第8話 君の為の曲-仮歌-

 やっぱり夢でも見ているのかな。


 晶矢は指で弦を弾きながら、不思議な感覚に囚われていた。


 まただ。ここだけ世界が切り取られたような感覚。


――歌が聞こえる。あいつの歌声が。


 晶矢の演奏に合わせて、主旋律のメロディラインを、いつの間にか涼太郎が歌い始めていた。


 元々歌詞はまだついていない曲だった。

 ラララと仮で歌っていたところに、二回、三回と曲を繰り返し演奏していくごとに、涼太郎が自分で今思いついた歌詞を、即興で当てていく。


((何だ、これ……))


 二人とも訳がわからないまま、夢中で音を奏で続ける。

 止められなかった。

 あの時と同じ高揚感が二人を包んでいた。


 もう何回目のリピートか分からない。

 しかし、全ての歌詞のピースがハマった瞬間、唐突に静寂は訪れる。



 歌詞が完成した瞬間だった。



 二人はしばらく動けなかった。



 二人の間をふわりと風が吹き抜けていった。

 ベンチに置いたノートのページがパラパラとめくれる音がする。



 呆然としながら、二人はゆっくりと顔を見合わせた。


 そして目があった瞬間。


 あの時と同じように、二人の目から何故か涙がぽろりとこぼれ落ちた。



「「は?」」



 お互いの気の抜けた声がまた重なる。


 そして、涼太郎の顔がだんだん真っ赤になったと思ったら、そのまま「わあああーーーー」と叫び声をあげながらベンチから転げ落ちた。


「お、おい、お前まさかまた……」


 晶矢は嫌な予感がして、涼太郎の方に手を伸ばそうとする。


 が。


 涼太郎はもの凄い勢いで慌てて立ち上がると「ごめんなさいーーーー」と叫びながら、転がる脱兎のように公園の外に走り去っていった。


 晶矢は思わず、遠くなっていく涼太郎の背中に向かって叫んだ。


「逃げるなっつってんだろ!」


 またも一人公園にポツンと残された晶矢は、大きなため息をついた。


「あいつ、またかよ……! 毎回やり逃げしやがって……!」


 ただ曲を聴いてもらいたい、と思っていただけだった。それなのに、まさか歌詞までつけるなんて。


(歌詞を勝手に完成させといて、逃げるとかありえないだろ!)


 背筋がまだぞくぞくしている。


 あんな歌、人に聴かせるだけ聴かせて、逃げていくなんて。


 スマホで録画なり録音なりすれば良かった。あいつの歌った歌詞全部は覚えてない。


 折角やっと会えたのに。


『いつか俺が作った曲を、誰かに歌ってもらいたい』


 ずっとそう願っていた俺の夢を、あいつはこんなにあっけなく、叶えてくれてのに。


 あいつのこと、何も知らない。

 もっとあいつのことが知りたかった。


 あいつが「隣のクラスのやつ」で「コミュ障」ということしか分からなかった。


(せめて名前くらい言えよな……!)


 明日から夏休みだ。

 次に会えるのは夏休み明けになるかもしれない。


 晶矢は途方に暮れて、もう一度ため息をついた。


 仕方なく帰ろうと、ギターをケースに仕舞い、ノートを鞄に入れようとした時だった。


「ん?」


 ふと地面を見ると、何か黒いものが落ちている。


(……手帳?)


 うちの学校の生徒手帳だった。

 拾って、表紙についた砂をはたき落とし、ページを開いてみる。



『二年三組 花咲涼太郎』



 多分さっきベンチから転げ落ちた時、落としたのだろう。

 涼太郎の生徒手帳だった。

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