第17話 海と水族館④(バスに乗って海へ)
ペンギンコーナーから少し進んだ先に、食堂があった。
時刻は十一時を少し回ったところだ。
昼には少し早いが、この人の多さだ。昼時には混んでしまうだろう。
幸い、今は食堂も開店したばかりで席はまだ空いている。
「ここで昼、食べてくか」
「そうだね」
晶矢と涼太郎は、空いている席のテーブルにペットボトルを置いて、席を確保する。
カウンターのレジで注文し、出来上がったら取りに行くスタイルなので、二人レジに並んだ。
「カツカレーにしようかなー。お前は?」
「えっ、うーん……僕もそれにしようかな」
注文して暫くすると、出来上がりのお知らせが鳴ったので、受取口に取りに行く。
揚げたてのカツが乗ったツヤツヤの白いご飯の上に、熱々のルーが掛かっているカツカレーには、サラダも付いていて、ボリューム満点だ。
カツをカリッと頬張って、とろけるルーと一緒にご飯を口に含めば、ジューシーな肉の風味と、カレーのスパイシーな香りが、絶妙に重なり合っていく。
「こういう食堂のカレーってうまいよな」
「ほんとだね。辛さもちょうどよくて、美味しい」
夏の暑さと、カレーの香りは、なぜこんなにも合うのだろう。食欲をそそられて、ちょうどお腹も空いていた二人は、ペロリと食べてしまった。
「水族館の展示は、一通り見たかな。まだ見たいとこある?」
食堂を後にした二人は、順路を確認する。すると、食堂のところでちょうど最終地点のようだ。
「えっと、あっ物販コーナー見たいかも」
「ああ、そうだな。俺も見たい」
物販コーナーは、食堂の先、水族館の入場口のすぐそばにあった。
先ほど中で見た海の生物のぬいぐるみや、キーホルダーなどのグッズ、お菓子のお土産などがところ狭しと並んでいる。
涼太郎が重治郎へのお土産のお菓子を選んでいると、晶矢が隣で声を上げた。
「あっ、これいいな」
「どれ?」
晶矢が目を輝かせて手に取ったのは、マグロのぬいぐるみだ。四十センチ程の大きさで、晶矢が大事そうに抱きしめている姿を見て、涼太郎は思わず吹き出してしまった。
「マグロ、おいしいだろ」
「いや、だから、そうなんだけど」
(ぬいぐるみを抱いている晶矢くん、かわいい)
どこまでもぶれない晶矢に、涼太郎はつい笑ってしまう。
「でも、買っても部屋に置けないしなー」
よっぽど気に入ったのか、ずっとマグロを抱きしめている晶矢がそう言うと、涼太郎は先日行った晶矢の部屋を思い出した。
(そっか、晶矢くんは、あまり部屋にそういうの置かないようにしてるんだったな)
親に何も言われないように、最初から余計なものは置かない、と晶矢は言っていた。
普段真面目でかっちりとしている晶矢も、同じ年頃の高校生と同様、本当はこういうぬいぐるみが好きなのだろう。
普通なら部屋に置いておいても、何も言われないものだろうに。
(あ、それなら……)
涼太郎はたった今目についたキーホルダーを手に取った。まだ悩んでいる晶矢に、重治郎へのお土産のお菓子を見せながら、
「ちょっとこれ買ってくるね」
と言って、近くのレジでこっそり会計を済ませた。
結局部屋に置けないからと、マグロのぬいぐるみを渋々諦めた晶矢と、涼太郎の二人は、物販コーナーを後にして水族館を出た。
「さて、じゃあ海見に行くかー」
「海、ここからも見えてるけど」
「ここ港だし、あんま景色を楽しむって感じじゃないからな。バスに乗ろうぜ」
水族館の近隣は港になっている。晶矢が言うには、ここからバスで乗っていく先に、もう少し海の景観を楽しめる場所があるらしい。
二人はバス停に向かった。
海沿いの街道を走るバスは、海水浴に行く客などで混んでいた。
座席はいっぱいで、二人は隅の方に立って吊り革に掴まる。
海水浴場近くのバス停に着くと、乗客がゾロゾロ降りていった。
「あれ、ここで降りないの?」
みんな降りていくので、てっきりここで降りるのだと涼太郎は思っていたが、晶矢は「降りないよ」と笑って言う。
「この何個か先で降りるから、ほら、座ろうぜ」
座席ががらっと空いたので、後ろの方の席で二人並んで座った。
「涼太郎、ここからよく見えるから、見てみ?」
晶矢がそう言って窓の外を指差す。
「うわぁ……!」
海岸と並走して走るバスの車窓から、キラキラした海の水平線がよく見える。
水面や白い砂浜に、夏の日差しが降り注いで、乱反射して眩しかった。
遠くの方に大きな入道雲がもくもくとそびえ立ち、その下を大小様々な船が行き交うのが見える。
砂浜で、たくさんの人が海水浴をしていて、夏の到来を喜び楽しんでいた。
「きれい……」
涼太郎は思わず感嘆が漏れた。
こんな風に近くで海を見たのは、いつだっただろうか。
海は、こんなに綺麗だっただろうか。
海の美しさを間近で感じたのは、記憶にないくらい遠い昔のような気がする。
目の奥がつんと痛むのは、眩しいくらいの光のせいなのか、それとも余りの美しさに泣きたくなっているからなのか、分からない。
「本当にきれい」
涼太郎が目を輝かせて景色に釘付けになっている。
その横顔を、晶矢は見つめていた。
(正直、海よりお前ばっかり見てるわ、俺)
朝からずっと、涼太郎のことばかり見ている自覚がある。気づいたら表情を目で追っている。
涼太郎が何を見て何を考えるのか。
それを知りたくて仕方がなかった。
今、この海の景色を見て、目を潤ませている涼太郎が、先ほどペンギンのところでも泣いていたことに、晶矢は気づいていた。
涼太郎が泣くと、なぜか自分も泣きそうになる。
(こんなに泣きそうになることなんて、ガキの頃以来なかったのに)
涼太郎といると、感情が溢れて直ぐに涙が出てきてしまう。涼太郎に出会ってから、何回泣いたか分からない。
さっきのペンギンところでは、全く泣くような場面ではなかったのに、一瞬切ない感覚が過ぎって泣きそうになった。
驚いて思わず涼太郎を見たら、泣いていたので更に驚いたのだ。
そして今も、瞳を滲ませる涼太郎の隣で、つられて泣きそうになっている自分がいる。
初めて会った日、共に涙を流してしまった時から、共鳴してしまう何かがあるのか。
それが知りたくて、つい涼太郎を目で追ってしまうのだ。
(涼太郎は感受性が強いんだろうな)
今まで涼太郎が俯きがちに過ごしてきたのは、色々なものが見えすぎてしまう、というのもあるからなのだろう。
この世界は、綺麗な景色や美しい感情ばかりではない。悪意や醜悪なものも沢山溢れている。
目に映るもの全てを受け入れすぎるが故に、傷つきやすいのかも知れない。
だが、涼太郎が人の視線に怯えていた原因は、多分それだけが理由ではないはずだ。
(今涼太郎に聞いても、絶対に言わないだろうけど)
過去にどんな事があって、こんな風に怯えるようになってしまったのかは分からない。
だが、過去は過去だ。もう変えられない。
大事なのは、今。これからの未来は変えられる。
涼太郎がこれから先、顔を上げて、幸せな気持ちでいてくれれば、それでいい。安心して歌ってくれるなら、それだけでいい。
バスに揺られながら、食い入るように海を見つめる涼太郎を、晶矢は眩しそうに見つめていた。
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