第一章:少年期編
第2話:ここはバッドエンドを迎える世界
気が付くと、目の前には見覚えのある天井があった。
何度も何度も目にした事がある天井だ。
それは『Happy End Story』の始まりのシーン。主人公であるレインが目を覚ますところから超絶鬱ゲーの物語は始まる。
どうやら俺は無意識の内にVR端末を起動して『HES』をまた一から始めてしまったらしい。我ながら習慣とは恐ろしいな。
ここはムービーシーンだ。少しすれば母親の声が聞こえてきて、主人公はベッドから起き上がる。
「レイン、朝ごはんよー!」
ほらきた。このシーンはもう何百回と繰り返した。
…………。
…………………………あれ?
いつまで経っても主人公がベッドから起き上がらない。
おいおい、フリーズか?
フルダイブ型のVRゲームでフリーズが発生したら、すぐに機械との接続が途切れるはずなのだが……。
「ちょっとレイン! スープが冷めちゃうでしょ!」
母親の呼ぶ声が聞こえてくる。このボイスは初めて聞いたぞ。いったいどうなっているんだ……?
一つ前の周回でフラグを踏んで俺の知らない別ルートに入った?
いやいや、分析組が5年かけて何万周と繰り返して遊んだゲームだ。それが今になってオープニングムービーから分岐する隠しルートが見つかるわけがない。
というか、
「ムービーじゃないのか……?」
肌に触れるやけにリアルな衣擦れの感触。試しに動かした手足は思い通りの挙動をする。ベッドから起き上がろうとした俺の足は、なぜか床に触れなかった。
「うわっ!」
バランスを崩してそのままベッドから転がり落ちる。左肩をしたたかに床へぶつけて鈍い痛みが走った。
「イテテテ……って、なんで痛いんだ……?」
疑似痛覚……? いやいや。
人体に悪影響を及ぼすからと、フルダイブ型VRゲームでの痛覚の再現は法律で禁止されたはずだ。当然、『Happy End Story』にもそんな機能は搭載されていない。
どうなっているんだ? と首を傾げていると、部屋の扉が開く。薄茶色の髪を三つ編みにした若く美しい女性が慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。
「ちょっとレイン、大丈夫!? すごい音がしたけど……あらあら、ベッドから落ちちゃったのね。怪我はしていないかしら……?」
そう言って俺の頭を撫でるのは、主人公レインの母であるレティーナ・ロードランド。
ゲーム中での登場は冒頭のムービーシーンのみ。設定資料集にはオークに連れ去られ数匹の魔物を生んだ後に死んだと書かれていた。
それにしても綺麗な人だ。
もちろん『Happy End Story』に登場するキャラクターは総じて美男美女ばかりだが、作りこみが違う。というか、人物グラフィックの出来が良くなってないか? まるで本物の人間みたいだ。
「どうしたの、レイン? まだお眠なのかしら?」
彼女はそう言いながら俺の脇に手を入れて抱き起す。立ち上がった俺と膝立ちのレティーナの目線がちょうど同じくらいの高さにあった。
道理で足が届かなくてベッドから転がり落ちるはずだ。冒頭のムービーシーンは主人公レインが8歳の頃の記憶。現実の俺と身長差がありすぎる。
「レイン、大丈夫……?」
黙りこくる俺を心配するように、レティーナは顔を覗き込んでくる。ムービーが始まる様子はなかった。
「うん。ちょっと眠くてボーっとしてた。大丈夫だよ、母さん」
俺はレインになりきって返事をする。
フルダイブ型VRロールプレイングゲームの醍醐味と言えば、主人公になりきってするキャラクターとの会話だ。『HES』でもそれは変わらない。
プレイヤーそれぞれに思い思いの主人公像があり、俺の中にも主人公レインの人物像が構築されている。
「んもぅ、頭でも打ったんじゃないかって心配したのよ? ほら、ぐずぐずしているとスープが冷めちゃうわ。早く着替えていらっしゃいね」
「はーい」
レティーナは返事をした俺の頭を撫でて部屋から出ていく。それを見送った俺は、改めて部屋の中を見渡した。
『HES』の舞台は剣と魔法のファンタジー世界だ。文明レベルは中世ヨーロッパをベースに、魔法による独自の進歩を遂げた便利技術が存在している。
主人公レインの故郷は大陸の辺境にある小さな農村で、家は木と石で作られている。
と言ってもその外観と内装は見事なもので、俺が今居るこの部屋も子供部屋にしては広くてオシャレな空間になっていた。
『HES』のグラフィックデザインは、リアリティよりもファンタジックな世界観の演出に重きが置かれているのだ。
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