第32話:幸せが終わる物語

 オークが棍棒を振り下ろし、血しぶきが舞う。


 誰かの泣きわめく声が、家屋が焼け落ちると同時に聞こえなくなる。ゲームのムービーシーンと同じ光景が、目の前で繰り広げられている。


「やめろ……」


 そこは俺の故郷だ。


 父さんや母さんが居て、ミナリーや師匠と共に過ごした、大切な思い出の場所なんだ。ゲームのいちマップなんかじゃない。お前らが壊していい場所じゃない!


「〈風槍〉っ!!」


 足裏で魔力を爆発させ、村への最短ルートを突っ切る。オークは村の至る所で暴虐の限りを尽くしていた。殺し、奪い、犯す。それこそが本能だと言わんばかりに。


 そいつらを見つけ次第、殺す。


〈風刃〉で首を落とし、〈風槍〉で体を叩き潰す。それを何度も、何度も繰り返す。


 無我夢中だった。気づけば俺は、自分の家の近くまで来ていた。この辺りには火がまだ回っておらず、俺の家はかろうじて原形を保っていた。


 そう、かろうじて。壁の一部に大穴が空き、屋根も一部が大きく崩れている。中は真っ暗で何も見えないが、そこから何かが歩み出てきた。


 灰色の肌をしたオークだ。


 そいつは右手に棍棒を持ち、左手に何かを引きずっている。それが何なのか、俺の頭は理解を拒んだ。


 ただ、それは俺にとって大切なものだったはずで、目の前のオークがそれを俺から奪った事は間違いない。


 それだけわかれば、十分だ。


 オークが左手で引きずっていた何かをぞんざいに投げ捨てる。そして、棍棒を構えて俺に向かって突進してくる。


 明らかに他のオークとは異なる挙動。


 肌の色も緑色ではなく灰色であることから察するに、こいつはオークの上位種〈ハイオーク〉だ。


 平均レベルは20前後。今の俺のレベルとステータスでは不利な相手。


 だから、どうした。そんなことどうでもいい。


「〈風刃〉」


 ハイオークに向けて魔法を放つ。淡い緑色の斬撃はしかし、棍棒によって振り払われた。


 やっぱりハイオーク相手に〈風刃〉は威力が足りない。


300㎏はありそうな巨体がそのまま突っ込んでくる。〈風槍〉を足元で爆発させて回避。続けざまに近距離で〈風槍〉をハイオークへ打ち込む。


「グォオオオオオオ!」


 ハイオークの腹の肉が大きく弛み、巨体が揺らぐ。今度は確かにダメージが入った。


「ガァアアアアア!」


 乱雑に棍棒が振り回される。


 ハイオークはHPと攻防のステータスが高いものの、速のステータスはそれほど高くはない。


 今の俺のステータスでも避けられる。回避だけで言えば、今の小さな体は有利だ。


「〈風槍〉。〈風槍〉。〈風槍〉」


 何度も何度も〈風槍〉をハイオークに叩き込む。ハイオークはそのたびに呻き声をあげ、肌の色が徐々に肌色から赤黒く変色していく。


「〈風槍〉。〈風槍〉。〈風槍〉」


 反撃の隙を与えない。両手から連続で〈風槍〉を撃ち続け、ハイオークの巨体にぶつけ続ける。ハイオークはなすすべなく体をふらつかせるばかりだ。


「〈風槍〉」


 何度目かの〈風槍〉を受け、ついにハイオークの巨体が倒れ込む。


 もはや原形すら留めず、赤黒い肉の塊になりつつあるそれは、あれだけの魔法を受けても未だに生き続けていた。


「エア――」


 右手に魔力を集中させ魔法名を口にしようとした瞬間、急に視界がぐにゃりと歪む。ふらついて倒れかけた俺は、右手に集めた魔力を再び体内へ循環させた。


 魔力切れの初期症状。このまま魔法を使っていたら、師匠のように倒れてしばらく動けなくなっていただろう。


 そうなっても構わない。だけど、こいつが死ぬ姿を見られないのは癪だ。


 何か無いだろうか。そう思って周囲を見渡すと、近くに剣が落ちていた。


 それは、父さんがいつも使っていた両手剣。冒険者時代からの相棒だと、自慢げに見せてくれたのを思い出す。


 剣の傍らには、誰かが倒れている。それが誰かを認識できないまま、俺は剣を拾ってハイオークに近づく。


『ナゼ、ダ…………』


 しわがれた、かすれた声がした。


『ナゼ…………イナイ…………ワレラノ、ハハ……』


 それがハイオークの口から紡がれていることに気づくが、どうでもいい。


 オーク系統の魔物はハイオーク以上の上位種になればなるほど人語を操るようになる。ハイオークが今際にうわ言を呟いていても不思議じゃない。


『オマエ……オデ、シラナ――』


 斬る。何度も、何度も、何度も。


 スキルや型なんてどうでもいい。ただ殺すためだけに剣を振る。


 やがて、振り下ろした剣が空を切った。そのまま先端が地面に突き刺さり、ハイオークの巨体は光の粒子になって消えていく。


 ぽつり、ぽつりと……。


 分厚い雲に覆われた空から雨粒が落ち、冷たい雨になって降り始める。


 雨粒が地面を濡らし、服を濡らし、髪を濡らして、頬から顎へと滴り落ちた。


「……父さん、母さん」


 返事はない。


 ハイオークを殺したところで、二人が姿を見せてくれるわけじゃない。


 あの幸せだった日常は、温かな食卓はもう二度と戻らない。


 ここにあるのは虚無感と、後悔の苦しさだけ。


 ここは『Happy End Story幸せが終わる物語』の世界。


 悲劇はどこにでも転がっていて、幸せは簡単に手のひらから零れ落ちていく。


 だから、俺は――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る