第3話:幼馴染と朝食を

 部屋の隅にあったクローゼットで寝間着から普段着に着替える。とりあえず、本来のムービーで着替える服と同じものを着ておくか。


 それにしても、どうしてムービーシーンで操作が出来ているのだろうか。それにさっきの痛みも疑問だ。本当に疑似痛覚だったのか……?


 試しに軽く手の甲を抓ってみると、やはり痛みがあった。本当に抓っているような、やけにリアルな痛みだ。


「オプション」


 設定画面で疑似痛覚のオンオフが出来ないだろうかと思い至り、オプション画面を開こうとする。


 けれど、本来であれば音声認識で開くはずのオプション画面が、視界のどこにも表示されなかった。


「おいおい、セーブもログアウトも出来ないのか」


 『HES』ではムービー中であっても設定画面を開いてログアウトする事が出来たはずだ。というか、ログアウト出来なければ法律違反になる。


「強制ログアウト」


 ゲームが何らかのバグでログアウト出来なくなってしまった場合の強制ログアウト。


 これはゲーム機本体が持つ機能で、強制的に機械と脳の接続を遮断することで意識を強引に現実へ引き戻すことができるのだが…………。


「…………出来ないな、ログアウト」


 何がどうなっているのか、音声認識がまるで反応しない。


 これは参った。助けを呼ぼうにも音声認識が効かなければ、SNSを通じてメッセージを家族や友人に送ることすら出来ない。


 どうしたものか……。


「レインーっ! 何やってるのーっ!」


 扉の向こうからレティーナの大声が聞こえる。そろそろ食卓に向かわなければ怒鳴り込んで来そうだ。今はのんきに朝ごはんを食べている場合じゃないが……。


 ――ぐるるるるりゅぅ。


 ……いや、そうでもないな。お腹が減っている気がする。


 食事をここ数日ほとんどとっていなかったせいか、無性に何かを食べたい気分だ。


 とりあえず、今は何かしらを腹の中に入れることにしよう。


 ゲーム内で飲食をしたって現実の飢えや渇きを満たせるわけではないが、ちょっとくらいは脳も騙されてくれるだろう。


 部屋から出るとスープの良い匂いが鼻腔をくすぐった。


 食卓はすぐ目の前で、ちょうどレティーナが鍋から木皿にスープを流しいれている。スープは美味しそうな湯気を漂わせている。


「あらためておはよう、レイン」

「おはよう、母さん」


 俺は食卓の椅子を引くと、その上によじ登った。椅子が高すぎるのか、俺の背が低すぎるのか。とにかくこの体は不便極まりない。


 と、食卓についた俺は対面に女の子が座っていることに気が付いた。


 飴色の髪にくりくりとした大きな瞳。千切ったパンを赤色のスープにつけて美味しそうに頬張っている。


 口の周りにスープがついてじゃっかんバイオレンスな絵面ではあるが愛らしい姿だった。


「おはよう、ミナリー」

「おはようっ、レインくんっ!」


 ミナリー・ポピンズは元気に挨拶をしてにぱっと笑う。


 彼女は主人公レインの幼馴染で、『HES』発売前まではメインヒロインと考えられていた女の子だ。


 しかしゲームでの登場は冒頭のムービーシーンと、後に変わり果てた姿で主人公の敵として登場する時だけだ。この子の末路は作中屈指の鬱描写になっている。


「どうしたの、レインくん? スープおいしいよ!」

「ああ、うん……」


 屈託ない笑顔を浮かべるミナリーの姿が、過去何百度も繰り返したあのシーンに重なってしまう。


 真っ赤なトマトスープが血肉の色に見えてしまって、さっきまであった食欲はほとんど消え失せてしまった。


 惰性で硬いパンを千切ってスープに漬ける。口に入れるとトマトの甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。程よい塩加減が絶妙にパンとあっている。


「美味しい」

「うん! おいしいよね!」


 どうして、美味しいんだ……?


 フルダイブ型VRゲームの中には食事ができるゲームが幾つもあるが、そのほとんどが食べている気分を楽しめるだけで、料理の味そのものを感じることはできない。


 疑似味覚を搭載したゲームでも、ほんのりと風味がするだけだ。


 『HES』に疑似味覚は搭載されていなかったはず。じゃあ、このハッキリと感じる甘酸っぱさや塩味は、いったい何だ?


 これ、本当にゲームなのか……?

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