着つけてないの? さらしは」
「で、でも……これが当たり前……だよ? そもそも、さっきのがそれだったのだけど……」
「き、着物の下は何も着てないって本当だったんだ。よかった。念のために持って来て」
ランは頬を赤らめて、袋をあさり始めて、何かを取り出した。
「それは?」
「これが、今の下着。私だってつけてる。こんな……感じに……」
ランは恥ずかしそうに服を広げ始めた。ボタンを取り外していた。そうやって肌を露出させていった。そして、カラの胸元だけを隠す白色の下着が露わになる。そして、おもむろに下も脱ぎはじめる。それは上のものと同じ白色のV字のものだった。それを穿いていた。
「それでもいいだろうけど、付けた方がいい気がする。多分、つけ方が分からないだろうから、私がつけてあげるね」
ランは私の背後に立つ。カラの荒い息が首筋に当たった。まず、下に身に着けているものからだった。
ランの指先が私の太ももに触れた。そして、線を描くようにして、それを足の踝まで描く。
「片足、あげて」と低い位置で私に指示した。ランは私の腿の横に頬をくっつけていた。こそばゆい息があたり、私は知らぬうちにランの頭を押さえていた。心臓がばくばくとなる。ものすごい勢いで。
私は耳を真っ赤にする。
私は、ランの言われたとおりに足を少しだけあげた。そして、下着の円の中に足を通した。もう片方も、同じことを繰り返した。そして、ランはまた私の足に線を描く。もと来た道を戻るかのように。私は声を抑えた。身体が震えるのを懸命に耐えた。
ランは自分の腕を私の体にまわした。そして腹部からゆっくりと胸部の所にそれを持っていく。私の背中に、ランの柔らかい乳房が当たっているのを感じた。下から上へとのぼっていく。私の体が火照ってくる。背中に熱を感じる。そこにランという存在を感じるのだ。
「ひとまず、ね」ランがそう言った。
「初めて穿いてみたけど、なんか、違和感があるわ」
「まあ、それでいいの。みんなこれ身に着けているんだから」
「本当かしら?」
「そうだよ。ちょっとこっち向いて」ランは私を半回転させた。「うん。やっぱり可愛いよ。すごく……似合う」ランは私をゆっくりと床に寝かした。腕を抑えられる。「じゃあ、続きも、していこう?」ランは私の腕に何かを通した。そしてそれが胸の所まで持っていく。ランは自分の腕を私の背中に持っていく。私は、ランをそっと抱きしめた。ランは私の後ろで指を動かしていた。ランの顔が熱かった。その火照った頬を私の頬にすり合わせた。私はランの後ろ髪に触れて、ランの頭を抱きしめた。ランは甘い息を吐きだす。私はそれをかけられて幸福な気持ちになった。幸せな時間だった。互いの汗が絡み合う。それは濃厚な蜜になる。
「終わったよ」
甘い声で私の耳元で、そう囁いた。私はもう? と残念でならなかった。
「何だか、締め付けられているようで、気持ちがいいわ。とっても」
「そう。それだったらいいよ。でも、まだ、終わりじゃないよ。まだあるよ」
ランはそう言って、先ほどの洋服を持っていった。カラは私にそれを着せるのだった。
「いいね。似合っているよ」
着衣が終わった。
「なんだか、恥ずかしいわ」
私は、まるで自分ではないような感じがした。新鮮味があってとてもわくわくした気持ちになった。私はその場で回った。飛び跳ねた。子供のように無邪気にはしゃいだ。
「気に入ってくれてよかった」
ランは後ろで手を組んで、安堵した表情をした。そして、とびっきりの笑顔を私に見せてくれた。
「それでね、キキョウ、今日は私からの提案があるの」
「それはいったいどのようなものなの?」
「えっとね」ランは目線をそらしながら、頬を掻く。そしてから、おどおどした調子で、「山から下りてみない?」といったのだ。
「え?」
私は顔を強張らせた。緩んでいた頬が一気に締まり、固くなった。身体も膠着する。
「どうしてそういう事を言うの?」
私は顔面蒼白になる。それ程までにひどい衝撃を受けた。
「ダメ、かな? 私、キキョウに山の下の楽しさを知ってもらいたいだけなんだけど」
「……」
私は無言になる。目を伏せる。胸に手をあてる。心臓が不定期な感じで気味悪く鼓動を続けていた。
「ごめんなさい。私にはそのような勇気がないわ」
私はランに背中を向けて座り込んだ。そして首を振った。
「キキョウにどんな事情があるかは分からないけどさ、キキョウの事を悪く言う奴なんていないよ」
「ランには分からないわ。老婆のように醜いこの私がどれほどに蔑まれたか。分からないんだわ」
「そうか……。だったら……」
ランは私に何かを被せた。それは黒く長いものだった。
「その髪が嫌なら、かつらで隠してしまえばいいよ。染めればいいのだけど、私は、その髪をそうやって壊したくないから」
「そう……。でも、例えこれで隠せたとしても、みんな私を見て虐げるんだわ。嘘はいつか分かってしまうもの」
「大丈夫。山の下は、キキョウが思っている以上に危険なところじゃないよ」
「いいえ。嘘よ。私は、ここがいいわ。そうよ。ここで、ランとずっとお話をしていたいわ。そうすれば、誰も傷つけるようなことはないし傷つけられることも無いのよ」
「ごめんね。私はキキョウの事を全然考えていなかった。私はキキョウなら喜んでくれるだろうって思ってこれを計画したのだけど、ごめんね。迷惑だったね」
「……。いえ、謝るのは私の方だわ。この服を着させてくれて嬉しいわ」
私はうつむく。
ランの表情はひどく萎んでいて、悲しそうだった。
私はそんなランを見ていられなかった。
「そうね……。一回だけならいいわ。ランなりに私の事を気遣ってくれたのでしょう? だったら、それにこたえてあげなければいけないわね」
「えっと、つまり……?」
「今日一日だけならいいわ」
「本当! よかった」
ランは走り回った。それぐらいに嬉しかったようだ。私はそんなカラを見て、笑う。不安がどこかへ飛んでいってしまったようだった。
「でも、私、お金は持っていないわ」
「大丈夫。全部私が出すよ。今日のエスコートは任せといて」
「え、えす……よくわからないけど、よろしくお願いします」
私は頭を下げた。
「いえいえ。こちらこそ、無理を言って……。じゃあ、早速行きましょう!」
「え、ええ……」
行くとは言ったものの、やはり恐怖が居ついていた。
「キキョウは私が守ってあげるって。安心してよ。どうどうとしていれば、誰も何もしないよ。ホラ、笑って。私は笑っているキキョウが好きなんだから」
「ラン……」
私は手を胸に押しあてた。胸の奥がキュッと締め付けられた。私はランが言ったように、笑顔をランに見せた。すると、ランも「そうそう!」と言って、花のように美しい笑顔を見せてくれた。
こうして私は、気が遠くなるぐらい久しぶりかに山を下るのだった。
カランコエ 春夏秋冬 @H-HAL
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