第33話:悲劇の後に〈アリス視点〉

 周囲が明るくなり始めた頃、馬車はようやくターガ村に辿り着いた。


 土砂降りの雨が髪を濡らす。ターガ村を燃やしていた炎は、雨によってほとんど消火されていた。残ったのは黒焦げた家屋と、村人たちの遺体ばかり。


 馬車はゆっくりと変わり果てた村の中を進む。


 ミナリーは毛布を頭からかぶって、膝を抱えて泣いていた。この惨状は、小さな女の子にはあまりにも酷だ。出来る限り見ない方が良い。


「そろそろ着くぜ」


 御者台からフロッグの声がする。馬車はつい数日前まで私がお世話になっていた家の近くまで来ていた。荷台からも懐かしい家の形が見えて来る。


 だけど、その家は私の記憶に残っている通りじゃなかった。壁には大きな穴が開き、屋根の一部が崩れ落ちている。まるで何かに襲われたかのようだ。


 そして、


「レインっ!」


 家の近く。地面に突き刺さった剣を前にして、レインが膝をついて項垂れていた。


 最悪の可能性が頭を過って、私は馬車から飛び降りた。ぬかるんだ地面で何度も滑りそうになりながら、泥んこになりながらレインの傍へ慌てて駆け寄る。


「レインっ! しっかりして、レイン!」


「し、しょう……?」


「……っ!」


 レインはまるで幽鬼のような、虚ろな目で私を見た。


 レインの無事に安堵するより先に、頭が理解する。


 ……あぁ、間に合わなかったんだ。


 私はレインを抱きしめて、「後は任せて」と囁く。


 レインは私の胸の中で小さく頷いて、糸が切れたように脱力した。


 眠ってしまったレインを抱えて、すぐ近くに止まった馬車へ戻る。


「フロッグ。この子をお願い。変な真似をしたら殺すわ」


「悪党の俺でも空気は読むぜ。…………それに。カインの旦那には、世話になったしな」


 フロッグはレインを受け取ると、馬車の荷台に寝かせて毛布をかけてくれた。


 できれば雨風をしのげる場所を探したいけど、村の中にはまだオークが居るかもしれない。まずは安全を確保する必要がある。


 その前に、確認だけはしておかなくちゃいけない。


 レインが項垂れていた剣の近く。


 そこにはうつ伏せに倒れているカインさんが居た。


 近づいて、首筋に手を当てる。


 冷たい。脈もない。


 必死にオークと戦ったんだろう。体には幾つも、致命傷になりえそうな損傷があった。


 開かれていた瞼を閉じて、家の方へ向かう。


 壁に空いた大きな穴の近く。そこにレティーナさんが倒れていた。


「……っ」


 目を覆いたくなる程の、酷い暴行を受けている。


 私はローブを脱いでレティーナさんにかけようとして、


「…………ぃ、ん」


「レティーナさんっ!」


 まだレティーナさんに、かすかに息があることに気づいた。


 慌てて駆け寄ってレティーナさんの手を取る。今ならまだ、ミナリーの〈光の治癒ライト・ヒール〉で間に合うかもしれない。


「レティーナさん! しっかりしてください! いまミナリーを!」


 そんな淡い期待が浮かんで、けれど、


「レインを、…………おね、が…………――」


 私の手から、レティーナさんの手が力なく抜け落ちる。


「レティーナさん……っ!」


 呼びかけにレティーナさんは答えない。


 私は冷たくなったレティーナさんの体を抱きしめる。


 出会ってまだ半年も経っていない。だけど私にとって大切なかけがえのない人だった。もう一人のお母さんのような人だった。


 まだまだたくさん、教わりたい料理があったのに。


 まだまだたくさん、話したい事があったのに。


 ゆっくりとレティーナさんの体を地面に下ろし、ローブを体にかける。


 普段は女神様なんてこれっぽっちも信仰していないけれど、今だけは静かに祈りを捧げる。


 どうかレティーナさんとカインさんの魂が救われますようにと、そう願って。


 いつしか、土砂降りだった雨は小雨程度まで収まり始めた。


 馬車に戻ると、生き残った村の人たちが集まっていた。


 話を聞くと、レインに助けられたという人が何人も居るらしい。


 村に居たオークのほとんどをレインが倒していて、残りは女性や子供を何人か攫って逃げて行ったそうだ。


 追いかけて攫われた人たちを取り戻すだけの余力は、私にも村の人たちにも残されていない。誰もがこの理不尽な惨劇に、途方に暮れていた。


「……とりあえず、弔ってやろうぜ」


 初めにそう口にしたのはフロッグだった。


「このままじゃアンデッドになっちまう。見知った人間が光になって消えちまうのは、見たくねぇだろ?」


 相変わらずの物言いだけど、フロッグの言う通りだ。


 人は荼毘に付さないとアンデッド化してゾンビやスケルトンに変異する。そうなってしまえば、魔物と同じ。死体は残らず、光になって消えてしまう。


 光になって消えた魂は女神様の元へ導かれないと言われている。


 フロッグが率先して死体を村の中央広場へ運び始め、私や村の人たちもそれに従った。


 作業が終わったのはお昼を過ぎて夕暮れに差し掛かった時間帯。その頃には雨も止んで、雲の切れ間から夕陽が顔を覗かせていた。


「おかあさんっ! おとうさんっ! うわぁあああああんっ!!」


 ミナリーが横たわる両親の傍で泣いている。


 ミナリーの両親も死体で見つかったのだ。


 誰もが悲痛な表情を浮かべていた。泣き崩れているのはミナリーだけじゃない。


 私はその光景を、少し離れた所から見ていた。


 隣にはレインが居る。彼は涙を見せず、ただ目の前の光景を見つめていた。


「……師匠」


「どうしたの、レイン?」


「もしも、俺が領都に行かないで下さいと言ったら、残ってくれましたか」


 それは質問というより、答え合わせをしているような尋ね方だった。


 ……もしも、か。


「たぶん、残らなかったわ」


 こうなることがわかっていたら、私は絶対に残っていたと思う。


 だけど未来の出来事なんてわかるはずがなくて、仮にレインに頼まれたとしても、私は領都へ戻っていただろう。


 結局買いそびれてしまったレインへの誕生日プレゼント。餞別の品として、杖はどうしても渡したかったから。


「……そうですか」


 レインはそれだけ言って黙り込む。ミナリーのように泣くことも無ければ、憤ることもない。ただ淡々と、目の前の現実を受け入れているようだった。

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