第6話 雨上がりの木曜日①(直生くんと散歩)

 七月二十六日。木曜日。


 戻り梅雨だろうか、月曜から昨日に掛けて、まとまった雨が降った。


 原田さんちの愛犬ムサシの散歩は、昨日行くはずだったが、雨足がひどくて行けなかった。


 今日は朝からどんよりと曇ってはいるが、雨は止んでいる。天気予報では、これから天気は回復していくだろうと言っていた。雨上がりだからか、気温もそこまで高くない。

 そこで涼太郎は、原田さんに電話して、午前十時くらいにお伺いすることになった。


 原田さん宅へお邪魔すると、いつものように、原田さんがムサシを抱えて出て来た。ムサシが嬉しそうに涼太郎に尻尾を振っている。


 ただ、いつもと違うのは、原田さんの後ろに、小さい影が涼太郎を窺うように隠れていることだった。


(子供? お孫さんかな)


「昨日はすごい雨だっわねぇ。やっと止んでよかったわ。ムサシも久々に散歩に行けるからか、喜んじゃって」


 確かに、いつもより興奮気味のムサシは、リードをつけると、早く散歩に行きたくて、玄関先をうろうろしている。


「今日は孫が遊びに来ていてね。ほら、直生なお、こっちおいで」


 原田さんに促され、おずおずと顔を出したのは、小学生低学年くらいの小さな男の子だ。


「……こんにちは」


 もじもじしながらも、ちゃんと涼太郎に挨拶してくれたので、涼太郎も「こんにちは」と挨拶を返す。


「孫がね、どうしてもムサシの散歩に行きたいんですって。でも、この子一人じゃ行かせられないから、涼太郎くん。もし良かったら、一緒に連れて行ってやってくれないかしら」


 原田さんにそう提案されて、男の子を見ると、じっと涼太郎の反応を待つように、見つめられる。


 視線恐怖症の涼太郎も、小さい子供に見つめられる分には大丈夫だった。


(かわいいなぁ。そうだよね。こんな小さかったら一人じゃ行けないよね)


「じゃあ一緒に行く?」


 涼太郎が男の子に聞くと、男の子は目を大きく開いて、嬉しそうに「うん!」と頷いた。


「涼太郎くん、ありがとう。直生、ちゃんとお兄ちゃんの言うことを聞くのよ」

「はーい」


 原田さんがそう言って、男の子に水の入ったペットボトルを渡して、使い方を説明する。


「じ、じゃあ行って来ますね」

「よろしく頼むわね。気をつけていってらっしゃい」


 原田さんに見送られて、二人と一匹は早速散歩に出発した。



 雨上がりの河川敷は、水の匂いに満ちていた。

 土手の上から川を見れば、茶色く濁って増水していて流れが速い。


(うーん、今日は川の近くはやめた方がいいな)


 今日は原田さんの孫の直生もいる。危ないので土手の下の道を行こうと、涼太郎は直生に手招きをした。


「いつもはこの川沿いの道を散歩するんだけど、今日は危ないから、違う道にしよう」


 涼太郎がそう言うと、直生はこくりと頷いた。


 一旦上がった土手から降りて、下の住宅街の道を歩く。ムサシが電柱の根元にマーキングしたので、直生がペットボトルの水をかけた。


「これでいいの?」


 直生が涼太郎に確認してくる。

 出かける時に原田さんに教わった「ムサシがマーキングしたら水をかける」というのを、ちゃんと実践出来て偉い。


「うん、ばっちりだよ。ありがとう」


 涼太郎が微笑んでそう言うと、直生は照れくさそうに「えへへ」と笑った。


「直生くんは、何年生?」

「小学一年生」


 歩きながら直生に聞いてみると、ピカピカの小学一年生だった。


「お兄ちゃんは何年生?」

「えっ、僕は高校二年生だよ」

「へえー大人だねえ」


 直生が感心したように言う。


 この子から見れば十歳年上の涼太郎は、大人に見えるのかもしれない。身体だけは大人と同じほどに成長しても、実際は、自分一人では何も出来ない、心は子供のままだ。無力感を感じることも多い。


(大人になったら、自分も少しは変わるんだろうか)


 直生の純粋な気持ちから出た言葉に、涼太郎は眩しさを覚えた。



 ところどころ水たまりがある所を避けながら、しばらく歩いていると、ある所でムサシがふと立ち止まった。


「あれ? どうしたの? ムサシ」


 動かなくなったムサシを心配して、直生が声をかける。ムサシは民家の生垣をじっと見て立ち止まったままだ。


(何か気になるものでもあるのかな?)


 涼太郎が、ムサシが見ている場所にふと目をやると、ガサガサという音がして、生垣が揺れた。

 そして、茶色い顔が「ワンッ」と鳴きながら、ぴょこっと出て来た。


「⁈」


 涼太郎と直生は、突然出て来た犬の顔に驚く。

 ムサシが「ワンッ」と茶色い犬に返事を返すと、涼太郎は「あっ」と思い出した。


「……コジロー⁉︎」


 涼太郎は見覚えのある柴犬の顔を見て、思わず名前を呼んだ。


(ここ、もしかして……この間、あの人を送り届けた家の裏手?)


 と言うことは。


「あれ? その声、もしかして涼太郎くん?」


 生垣の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえる。

 春人だった。

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