第24話 春の苦い思い出④(この海に捨てたもの)※晶矢視点

 そこで不思議な夢を見た。


 なぜかその夢を鮮明に覚えている。

 幼い自分が、誰かとかくれんぼをしている夢だ。


 俺が鬼で、しゃがんで顔を伏せて、十数えてから「もういいかい」というと、誰かが「まーだだよ」と答える。

 俺がいくら「もういいかい」と言っても、その誰かは「まーだだよ」しか言わない。


 何度も呼びかけて待ったけれど、相手は一度も「もういいよ」とは言ってくれず、いい加減痺れを切らして、顔を上げようとしたところで、目が覚めた。



 しまった。体が痛い。変な体勢で寝てたからか。

 道の駅の窓に差し込むオレンジ色の日差しが、眩しい。

 いつの間にか陽が傾いていた。

 やばい、寝過ぎた。


 時間を確認しようとして、スマホの電源を入れたら、母からメッセージが何通も来ていた。かなりの長文で。

 要約すると、『心配をかけるな、早く帰れ、連絡しろ』ということだった。


 何か返さないと後が怖い、とは思ったが、途中で返事するのが億劫になって、既読スルーして、また電源を落とした。



 道の駅を出て、先ほど降りたバス停に戻る。


 バス停の脇に松林が鬱蒼と生い茂っていた。その木立の隙間から、オレンジ色の夕焼けの光がキラキラと見え隠れしている。

 松林の間に細い道を見つけて、光を辿ってみることにした。


 薄暗い林を抜けると、砂浜に出て一気に視界が拓けた。

 海が目の前だった。その海に、今まさに夕陽が落ちて行こうとしている。

 水平線が、太陽の光で燃えているように輝いていた。

 とてつもなく綺麗だった。


 砂浜に座って、夕陽を眺めながら、これからどうしようか考えていた。


 春先の冷たい海風が体温を奪っていく。

 指先が冷えて少し痛かった。


 正直帰りたくなかった。


 家に帰ったらまた説教される。あの父と母のことだ。こんな家出みたいなことをして、タダで済まされる訳がない。今度こそ、ギターをやめさせられるだろう。


 でも昨日あのまま、家にいることの方が辛かった。限界だった。

 俺自身のことは何と言われようと構わない。だけど、尊敬する人を悪く言われるのは許せなかった。自分の大切なものをこれ以上踏み躙られるのが我慢できなかった。


 それなのに、ただ逃げることしかできない自分が、本当に情けなかった。


 俺は、背負っていたギターケースを、いつの間にか無意識に、両手で抱きしめていた。


 俺の大切なものなんて、あの人たちにしてみれば、くだらないものなんだろう。人それぞれ価値観は違うから、あの人たちからくだらないって思われても、別にそれはそれで構わない。


 でもせめて、俺が自分の中で大切に思うくらいは、認めてほしかった。

 夢を見るくらいは、許してほしかった。

 それさえもダメだと言うのなら、俺はどうすればいい?


 途方に暮れた俺の目の前で、夕陽が水平線の向こうに、完全に飲み込まれていった。

 今日という日も、もう終わる。


 このまま夢を失った人生を送るのか。

 無機質でただ日々をやり過ごすだけの毎日を。

 空っぽだった昔の自分のように。


 それは嫌だな。

 もうあの頃の自分には戻りたくない。


 でも、どうすればいいかもう分からない。

 どう足掻いても、守れそうもない。


 俺の夢が無駄なものだと言うのなら。


 ああ、もういっそのこと。


 全部捨てればいいのか。

 家から背負ってきたこのギターも、書きかけの譜面も何もかも。

 何の意味もない、こんなつまらない人生ごと。


 あの夕陽のように、海に飛び込んで……



「だめ。いやだよ」


 そこまで話したところで、隣から涼太郎が俺の腕にしがみついて来た。

 また、いつの間にか泣いている。二人して。

 ただの思い出話をするつもりが、こんな重たい話になってしまって、俺はしまったと反省する。


「悪い、こんな暗い話するつもりじゃなかった」

「……」


 涼太郎が黙って小さく首を振る。


「過去の話だから。今そんなこと思ってない」

「……」


 俺の腕に掴まって顔を埋めたまま、涼太郎は動かない。

 ああ、こんな悲しい想いをさせるつもりはなかったのに。


「どうしたらいいか分かんなくて、一瞬考えるの面倒になっただけでさ。ちゃんと、自分なりに気持ち整理したんだ。捨てるものは捨てて、守るものは守ろうって」


 俺の言葉に、涼太郎の体が僅かに揺れる。


「ここで俺が捨てたのは、矜持プライド。自分の矜持プライドを捨てた」

「……矜持プライド?」


 涼太郎が小さく聞き返した声に、俺は「うん」と頷く。


「俺、嘘をつくのは昔から狡いことだと思っててさ」


 昔自分が拘っていた、自分の中の小さな正義感だった。

 自分にも、誰にも、決して嘘をつかないこと。

 心正しくあることで、せめて堂々としていたかった。

 それは、両親に対する反発から生まれた、ちっぽけな矜持かもしれない。


「それまで絶対嘘つかないようにしてたけど、親に嘘をつくことにしたんだ。音楽やめるって」


 正しさを捨てて、生まれたのは罪悪感だった。

 自分は狡いことをしている、という自責の念が、あの時からずっと心の中にある。でもそれでも、そうでもしなければ守れなかった。


「嘘ついて、自分の夢守ることにした」


 俺がそう言うと、涼太郎はぐすっと鼻を啜る。また涙が出て来そうになっている。


「あの後、ちゃんと門限までに家に帰ったんだよ。やっぱりめっちゃ怒られだけど、ギターやめるって言ったら、何とか収まって」


 これ以上話題が暗くならないようにと、俺は慌てて、ことの顛末を矢継ぎ早に説明する。


「春人さんたちには、迷惑かけたくないから、軽音部の入部は諦めて、あとは前話した通り、お前に出会うまでは、一人で隠れて練習……」

「……ったよ」

「えっ?」


 涼太郎が何か呟いたが、風の音と波の音でよく聞こえなかった。

 俺が聞き返すと、涼太郎は肩を震わせながら、おもむろに顔を上げた。


 眼鏡の奥の長いまつ毛が、涙に濡れている。


 近いところで目が合って、どきりとする。


 そして、涼太郎が切なげな表情で、俺に言った。



「晶矢くんの、言った意味が分かった」

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