第144話 その輝きは

 このときのボーラは涙目どころか大泣きであった。いつもの軽口すら口にせず、ムデンを見ている。

”ど、どうすれば”

”急ぎすぎだ。エルフも人間も、信じたいものを信じる。それを曲げるつもりなら、準備と時間がいる”

 ムデンはそう念じると、背もたれのない椅子を二つ投げた。魔法でウリナとテティスを座らせると、そのまま椅子をすべらせて屋台のほうへ寄せる。

 驚いた様子の二人が喋るよりも早く、ムデンは口を開いた。

「騒がせたな。詫びだ」

 ムデンは焼き菓子クッキーを出した。牛酪をたっぷり使ったものでもともとはボーラとムデンがエルフの国ではじめて食べたものを改良したものだった。今では田舎風と呼ばれる丸い形の小麦、卵、砂糖、牛酪を混ぜ合わせて天火で焼いたものである。

 エルフの口には合わないのでもっぱら元人間のムデンと羽妖精のボーラが食べるために、まかないとして少数作っていたものだった。

「これは」

 焼き菓子の表面に描かれた図案を見てウリナが驚いた。アガタ家の紋章である扁桃アーモンドの花だったのである。

「まあまあの出来だ」

 ムデンにそう言われ、ウリナはうさんくさいエルフの魔法使いと焼き菓子を交互に見て、かじった。目線を上にやって、しばし咀嚼する。口の中でほどける濃厚な味。

「人間の作った焼き菓子みたいな味がするな」

「だろうな」

 ムデンは少し微笑むとテティスを見た。テティスは身を固くして、こちらを見ないようにしていた。見たが最後、死んでしまうというように。

「食中毒は解決したそうだな」

 ムデンはそれだけを言って、吟遊詩人に追加の酒を注いだ。今度は林檎地酒という林檎酒を仕込み水にした強い酒である。当時としては大変高価な酒であった。

「魔法使い様がなんでまた屋台を?」

「最初から魔法が使えたわけじゃない」

「なるほど。そんな話は聞いたことないが……。それともう一つ、そこでしょげてる羽妖精が、さっき言ってたのは……」

 ムデンが口を開こうとすると、表の路地からおいたわしいと大声が聞こえた。気づけばエルフの老人に引きずられた貴族が近づいてきている。貴族としては本意ではなかろう。昼間屋台がでているような裏路地には、普通貴族は近づかぬ。

「見つけたぞ、見つけたぞ、シレンツィオ! ニクニッスの天敵、閉じ目夜に現れし騒々しい足音!! 豪華絢爛たる死の舞踏! またもわしの前に現れたか!」

 ホーナー元侯爵であった。火の矢を十六本出現させながら確固たる足取りで近づいてくる。

 ムデンは料理用の短剣をくるくる回しながら握り直した。飛んできた火の矢を短剣で切断して全弾無効化した。ありふれた料理用の短剣がムデンの持つ短剣熟達の権能の効果を受けて金剛石で作られたかのように燦然と輝きだしていた。

「ホーナーか。今日はまた随分と、昔なじみばかりがやってくる」

「そうか。やはりそうだったんだな」

 吟遊詩人が顔をあげた。

「ニミュエとギネヴィアの呪いを受けたお前が死ぬはずもない」

 吟遊詩人は盲目の瞳に何も映さず壮絶に笑うと、懐剣を抜いて下がった。

「手伝うぞ、ニクニッス。シレンツィオを倒したらその後でお前らを殺してやる」

「俺の味方じゃなかったのか。ラベル」

 ムデンがなんの表情も浮かべず言うと、吟遊詩人は剣をムデンに向けた。

「だがもう一度戦いたいのだ。シレンツィオ。そうすれば俺は、誇り高い戦士として終わる」

 吟遊詩人は狂っていた。否、狂う場所を探して、ずっと流浪の旅をしていた。

「おいたわしい」

 老人に引きずられたキーオベンチはそう言うと、どうにか引きずられるのをやめ、立ち上がってムデンに頭を下げた。

「どこの誰かは知らないが申し訳ない。ここのご老人は最近調子がよかったのだが、急におかしくなってしまったのだ」

 歴史的に見ると一番破滅的な狂人であるはずのキーオベンチ男爵が、この場で一番もっともらしいことを言っていたという資料を見た時、多くの人は当惑する。しかし、事実である。キーオベンチは金貨の詰まって小袋をムデンに投げると、すまんがここは逃げてくれと言った。あとで必ず探し出して、きちんとした謝罪と補償を行うと言い添えた。

 ムデンは思わず笑ってしまった。

「ホーナー。いい部下を持ったじゃないか」

「お前が言うのかシレンツィオ。キーオベンチをこうしたのはお前だというのに。お前が……お前が金糸雀諸島の件でこの男を壊したのだ! お前さえいなければこの男はわしの代わりにもなれた!」

 ホーナーの言葉でキーオベンチははじけた。おいたわしいと言うのをやめて、表情を一変させると、ウリナとテティスとボーラを順番に見て、今夜の癒やしがあると呟いた。

 その目が余程恐ろしかったのか、ボーラとウリナはテティスを抱えてムデンの後ろに隠れている。

「まったくどいつもこいつも仕方のない奴らだ」

 テティスはその声を聞いて顔をあげた。一陣の風が吹いた。どこかへの船出を思わせるような風だった。

 その瞬間、ムデンの姿が、別の誰かに見えたのだ。それは邪悪な企みのことごとく、叩き潰すために名のなき世界が鍛え上げた、人の形をした一振りの宝剣であった。

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