第14話 海と水族館①(迷子の心配)

 七月二十八日。土曜日。

 朝八時。


「じいちゃん、僕今日ちょっと出かけてくるね」


 朝ごはんを食べ終えて、食器を洗い終わった涼太郎は、脱衣所で洗濯機を回していた重治郎に言った。


「おう、また穂高くんとか?」

「うん」


 涼太郎はそう言って、洗面台から歯ブラシを手に取って歯を磨き始める。

 重治郎は、洗濯機から洗濯物を取り出しながら、涼太郎の横顔をチラリと見やって思う。


(最近確かに涼太郎の表情が明るくなったな。これも穂高くんのおかげかな)


「今日はどこに行くんだ?」


 重治郎の問いに、口を濯いで、口元をタオルで拭いてから、涼太郎は答えた。


「えっと、水族館だよ。そのあと海に行こうって。ちょっと遠いから、あまり遅くならないようにはするけど、先に夕飯食べてて……」


 そう言っている途中で、重治郎がにやにやと笑っているので、涼太郎は怪訝な顔をする。


「なに、じいちゃん」

「いや、お前たちずいぶん仲良くしとるようで良かったな、と思ってな」

「な、仲良く……は、してもらってるけど」

「海と水族館か。昔、あいつと行ったデートコースを思い出すなあ」

「はぁ⁉︎ で……デート⁉︎」


 涼太郎が顔を赤くしてたじろぐのを尻目に、重治郎は「ハハハ」と笑いながら、洗濯物をリビングへと運んでいく。


「まあ、気をつけて行ってこいよ。小遣いは大丈夫か」


 揶揄われた涼太郎は、少しいじけた様子で頷く。


「この間夕飯代ってくれたやつ、まだ使ってないから、大丈夫」

「そうか」


 重治郎がベランダで洗濯物を干し始めたので、涼太郎も干すのを手伝う。


「あ、そういえば……」


 タオルを物干し竿に干しながら、涼太郎はふと、先日の原田さんの言葉を思い出した。


「この間、原田さんに言われたんだけど、じいちゃん、佐原さんって知ってる?」

「!」


 その名前を聞いた途端、重治郎の手がぴたりと止まる。


「あの、川のところの大きな家の……」

「知らんな」


 涼太郎が言っている途中で、重治郎が被せるように言う。


「あんな奴は、知らん」


 ぶっきらぼうにそう言って、また洗濯物を干し始めた。


(うーん、これは知ってるな)


 しかし、触れられたくない、話したくない、何か理由があるのだろうか。


「その、佐原さんのお孫さんに、水族館のチケットを貰ったんだ」

「あいつの孫に?」

「同じ学校の先輩で、最近仲良くして貰ってて……」

「何じゃ。お前、佐原の孫とも友達なのか」


 重治郎に春人のことを「友達」と言われて、涼太郎は咄嗟に訂正しかけたが、先日春人から「友達だよね?」と念を押されたことを思い出して、なぜか否定することが出来なかった。


「とっ、友達……だよ」

「何とまあ……」


 重治郎は嘆息して驚いた様子で涼太郎を見る。



 するとそこで、玄関から「ピンポーン」とチャイムが鳴った。


 涼太郎は、晶矢と“駅前に九時”と約束したはずだが、時計を見ると今八時二十分だ。

 もしかして……と思いながら、玄関を開ける。


「おはよ。ごめん朝早くに」


 予想通り、晶矢が立っていた。

 少し申し訳なさそうな顔をしている。


「おはよ、晶矢くん。来ると思ってた」

「お前に預かってほしくて、持ってきた」


 背に背負っているギターケースを指して、晶矢が言う。涼太郎は「うん」と頷いて微笑んだ。


「お邪魔します」


 涼太郎に家に招き入れられて、晶矢が廊下を歩いていると、重治郎が奥からひょっこり顔を出した。


「いらっしゃい、穂高くん。今日は早いな」

「おはようございます。朝早くにすみません。出かける前に、ちょっと涼太郎に用事があって」


 晶矢が丁寧に挨拶をすると、重治郎はにっこりと微笑んで言った。


「海と水族館に行くんだってな。涼太郎は、あんまり周りを見とらんから、迷子にならんようにしっかり見といてくれ」

「はい」


 重治郎の言葉に晶矢が素直に頷くと、涼太郎が慌てて言った。


「ちょ、迷子って! 人のこと、子供みたいに言わないで……」

「うーん、でも実際お前周りあんま見てなくね?」

「お前、子供の頃何回も迷子になって、泣いとったろう」

「ななな、なんで二人して、僕を、揶揄って……」


 確かに涼太郎は普段から俯きがちなので、余り周りを見ていないところがあるが、いくらなんでも子供扱いし過ぎだ。

 涼太郎はそう抗議しようしたが、二人とも気遣うような目で、涼太郎を見つめてくる。真剣に迷子になるのを心配されていると分かって、涼太郎は顔が真っ赤になった。


「分かった、分かったから! 気をつけるから、二人ともそんな目で見ないで……!」


 そう言って手で顔を覆って、涼太郎は自分の部屋の扉を開け、逃げ込むように入ってしまった。


 廊下で重治郎が晶矢に言う。


「お茶でも持ってこようか」

「あ、お構いなく。すぐ出るので」


 晶矢がそう遠慮すると、重治郎が涼太郎には聞こえないような静かな声音で言った。


「あの子は人混みが苦手で、人酔いして具合が悪くなったりするから、よく見といてやってくれ」

「! はい」


 重治郎の言葉に、晶矢はこくりと頷く。


「涼太郎と友達になってくれて、ありがとう。本当に感謝しとる。あの子は今までずっと一人じゃったから」

「逆に俺が感謝してます。涼太郎に」


 晶矢がそう言って微笑むと、重治郎も同じように微笑んで言った。


「穂高くん。涼太郎のこと、これからもよろしく頼むな」

「はい」


「まだ何か僕のこと言ってる?」


 晶矢が頷いた直後、涼太郎が二人の様子を訝しがって、部屋から顔を覗かせる。


「「いや、別に」」


 晶矢と重治郎は、二人声をハモらせて、涼太郎ににっこりと微笑んだ。

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