第18話 夏休み二日目①(猫の呼ぶ声)

 七月二十二日。日曜日。



 朝九時。

 涼太郎は、結局昨日できなかった夏休みの課題を進めようと、部屋で机に向かっていた。


 今日は少し曇天だが相変わらず蒸し暑い。気温は日差しがない分、いくらかマシという程度で、湿度が高くて息苦しいくらいだ。


 網戸にした窓からは、風も入ってこない。蝉の合唱と、野良猫だろうか、どこか遠くで時折猫が鳴いている声が入ってくるだけ。


 涼太郎は扇風機のスイッチを中から強にしてみる。すると幾分か暑さがマシになった。


(終業式と夏休み初日のこの二日間で、なんか色々あったな……)


 英語の問題を数ページ解いたところで、昨日のことをつい思い出してしまった。


 穂高晶矢。隣のクラスの同級生。


 二日前の終業式に彼の名前を知ったばかりだが、次の日はうちに来て、音楽を一緒にやることになって、一緒にオムライスを作って、今日も会う約束をして……


(いやいやいや、晶矢くんの行動力どうなってるの)


 凄い勢いでグイグイくる晶矢のペースに、涼太郎は完全に圧倒されてしまっている。


『俺、お前の歌好きだからさ』


 そして平然とした表情で、平然とそんなことを言ってくる。


 涼太郎は晶矢の数々の言動を思い出して、顔に熱が集まるのを誤魔化すように、思わず机に突っ伏した。


(ダメだ……集中出来ない。アイスでも食べよう……)


 ここ数日で色々とあり過ぎて、オーバーヒートしそうだ。頭を冷やすしかない、そう思った涼太郎は、近くのコンビニにアイスを買いに行くことにした。



「じいちゃん、コンビニ行くけど、アイスいる?」


 脱衣所で洗濯機を回している重治郎に声を掛ける。


「おう、あずきのやつがいいな」


 頷いて涼太郎は出ようとしたところで、「あっ」と思い出しまた踵を返した。


「そういえば、じいちゃん。昨日なんで、あの人を僕の部屋に入れたの?」


 涼太郎は昨日のことを、重治郎に抗議する。


「すまんな、何度も起こしたんだが」

「僕がすぐに起きれないって知ってるくせに……」

「お前を折角訪ねて来てくれたと思ったら、つい嬉しくなってな」


 確かに晶矢がわざわざ会いに来てくれた、というのは涼太郎も嬉しい気もしたがそれとこれとは話が別だ。


「今度にしてもらえばよかったのに……」

「また来てくれるかどうかわからんし」

「すごくびっくりしたんだからね」

「真面目そうな子じゃったし」

「でも勝手に入れないで」

「お前が寂しいかと」

「入れちゃダメ」

「わるかった」


 言い訳する重治郎にジト目でどんどん迫っていく涼太郎は、重治郎が謝ったところで止まると、「もう」とため息をついて言った。


「晶矢くんいい人だから良かったけど、もう知らない人を部屋にいれちゃダメだよ。分かった?」

「分かった」

「じゃあ、行ってくるね」


 そう言って、涼太郎は玄関から出かけて行った。


 残された重治郎は、涼太郎の背中を見送りながら、ポリポリと頭を掻いて反省する。


(確かにちと荒療治すぎたかな……)


「しかし涼太郎は、怒るとあいつにそっくりだな」


 有無を言わさず迫ってくるあの怒り方。

 今はもういない妻の姿を、孫に見つけて、嬉しいやら懐かしいやらで、重治郎は苦笑いした。



 近所のコンビニまでは徒歩五分ほどのところにある。

 蒸し暑い外からコンビニの店内に入ると、冷房がキンキンに効いていて、涼しくて気持ちよかった。

 涼みがてら店内を無意味にぐるりと一周する。そして出かける時に祖父の重治郎に頼まれたあずきバーと、自分用のパピコを買って、涼太郎はコンビニから出た。


(アイス、溶けないうちに帰らないと)


 帰る途中、虫取り網を持った小学生たちとすれ違った。うるさいくらいに鳴いている蝉でも捕まえに行くのだろうか。

 つい二、三日前は時折聞こえるくらいだった蝉の声も、今日あたりから盛大に鳴き始めた。


(夏が来たなぁ)


 暑いのは苦手だが、涼太郎は夏の雰囲気が好きだった。




 ちょうど団地の敷地の入り口に差し掛かったところで、涼太郎はふと足を止めた。

 どこからか猫の小さい鳴き声が聞こえてきたのだ。


(あれ? 猫の声どこから……)


 そういえば、部屋にいた時も、さっきここを通った時も鳴いていたような気がする。

 鳴き方がどこか切実な鳴き方だ。


(助けを呼んでいるような……?)


 涼太郎はキョロキョロしながら、鳴き声のする方へ歩いてみる。

 どうやら敷地内に植えられている樹木のあたりから聞こえてくるようだった。


 木の根元まで来ると、木陰にペットのキャリーバッグが置いてあることに気がついた。

 不思議に思ってふと見上げると、涼太郎はギョッとして思わず声を上げた。


「ええっ⁈」


 人がいた。木の上に。猫を抱いている。


(な、なに? どういうこと⁈)


 茶髪で柄物の少し派手なシャツを着た、いかにもやんちゃそうな雰囲気のお兄さんがそこにいた。地面から二メートルくらい上の枝木の上で、にゃーにゃーと鳴く茶色の猫を抱きながら、今にも泣きそうな顔をして固まっている。


 その人物とガッツリと目が合って、涼太郎は声を掛けざるを得なかった。


「ああ、あの……だ、大丈夫ですか?」


「大丈夫、じゃないので、助けて……」


 そのお兄さんは、震えながら言った。



「よしよし、大丈夫だよ」


 涼太郎は、まずお兄さんから猫ちゃんを慎重に受け取る。

 涼太郎が「いい子だね」と声をかけると、猫はにゃーと安心したように一鳴きした。

 怖がらせないように優しく撫でながら、置いてあったキャリーバッグに猫ちゃんを入れて、しっかりと閉める。

 それから、お兄さんにおずおずと声をかけた。


「お、降りれますか?」


 お兄さんは、また震えながら首を横に振って言った。


「ごめん、怖い……肩貸して……」

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