第16話 海と水族館③(楽しい水族館)

 混み合っていた入場口を抜けて、二人はようやく水族館の中に入ることが出来た。

 建物の中は冷房が効いていて涼しかった。


「あー涼しい」


 外の暑さから解放されて、晶矢は思わず声が出る。


 入り口から人の流れに沿って、順路通りに進んでいく。

 すると、突如二人の目の前に大きな水槽が出現した。


「うわあ……すごい……!」

「おお、すげーー」


 大パノラマのように、眼前に広がる巨大な水槽の中には、色とりどりの大小様々な魚たちが泳いでいる。

 その中でも、一番大きなジンベイザメが、目の前を悠々と泳ぐ姿は圧巻だった。


 二人は人の波を避けながら、水槽のガラスの側まで行くと、目の前を通る魚たちに釘付けになる。


「ジンベイザメってこんなに大きいんだね」

「そうだな。目の前で見ると凄い迫力だな」

「あ、エイもいる」

「あっほんとだ。エイもでかいな」

「わー小さい魚も沢山いる。きらきらして綺麗……」

「あれ、イワシかな。うまそうだな」

「ぶっ、あは! ちょ、晶矢くん、笑わせないで」

「は? だってうまいだろ?」

「ふふっ、いや、そうなんだけど……」


 晶矢がそんなことを言うので、つい涼太郎は吹き出してしまう。


 大水槽をひとしきり鑑賞して、次のエリアへと進んで行くと、様々な海に生息する魚たちの水槽が展示されていた。


 温かい海のエリアには、青や黄色、オレンジなど鮮やかな魚たちが、珊瑚の間を泳ぎ回っている。


「南の海に生息してる魚って、カラフルで綺麗だよね」

「そうだな。色的にあんまりおいしそうには見えないけど、現地では、普通に美味しく食べられてるらしい」

「そうなんだ、ってまた……」


 涼太郎は笑いを堪える。


 深海の世界の展示では、暗い水槽の中で微動だにしない大きな蟹の姿を見て、晶矢が言った。


「こいつ生きてる? おいしそうだな」

「ぶはっ、ちょ、また? すぐ食べる発想になるよね」

「カニはおいしいだろ」

「うん、おいしいけど、ふふっ」


 順路も後半になってくると、水槽の前の人だかりもばらけて少なくなってきた。


 順路の脇に広い休憩スペースがあり、ベンチが設置してあったので、二人は繋いでいた手をようやく離して、ベンチに腰掛けた。


「水族館、めっちゃ面白いな」

「うん、魚が泳ぐ姿って、綺麗だね」

「いつも食べてる魚とかが泳いでる姿見るの、なんか新鮮だった」

「ふふっ、またそういうこと言う」


 涼太郎は、晶矢が見る魚ほとんど「おいしそう」と言うので、可笑しくて仕方なかった。


「涼太郎、大丈夫か。人多いけど」


 晶矢が近くの自販機からお茶を買ってきて、涼太郎に「ほい」と渡しながら言う。


「えっ、うん。ありがとう。大丈夫……」


 涼太郎は人が多いところは、人酔いして疲れてしまい、長時間は居られないのだが、言われてみれば、今日は人の視線や人混みの圧迫感も、あまり気にならない。


(あれ? ほんとに今日は大丈夫みたい)


 今まで人がいるところでは下ばかり見ていて、ほとんど足元しか見ていなかった。周りの景色が、こんなにも広かったのか、と驚いてさえいる。

 純粋に、水族館の展示を楽しめているのが、自分でも不思議だった。


「疲れたら言えよな」


 晶矢は安堵した顔でそう言うと、喉が渇いていたのか、ペットボトルのお茶を半分ほど一気飲みして、立ち上がった。


「さて、ペンギン見に行こうぜ」

「ペンギン?」

「餌やり体験できるらしいからさ。やってみようぜ」


 晶矢はにっこりと笑って、涼太郎にまた手を差し出した。


「あ、あの、手はもう繋がなくても、流石に大丈夫、では……?」


 周りを見ると、先程よりも人の流れは色々な展示コーナーに分散して、順路の先もそんなに混み合っていない様子だ。


「絶対にはぐれないって、自信を持って言えるのか?」


 疑いの目で晶矢が涼太郎をじっと見つめてくる。


「ぜ、絶対、とは言い切れない、けど……」

「じゃあダメだな」


 そう言って「ほら」と催促してくる晶矢に、涼太郎が渋々手を差し出すと、ぐいっと引っ張られて、ベンチから立たされる。


「お前を探すのは、もう懲り懲りだからな」

「うっ」


 学校で晶矢が一週間涼太郎を探し回った時のことを、揶揄うように言われて、涼太郎は何も言い返せないのだった。



 ペンギンのコーナーは水族館の建物の外にあった。

 外に出た途端、強い日差しが頭上から容赦なく照り注いで、一気に暑さが全身を包み込む。


 広々とした屋外のプールで、たくさんのペンギンたちがスイスイと泳いでいる。プールサイドの岩場の影で、休んでいるペンギンもいる。

 ペンギンは寒い海にいるイメージだが、この暑さの中大丈夫なのだろうか、と涼太郎は心配になる。


「へー。ペンギンって、寒いとこだけじゃなくて、暖かいところに生息してる種もいるんだってさ」

「えっ、そうなんだ」


 晶矢が解説の看板を見ながら、涼太郎の疑問に答えてくれる。今ここにいるのは、暑さに強い種なのだろう。


 餌やり体験は、実施時間が決まっており先着順で受け付けているらしい。

 ちょうど、次の実施時間がもうすぐ始まるということで、二人は締め切られる前に申し込むことができた。


 カップに入った小魚を、トングで掴んで、プールのフェンス越しにペンギンたちにあげる、という方式だ。


「うわーかわいいーー」


 涼太郎がそう言って小魚を差し出すと、たくさんのペンギンが集まってくる。


「えっ、お前の方なんかペンギン多くね?」


 晶矢や他の参加者たちも同じように餌を差し出しているが、明らかに涼太郎の方にペンギンが集まっている。


「ケンカしないでね、よしよし」


 あっという間に、涼太郎のカップから餌がなくなってしまった。ペンギンたちが残念そうにしながら、仕方なく他の餌をもらいに行く。


「お前、もしかして動物にめっちゃ好かれるタイプ?」

「?」


 涼太郎は無自覚だが、声に感情を込めてしまうと、なぜか不思議と動物を引き寄せてしまうところがある。

 今無意識に、感情が溢れていることに涼太郎は気づいていなかった。


(楽しいな。晶矢くんといると、本当に楽しい)


 涼太郎は、ペンギンの餌やりに夢中になっている晶矢を見て思う。


 晶矢の隣にいると、色々なことが新鮮に目に映る。彼が見せてくれる景色にわくわくしている。


 次はどんな風景が見えるのか。

 どんな世界が広がるのか。


 そう思っていたら、今なぜか、晶矢の隣で歌っている時と同じ感覚がして、涼太郎は一瞬胸が切なくなった。


(あれ? 僕いま……)


 涼太郎は、ハッとして慌てて目尻を拭く。

 誰も見ていないうちに、目尻を擦れば、暑い日差しですぐ渇いた。


「? どうかした?」


 晶矢に言われて、涼太郎は誤魔化すように笑って首を振った。


「う、ううん、何でもない」


(ど、どうしちゃったんだろう、僕……)


 なぜか、涙が一粒溢れてしまったことに、涼太郎は内心驚いて戸惑っていた。

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