第2話 始まり②(晶矢の場合)
自分が「好き」だと思うことを守るためには、どうすればいい?
俺は音楽が好きで、ギターが好きだ。
だけど世の中は、好きなことだけをやって生きていける訳じゃない。好きなことをやるためには、嫌な事や、やりたくない事もやらなきゃならない。
俺は自分の『好きなこと』のために、他の全てから逃げないで、ちゃんと向き合ってきたつもりだった。
大切な夢を守るために、俺が出来ることは、全部。
だけど、俺にはもう無理なのかもしれない。
余りにも無力過ぎて。
無機質な日々を送るだけのつまらない人生が、どこまでも目の前に広がっているような気がした。
この日、あいつに会うまでは。
七月十三日、金曜日。
一学期の期末試験が終わって数日後の今日は、三者面談で母が学校に来ている。
(早く終わらないかな)
放課後の進路相談室で、俺は内心そう思いながら、担任の先生と母の話を聞いていた。
これまでの成績や来年受験する志望校の話もようやく終わり、帰り際先生と母が雑談している時だった。
「そういえば、音楽の先生で軽音部顧問の山下先生が、穂高くんのギターを褒めてらっしゃいましたよ」
「そうなんですか?」
「せっかく上手に弾けるのに、部活に入らないのは勿体無いと。放課後校舎の裏で練習しているのを、私もたまに見かけますけど、本当に上手ですよ」
担任の先生が褒めはやす様にそう言うと、母は困ったように愛想笑いを浮かべながら言った。
「部活はうちはやらせないんですよ。塾があって」
俺が一年の時に軽音部に入りたいと言ったら、両親揃ってダメだと言われた。必死に頼んだが、ダメの一点張りで、部屋にあったギターも捨てられそうな勢いだったので諦めたのだ。
それ以来、ギターは音楽の先生に頼み込んで、学校に置かせてもらうようになった。だから母は俺がもうギターを辞めたと思っていたのだろう。
「あなたまだそんなことしてたの?」
母の視線が、先生から俺に移る。
「もう子供じゃないんだから、そんなくだらないこといつまでもやってないで、将来のことを真剣に考えなさい」
進路相談室の中は、さっきまで蒸し暑かったはずなのに、指先が氷のように冷たくなる。
耳が遠くなって、担任の先生と母が話している内容も、全く分からない。まるで自分だけが隔離されたように、視界が狭まっていく。
血の気が引く、と言う感覚を始めて知った。
――どうして。そんなこと言うんだよ。
いつの間にか話が終わったのか、先生と母が席を立つ。
「穂高くん、どうしたの? 顔色が悪いわよ」
黙って椅子に座ったまま動けないでいる俺に、先生が心配そうに声をかける。
「晶矢?」
母が俺の肩に触れようとした。
その瞬間、俺は弾かれるように相談室を飛び出していた。
――勉強して、進学して、ちゃんとしたところへ就職しなさい。
――遊んでばかりいるから、成績が下がるんだ。
――◯◯さんちの△△くんは、有名大学に合格したらしいわよ。
――全部お前のためを思って言っているのよ。
吐きそうだ。
子供の頃から親に言われてきた言葉が、グルグルと頭をよぎる。
俺には特に将来の夢もなかった。
親の言うことを聞いて、いい学校に行って、いい会社へ就職する。それが自分のためになる。
親や周りの大人たちにそう言われて、俺は素直に、世の中はそういうものなのだろう、と思っていた。
だから、何となくただ毎日を、誰かに言われた通りに生きている。そんな無機質な日常を送っていた。
けれど中二の夏、好きな音楽に出会ってから、俺の世界は一変した。
知ってしまったのだ。「自分でやってみたい」と思うことを。
イヤホンの中から聴こえてくるエレキギターの音が、俺の心を揺さぶって離れなかった。
(俺もこんな音を弾けるようになれるかな……!)
小遣いやお年玉を貯めて買ったギターで、わくわくしながら一生懸命練習した。
最初は好きなバンドの曲、流行りの曲やネットで聴いた曲、片っ端からコピーして弾きまくった。
左手の指先が固くなって、色々なフレーズを弾けるようになってきた時は嬉しかった。コードや譜面の書き方も覚えて、拙いながらも自作の曲も作ったりした。
けれど、俺がギターを始めたことを両親は快く思わなかった。ギターなんてやって何になる。成績が下がる。素行が悪くなる。
そんな一方的な偏見で、自分が好きで一生懸命やっていることを「やめろ」なんて言われたくなくて、俺はこれまで通り成績をキープして、高校受験も親の望む進学校にちゃんと合格した。
『いつか俺が作った曲を、誰かに歌ってもらいたい』
生まれて初めて自分が「やりたいと思った夢」を守るために。
だけどそんなささやかな夢も、「くだらないこと」の一言で、一瞬で一蹴されてしまった。
自分の心が感じた感動もやりたかった夢も、たったその一言で、全部踏みにじられて、全部否定されたのだ。
途方もない絶望感が俺の感情を奪っていく。
全部、俺にとっては大切なものだったのに。
(もう、無理なのかもな―――)
守れずに砕けていく夢をただ見ているくらいなら、いっそのこと手放してしまおうか。
気がつくと俺は、どうやって辿り着いたのか、ギターを肩に担いだまま、いつの間にか家の近くの公園のベンチに座っていた。
夕陽が辺りを照らしている。
随分長いこと、ここで呆然としていたのかもしれない。眩しさに思わず空を仰いだ。
夏の訪れを知らせる入道雲が、遠くで夕陽に照らされて輝いている。白い三日月が静かに浮かんでいて、何もかもを見下ろしていた。
(ああ、綺麗だな……)
ぐちゃぐちゃした感情が、一瞬凪いでいく。
余りにも美しい夏の始まりだった。
それから唐突に誰かの歌声が、空に溶け込むように響いた。
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