そして僕らは。【オリジナル楽曲付小説】
さかなぎ諒
第一章 そして僕らは。
第1話 始まり①(涼太郎の場合)
僕は、子供の頃から歌うことが「好き」だった。
けれど昔のことは思い出したくない。
まるで息ができなくなるように苦しくなってしまうから。
過ぎ去った恐ろしい日々の向こうから、懐かしい誰かの声が僕をずっと呼んでいる。
でも、聞こえないふりをする。
そしてこのまま、僕の中で埋もれて、誰にも見られないように蓋をする。恐ろしい過去も、幼い頃描いた大切な夢も全部丸ごと。
僕は誰からも気付かれないように、ひっそりと生きていく。そういう人生でいい。
高校二年生、十六歳の夏。
僕はずっとそう思っていた。
この日、あの人に会うまでは。
七月十三日、金曜日。
今日は学校の授業が短縮授業だったので、放課後、僕は駅前のカラオケ店にいた。
一人カラオケ、所謂ヒトカラを楽しむためだ。
僕の数少ない趣味で、学校が早く終わった時や、週末の休みにたまに来て、流行りの歌やネットで聴いた歌、昔の歌など、好きな曲を思いっきり歌う。
このひとときだけは、僕が自分をさらけ出せる唯一の時間。
幸せを感じる時間だった。
そうして好きな歌を一人で歌い続けて約二時間。
十五分前で少し早いけれど、終了時間の電話連絡が来る前に部屋を出ることにする。人との会話が苦手なので、いつもそうしている。
僕はいわゆるコミュ障というやつだ。
カラオケ店の廊下で、楽しそうに話す他の学校の生徒たちや、若いカップルなどとすれ違った。
本来なら友達と来て歌ったりした方が楽しいのだろうが、僕には一緒にカラオケに行く友達もいない。
クラスでもいつも一人だが、その方が気楽だった。
僕は人の視線が怖くて、人と目を合わせられない視線恐怖症だ。
人と会話するときも、うまく言葉が出てこない。人の前に立つと、体が震え足がすくんで、頭が真っ白になってしまう。
だから、僕はいつも人の顔を見ないように俯いている。髪の毛も目元を隠すように、もっさりと伸ばしっぱなしで、そのせいか視力が段々悪くなってしまった。
今では眼鏡をかけるようになったが、人の視線から守ってくれる防具のようで安心する。
空気のように誰にも気づかれないように、ただ毎日息を潜めてやり過ごすのだ。学校で誰とも話さないまま、何事もなく一日が終わるとホッとする。
誰かと目を合わせたり、会話したりすることは、僕にとっては恐怖でしかない。
毎日を平穏無事に過ごし、たまにこうしてヒトカラで思い切り歌うことが、自分にとってささやかな幸せだった。
黙々と会計を済ませてカラオケ店から出ると、陽がだいぶ傾いていた。蒸し暑い空気が肌に吸い付いてくる。
先日期末テストもようやく終わって、もう直ぐ夏休みだ。夏休みはほとんど予定はないが、学校で息を潜める日々から、もう少しで解放されるのは嬉しい。
(あ、そうだ。キャベツ買うんだった)
カラオケで至福の時間を過ごした僕は、帰り道にあるスーパーに立ち寄った。
今度の授業に使うノートと、家族に頼まれたキャベツ一玉を買ったが、少し気が抜けていたのだろう。「袋いりますか?」と聞かれ、小声で「いいえ」と答え会計した後に、エコバッグを家に忘れていたことに気づいた。
(しまった、エコバッグがない……)
やっぱり袋下さい、なんて今更コミュ障の僕が言えるはずもなく、仕方なくキャベツを小脇に抱えて、そそくさと店を出る。
(ああああ、恥ずかしすぎる……)
昨日買い物した時に使ったエコバッグを、家のテーブルに置いたまま、うっかりしまい忘れた自分を呪った。
夕方の駅前の雑踏の中を、なるべく目立たないよう、俯いて早足で歩いていく。
すれ違う人が自分を見ていないか、気が気ではないが、顔を上げられない。
誰も僕に気づきませんように、と祈りながらどんどん歩けば、商店街を抜けて、人の通りもまばらになった。
いつの間にか家の近くの公園のところまで帰ってきていた。この辺りは普段から人通りが少ないので、ホッとして速度を緩める。
すると僕の視界が、ふと眩しくなった。
夕陽が辺りを照らしていて、思わず立ち止まって顔を上げると、遠くの空に入道雲が見えた。
キラキラと光る雲の輪郭が、高くそびえ立って、夏が始まる予感を僕の目に鮮明に焼き付ける。
(うわぁ、凄い入道雲……!)
余りにも美しい夏の始まりだった。
(綺麗だなあ……)
季節が移ろう瞬間を切り取ったような景色。
僕は何だかどうしようもなく胸が高鳴って、ついうっかり歌を口ずさみたくなった。
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