2,グラディエーター

 入学後、数ヶ月が過ぎた。

 校則、とりわけ身だしなみについて厳しい女子校という事で有名なだけあって、一見して素行が悪かったり、問題児になりそうな生徒は見当たらない。むしろ全員おとなしすぎるくらいだ。オニールと過ごす時間が増えてきて、私は退屈に敏感になってしまっていた。

「ねぇ、藤野さんの髪って地毛?」

 休み時間に、前の席の濱田さんが振り返って言った。昔から色が薄いんだと私が言うと「いいなぁ」と羨ましながら、自身のポニーテールを手繰り寄せて手櫛で撫でた。「もう少し可愛い髪型も試せたらいいのにね……」と気の毒そうに続ける彼女の髪を見ながら、私も自分の髪を触った。セミロングの髪は、耳にかからないようにハーフアップにしている。伸ばしてもいいかもしれないと最近思えてきたけれど、オニールみたいに顔が小さくないから、私には彼女のような髪型は似合わないかもしれない。

「ねえ、藤野さん。聞いてた?」

「え? ごめん。なんだっけ」

 惚けた私に、あきれたような顔をした濱田さんが続ける。

「アピタで宗教の勧誘された話だよ。二〜三年前くらいは頻繁にいたらしいんだけどね。しばらく見かけなくなってみんな安心してたのに、最近になってまた現れるようになったんだって。フードコートとか駐車場で子供連れのお母さんを狙って勧誘してくるらしいよ」

 一階のフロアには食料品売場とフードコート、二階には専門店が立ち並ぶアピタは、イオンモールと比べるとお世辞にも大きなショッピングモールとは言えなかった。だけど駐車場が広く家から近いから、母に連れられて買い物に行く時はイオンよりも利用頻度は多かった。私も母も今の所そういった勧誘に引っかかった事は一度もない。

「逮捕とかされないのかな?」

「私も法律には詳しくないんだけど、多分信仰の自由とかあるんじゃないかな? 別に危害を加えてる訳じゃないから、うちのお父さんの学校でもそういう話があったって直接的な言い方じゃなくて、知らない人に話しかけられても付いていかないようにしましょうって注意喚起してるんだって」

 濱田さんの両親は母親が教師、父親が校長をしているらしい。そのおかげで生徒や保護者が絡む市内の事件や問題に詳しかった。

 少し抜けているところがある母の事が少し気がかりだったけど、一方で父が私よりも母を優先する事があるくらい母の事を大事にしているので、宗教なんてハマったらすぐに止めさせるだろうと思った。家族はともかく、身近な人が宗教に傾倒していたところで、周りに迷惑かけていなければ好きにしたら良いと思う。

 オニールと私は初めて交わした約束をお互いに守っていた。学校では絶対に会わないし、詮索もしなかった。ただ、学年も学科も違う私たちの帰宅時間が合う事はまず無く、毎日連絡を取り合うのも面倒なので、次第に決まった待ち合わせ場所で落ち合う流れが出来ていた。

 学校から自転車で二十分程の場所。ちょうど私とオニールの家の中間くらいに位置するこの『シビコ』と呼ばれている商業ビルは、市内にいくつかあるショッピングモールの中でも最も歴史が古く、最も寂れている。正面の自動ドアを抜けると、どんよりと薄暗く陰気な空気が出迎える。こんなところに私たちの学校の生徒はおろか、高校生が来る事はほとんど無かった。だからこそ、私たちにとっては憩いの場になっている。一階のフロアからエスカレーターで地下一階に降りると、生鮮食品売り場にフードコートとカフェが隣接している。フードコートとは名ばかりで、蕎麦屋が一軒構えているだけのその場所は、注文もしていないのに勝手に席に座る老人たちの休憩スペースになっていた。その隣でかろうじて店として成り立っているカフェこそが、私とオニールの待ち合わせ場所であり、憩いの場である『cafe&rest rhythm』だった。

 店内を見渡すと席に座っているのは常連の中年男性と、腰が九〇度くらい曲がっていそうなお爺さん、そしてオニールの三人だけだった。それぞれが間隔を開けて店内を広く使っている。

 私がオニールの前に立つと、スマホに視線を落としていた彼女は顔を上げて、にっと笑った。テーブルに置かれているオレンジジュースだったものは氷が溶け切ってグラスが結露し、もうほとんど水になっている。席に着くと後ろから年配の女性が現れた。

「いらっしゃーい。今日もアイスコーヒーでいい?」

 私の注文を先読みした店員さんに向かってオニールが食い気味にツッコむ。

「ちょいちょいちょい。勝手に決めないでよ!」

「今日は違うの? じゃあ別のお客さんがハンバーグ定食を注文したから、同じのだったらすぐ出てくるけど、そっちだったらどう? ハンバーグ好き?」

「晩ご飯は家で食べるので大丈夫です。アイスコーヒーお願いします。」

 言ったとおりでしょ、と言わんばかりのしたり顔でオニールの方を見た店員さんに楯突くように、オニールはオレンジジュースだった水を飲み干して、「おかわり」と言いながら空いたグラスを差し出した。

 映画『容疑者Xの献身』の犯人が許せるかどうかの議論を繰り広げていると、アイスコーヒーとオレンジジュースが運ばれて来た。それをテーブルに置いた店員さんはキッチンに戻る事なく、私達の隣の席の椅子に座って言った。

「あんた、いつもそれ着てるけど暑くないの?」

 平日のオニールは制服の上から、学校指定でも無い黒のジャージを羽織っている。背が高いのに更にオーバーサイズで様になっているから、私は結構好きだった。店員さんの物言いにわざとらしくため息を吐いた後、オニールは反論した。

「分かってないねえ……。私達みたいな育ちの良いお嬢様が、こんな寂れた店に入り浸っている事が分かったら問題になるでしょうが」

 育ちが良いかは置いておいて、市内唯一であるうちの女子校は、制服を見るだけで生徒だと一目で分かる。規律が厳しい学校という看板を背負っている手前、外で迂闊な事は出来ないという抑止力になっている。店員さんはオニールの話には興味が無いと言わんばかりに頬杖を付きながら、私の方を指差して言った。

「あんたがそれを隠したところで、こっちのお嬢さんは制服のままだけど」

「藤野はうちの制服が世界一似合うからこれでいいの!」

「私も上着着たほうが良いかな。それと今、制服似合うって言ってくれた?」

 私がオニールの顔をじっと見つめると、彼女は照れ隠しにオレンジジュースをぐっと飲んだ。それから私の方ではなく店員さんの方を向いて、

「うるさいうるさい。知らない。おばさんも大事な話するから、あっち行ってて」

と言うと、店員さんは不満げに席を立って、キッチンに消えていった。

「それで、次の土曜日なんだけどさ、一緒に落語観に行かない?」

 私が「落語?」と聞くと、彼女は続けた。

「市民会館に有名な落語家が来るんだって。落語ってちゃんと聴いたこと無いから、この機会に聴いてみようかなって思うんだけど、どう?」

 いつものように全く考えもつかないような提案に飛びつきそうになったけど、同日の予定を思い出し落胆した。

「ごめん。次の土曜日は用事が……」

「……ふーん。珍しいね」

「お父さんが高校生の時からの友達の家族グループとバーベキューがあるんだ。私は全然興味無いんだけど、一応みんな会えるのを楽しみにしてくれているし、子どもの中では私が一番年上だから他の子の面倒も見なきゃいけないんだよね。──行かないとお父さんもお母さんも不機嫌になるし……」

 この年になっても未だにそういった家族ぐるみの付き合いに参加しているのは単純に断れずにいたのが一番の理由だけど、オニールと友達になる前は断る予定を持ち合わせていなかったというのも大きかった。

「なんか、別に楽しい感じじゃないんだね。……あんまり嫌ならさ、──いや、なんでもない。私は暇してるから、万が一遊べそうになったら連絡してよ」

「ありがとう。断れそうなら断るね。暇してるって、映画は観るんでしょ?」

「そうだね。月曜日には返却しなきゃいけないDVDが何本かあるからね。でも藤野との予定が入るならそっちが優先だよ」

 平日はほぼ毎日私と会っているのにもかかわらず、オニールは週に平均五本ペースで映画を観ているらしい。一体どんな生活をしているんだろうか。


「明日ってさ──」

 私が話を切り出したのと同時に、父がテレビを見ながら大笑いをした。母も聞き取れていなかったようなので改めて切り出す。

「明日ってさ、何時に家出るの?」

 母が「お父さん、どうだっけ」と父に振る。

「十時くらいに河原に集合。道具は全部よっちゃんとこが全部持ってくるから、集まったら女性陣は食材の買い出しで、子供は子供同士で適当に遊んでて」

 『女性陣』というのは父の友達グループの奥さん側の事だ。私は『子供』の方に含まれる。しかも「適当に遊んでて」は「最年長の可織が子守りしていてくれ」という意味が含まれている。考えれば考えるほど憂鬱になってきた。

「ねえ、明日どうしても行かなきゃ駄目?」

 私の質問に対して目に見えて不機嫌になった父は、見ている番組がCMになった途端、チャンネルをザッピングしながら「逆に行かない理由あるのか? 逆に」と同じ言葉を繰り返して糾弾した。視線は変わらずテレビの方へ向けられている。

「行かなくていいなら友達と遊ぶんだけど……」

「じゃあ行くって事でいいか? こっちの予定が先だろうが」

 徐々に頭に血が登っていく父の気持ちが少しも理解できないし、これ以上議論を交わすのも無意味だと思ったので、私は話を早々に切り上げて部屋に戻った。断るに断れなかった不甲斐ない事情を改めてオニールに連絡すると、

「卒業っていう古い映画があるんだけどさ、サイモン&ガーファンクルの主題歌が良いんだ。調べてみてよ」と見当違いの返信が返ってきた。ためしに調べてみたところによると、主人公が年上に唆されたり浮気した挙げ句、花嫁を奪い去る映画らしい。つまり、そういうことなんだろうか?

 目覚ましのアラームをかけずに寝たはずなのに、いつもと同じ時間に目が覚めた。ツイッターを開いてみたけどオニールから追加の連絡は無くて、ベッドに寝転がったままだらだらとタイムラインやニュースを眺めているうちに「そろそろ行くよ」と私の部屋の扉をノックもせずに開けた母が言った。げんなりしながら身支度を整えてリビングに出ると、既にテレビも電気も消されていて、私を締め出す準備が出来ていた。

 父は既に玄関で待っているらしい。少しでも気分を上げるために買ったばかりのグラディエーターサンダルを履いて扉を開けると、玄関前の非常階段に父が腰掛けていた。手にした車のキーをおもむろに青空の方に向けると、階下で車のロックが解除される音が聞こえる。

「七階からでも開くの、知ってた?」

 本当にどうでもいいし、ただでさえ憂鬱なのに、これ以上私をいらつかせないで欲しい。一方で母は「すごいじゃん!」と、こういうときに限って良いリアクションを父に与えてしまう。だから調子に乗るんだ。

 うんざりしながらエレベーターでエントランスに降りてマンションの入り口に出ると、待ち望んでいた助け舟が現れた。

「藤野さん」

 私たちを見るなり名前を呼んだその女の子は、今まで見たことも無いような、可愛らしい花柄のワンピースを着ている。紛れもなくオニールだった。反射的に彼女の名前を呼びそうになったけど、本名で呼ばない事に、私の両親は絶対に不審がるだろう。咄嗟に出た「先輩」という言葉に、両親は目の前の人物が娘の顔見知りだということにようやく気がついた。

「もしかして可織の学校の? ──いつも娘がお世話になってます」

 母がかしこまってお辞儀をした。父はまじまじとオニールを観察している。

「ふふ、全然そんなこと無いですよ。こちらこそ、藤野さんにはいつもお世話になりっぱなしで。」

 今まで見たこともないお淑やかさでオニールも頭を下げた。

「──ところで藤野さん、十時から図書館で勉強するはずでしたけど……」

「え!? あ、そうでしたっけ。すみません。──お母さん、どうしよう」

 状況を察した私はわざと母に話を振った。母は困っている。父は私が予定をブッキングしていたのが気に入らないのか、鼻をフンと鳴らした。

「分かった。多分遅くなるから、あんたも今日は先輩と外で食べてきなさい」

 そう言いながら母は財布から取り出したお札を私に渡した。両親の様子を一瞥したオニールは私を見て、

「それでは、行きましょうか」

 と急かした。急いで駐輪場から自転車を引っ張り出し、オニールの横に並ぶと、

「じゃ、行ってくるね」と両親に挨拶を交わし、大通りの方へ歩を進めた。背筋をぴっとして自転車を押しているオニールのスピードに合わせて私も横に並んでゆっくり歩いていたけど、交差点の角を曲がって両親が見えなくなった瞬間、彼女は奇声にも近い笑い声を上げながら自転車に飛び乗って走り出した。慌てて私も自転車に跨り、後を追いかける。

「危なかったー! 自分で笑いそうになっちゃった」

「何あの演技! 不自然すぎるって! それに図書館はこっちじゃないじゃん」

「好きなところに行こうよ!」という彼女の格好を見て、

「その服、今日しか着ないんだよね? ──だったら、デートしたいな。一緒にカラオケ行ったり、ボウリングしたり、プリクラ撮ったり」

 普段私達が避けている、年相応の女子高生らしい遊びを提案した。

「うーん、なんか恥ずかしいけど……いいか」

 渋々承諾するオニールを連れて、二四八号線沿いの繁華街まで自転車を走らせた。最初に向かったのは市内で唯一のボウリング場だ。年季の入った建物の一階はゲームセンター、二階と三階のフロアがボウリング場になっている。この街に住む小学生は子ども会の集まりで必ず一度は訪れ、中高生へ進学するとクラスメイトとの打ち上げやデートで再訪する。広い駐車場には送迎バスが止まっているけれど、みんな自転車か親の車で来るから、使われているのを見たことが無い。

ゲームセンターに吸い込まれそうになるオニールを制止して階段を上がる。二階の受付で必要事項を記入した紙を提出。受付が済んだら自分に合うサイズのシューズを自動販売機のような機械でレンタルする。指定されたレーンにシューズを置いてボールを取りに行くと、ボールに指をかけながらオニールが言った。

「ボウリングを広めたのは、ルターだって知ってる?」

「ルターって、宗教改革のマルティン・ルター?」

「そうそう。ちゃんと勉強してるね」

 オニールによると、ピンを悪魔や災いに見立ててボールで倒すという宗教儀式を整え、ルール化してスポーツとして布教したのが、かの有名なルターらしい。

 そんなボウリング豆知識を披露したオニールだったけど、ボウリングの腕前を披露することは叶わなかった。ボールがガーターレーンに向かっていく度に、悲しそうな顔で席に戻ってくる。結果は私が圧勝。「ちょうどコツが掴めてきたところなのに!」と悔しがるオニールを連れて、ボウリング場を後にした。

 ボウリング場の脇にある環状線の高架下をくぐってすぐの場所に、老舗のゲームセンターがある。ゲーマー向けの幅広いジャンルのアーケードゲームから、クレーンゲームまでなんでも揃っている。最寄り駅や他の店からのアクセスが良いことから、永らくこの街のゲームセンターの覇権を握っていたけど、数年前に国道を挟んだ斜向いに新しいゲームセンターが出来た。入り口でタッチ式のデバイスを受け取って出口で精算する新しさに、中高生はそちらの店に集まる事が多かった。だからこそ古いほうの、老舗のゲームセンターを選んだ。

「ボウリング場の一階にあったゲーセンでも良かったんじゃないの?」

「せっかくだからゲームが多い方にしたほうが楽しいと思って」

 国道から見て裏手にある、ボウリング場から近いほうの入り口の自動ドアを抜けると、様々な音楽が一緒くたになった騒音と、煙草の匂いが外に漏れ出した。格闘ゲームの筐体が何列にも並ぶエリアには、私達の遊べるゲームは無さそうだ。二人揃ってきょろきょろと辺りを見渡しながら店の中を進むと、国道に面した正面入口側には、私達のようななんとなく入ってきた客向けのクレーンゲームやプリクラが立ち並んでいた。

 何か適当なゲームで妥協しようとした私の手を引いて、オニールは更に店内をくまなく回った後、私が一度も遊んだことのないゲームに次々に手を出した。シューティングゲームもレースゲームもダンスゲームもとんでもなく上手なのに、最後に私がやってみたいと提案したエアホッケーだけは点でダメだった。どうやら彼女は球技全般が苦手らしい。

「もーだめだ。これで完全にリズムが崩れた。もう何やっても勝てないかも」

「じゃあ気分転換にプリクラでも撮ろっか」

 私の言葉に絶望するオニールの背中を押して、店内で一番明るく開けたスペースに向かった。白くて大きい筐体が並んでいて、スペースの中心にはハサミが備え付けられたテーブルが設置されている。

 最近のプリクラは目を大きくしたり、顎を細くしたり、顔を自動で補正する機能が付いている。そんな気持ち悪いもの使いたくないし、オニールは加工なんてしなくても十分可愛いと思ったので、私はシンプルな機能の台を選んだ。二人とも写真を撮られ慣れていないせいで、ポーズもままならないまま撮影が終了。外のタッチパネルに向かうように促された。

 画面の指示に従ってオニールがペンを持ち、何か書いている。

「なにこれ」

「『我等友情永久不滅』。ずっと書いてみたかったんだよね、これ」

 装飾に気合を入れてみたものの、写真写りには納得がいかなかったようで、機会があればプリクラじゃなくて、ちゃんとした写真を撮ろうという話をしながら、私達は店を後にした。

「初めてカラオケに行ったのって、いつだった?」

 自転車を走らせながら、オニールが言った。

「多分かなり小さい頃に、親の友達グループと行ったのが初めてだと思う」

「あー。という事はもしかしたら、今日連れて行かれる可能性があった?」

「そうかもね。助かったよ。──オニールはどう?」

「小六の卒業式の時かな? 打ち上げで行ったのが初めてだね」

 小学生のオニールの姿に想像を巡らせていると、大きな公園の近くにあるカラオケ店に到着した。駐輪場を見る限り繁盛しているようだったけど、幸いにも待ち時間無しですぐに部屋を案内された。

 案内された部屋に入って電気を付けた。画面には知らない演歌歌手が新曲のリリース告知をするデモ映像が流れている。オニールはカラオケに慣れていないのか、何もせずソファに座って画面を眺めている。私はマイクとタッチ式のリモコンを充電ドックから外して、彼女に渡した。

「先、歌う?」

「藤野の歌、聴きたいなー」

「私、最近の曲全然知らないよ? 古い曲ばっかりになっちゃうと思う」

 私がそう言うと、彼女は嬉しそうに「えー。いいじゃん古い曲!」と言った。

「親の世代はリアクションが毎回同じなんだよね。『いくつだよ!』って」

「めっちゃ分かるわそれ。良い曲は何歳で聴いても良い曲なのにね」

 二人の会話を遮るように部屋の扉がノックされた。

「失礼します。オレンジジュースと、アイスコーヒーです。──ごゆっくりどうぞ」

 店員さんが出ていったのを確認してようやく歌う気になった私は、リモコンを持ってしばらく曲を物色して、画面に向けて送信ボタンを押した。

 私達の両親は同世代だったらしく、古い曲の好みが似ていた。カラオケ自体は嫌いではないみたいで、私が歌った後にオニールも曲を選び、自然と一曲ずつ歌うような流れが出来た。ジュディマリやドリカムを歌うオニールは新鮮だった。

「おじいちゃんとおばあちゃんの家も市内にあるんだけどね、小学生の頃は休日に遊びに行くことが多くて。その時に車で流れてた曲をすごく覚えてるんだ」

「なんかいいね。それ」

「帰りの車に揺られて窓の外の街頭を眺めながら聴いた曲が流れるとさ、あの頃が一番何も考えないで生きてて、親も友達もみんな優しくて、幸せな時期だったんだなって思うんだ」

 オニールは溶けた氷の水しか残っていないグラスを、ぐっと飲み干した。

「オニールのさ、その、両親って……どんな人?」

 すぐに返事は無かった。予約曲が無くなった画面にはデモ映像が流れている。隣の部屋からはうっすらと天体観測のイントロが聞こえる。

「うーん。どこまで話そう」

「……ごめん。やっぱり言わなくても大丈夫」

「気遣わないでって言いたいところだけど、ご察しの通り、あんまり話したくない話なんだよね」

「うん。そうだよね。──何か歌うね」

 気を紛らわすようにリモコンに手を伸ばし、次に歌う曲を検索していると、オニールは私に密着するように隣に座り直して、画面を覗き込みながら言った。

「別に藤野だから言いたくない訳じゃないというか……いや、藤野だから言いたくないのかな……。とにかく、話しても楽しい話じゃないし。別に怒ってるわけでもないし、機嫌が悪くなったわけでもないから、それだけは分かって」

「うん、大丈夫だよ。気が向いたら話してね」

 終了十分前を告げる受付からの電話が鳴り、延長をせずに退室をした。

「お腹空いた。ご飯食べよ」

 オニールの言葉で、カラオケで食べたポッキーと飲み物以外、何も口に入れていなかった事に気がつく。私達はカラオケ店とゲームセンターの中間に位置するファミレスへと向かった。外にはすごい数の自転車が停まっている。入れないかと思ったけど、ちょうどレジで団体が会計していて、奇跡的に窓際の一番いい席に座ることが出来た。お互いにメニューを一冊ずつ開きながら、品定めをする。「ハンバーグとネギトロ丼、どっちがいいかな!?」と目を輝かせるオニールに合わせて、ハンバーグとライス、ネギトロ丼、それにドリンクバーを二つ注文した。店員が去ると同時に彼女が席を立つ。

「私飲み物持ってくるね。何がいい?」

「じゃあコーラでお願い」

 オッケー、と言いながらドリンクバーコーナーに向かった数分後、黒い飲み物が入ったグラスを二つ持って、妙ににやけた表情で彼女が戻ってきた。

「どっちもコーラ?」

「ううん。私、コーラにメロンソーダ入れてみた」

「ええ……。どっちが普通のコーラ?」

 私の差し出した手を見て、オニールは両手に持ったグラスを交互に見つめた。

「どっちがいい……?」

 差し出されたグラスの匂いを交互に嗅いで、大丈夫そうな方に口を付けた。メロンの風味が口の中に広がった瞬間、オニールの前に置かれているグラスと交換した。彼女は交換された飲み物に口をつけて一息ついた後、「この街のこと好き?」と私に言った。私は質問に答える前に、窓の外の大通りで車の行き交う景色に目をやった。土曜日の夜は、始まったばかりだった。

「オニールに出会うまでは、なんとも思って無かった。好きかどうかじゃなくて、この街には選択肢が無かったから、なるようにしかならないと思ってた。ここは県内でも栄えている地方都市だから、恵まれているんだと思ってたよ」

「私に会うまで?」

「オニールと出会って、楽しい事をどんどん知っていくうちに、もしかしたらこの街は、この世界は想像以上に退屈かもしれないと思うようになった。家族やクラスメイトに窮屈さを感じるようになった」

「私もずっとそうだった。でも今はこうして一緒に遊んでくれる友達がいる」

 オニールは笑った。私が彼女に惹かれたのは、自分と同じだと思ったからだ。

 それから私達はこの街の気に入らないところをたくさん愚痴って、学校の自販機のラインナップに文句を言った。二人で同じデザートを一つずつ注文して、きっかり割り勘で支払いをして店を後にした。

「今日はほんとうにありがとう。両親の集まりに行かなくてもよくなったし、すごく楽しかった。写真、今度はちゃんと撮ろうね」

「お礼を言いたいのはこっちだよ。いつも私のわがままに付き合ってくれてありがとう。今度は旅行とか行けたらいいね。そしたら記念撮影も出来るし」

 お互いに名残惜しさを抱えたまま、ファミレスの駐輪場で解散した。すごくながい時間を過ごした気がしたけれど、自宅に着いた時はまだ二十時を回ったばかりだった。両親は帰ってきていなかったけど、もちろん寂しさは無かった。

 記憶が新しいうちに、今日あったことをスマホのメモに日記のような形式で書き連ねた。オニールと初めて出会ったときと同じくらい、人生で最高の日だったと言っても良いかもしれない。

 着替えもせずにリビングのソファで一通り書き終えてた私はスマホを投げ捨てて、浴室へ向かった。

 お風呂から上がり、濡れた髪をバスタオルで拭きながらリビングに戻ったけれど、両親は未だ帰っていなかった。何気なくテレビを付けると、放送中の夜のニュースでは先週東京で起きた未成年の殺人事件について特集をしている。

 ふとソファに投げ出したスマホを取り上げてスリープを解除すると、ロック画面には一通の通知が表示されていた。

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