第138話 テティスの独白
猫の目のように場面は変わる。
一方その頃。
テティスは寝台に突っ伏して、泣いていた。連日泣いている。大好きなおじさまに似ている別人(なお、本人)に会って、思いのほか心に打撃を受けていた。
ムデンは自分の経験から親から離されようと、大事にしようと思っていた許嫁が立て続けに死のうと、あるいは傷を癒してくれた恋人と別れてアルバを助けるための長期航海に出ようと、終わりなき対エルフ戦争に身を投じてたくさんの友を失ったとしても、最終的には時間が解決して人間の年で二年もすれば傷も癒え、優しい心だけが残ると信じて疑っていなかったが、人間年で七年超えていても、テティスはまったくと言っていいほど立ち直ってはいなかった。むしろ、それまでの短い時間が人生最良の日々だったと信じて疑ってなかっただけ、現実から目を背けて悪化していた、ともいえる。
「まーだ泣いてるのかよ。お前体小さいんだから、そのうち干からびるぞ」
テティスの部屋に訪れてそう言い放ったのは、ウリナである。彼女はムデンの顔をまともに見る間もなく、泣き出して走り出したテティスを追っていたから、特にどう、ということもなかった。
それどころかしゃくりあげながらムデンがおじさまに似ていたなどとテティスが言うと、面白がった。
「マジかよ。あんな適当人間に似たエルフなんている?」
「おじさまは適当ではありません! 勝手に決めつけないで」
「お前シレンツィオを聖人かなんかと思ってないか。教会じゃあるまいし検閲しようなんて思うなよ」
「なんでそうなるのですか」
テティスは顔をあげて迷惑そうにウリナを見た。このあたり、ウリナの生国であるアルバという国の文化が多分に関係している。
この頃、男の聖人(アルバでは女性の聖人が大多数なのだった)を題材に芸術が華やかに花開いていた。だいたいが性的な絵画や彫像である。本邦と違い、この時代のアルバは宗教画から春画の類が分離していなかったのである。当然のように、過激で猥褻な宗教画が増えると教会は激怒した。それで宗教画や彫像を検閲する、ということまでやっている。ウリナはこのあたりを背景にしてテティスをいさめたのだが、テティスはさっぱり、分かっていない。文化の違い、というやつである。
通じないのを見てウリナは面白くなさそうに髪をかきあげると、言葉を変えた。
「要するに、シレンツィオをお前が決めつけるなって話だ。私にだってその権利はある」
そう言われて、テティスは心底悔しそうにした。唇を間で横を見たのである。とはいえそのおかげで、泣きやみはした。
「泣きすぎて瞼腫れてるじゃん。冷やさないと」
ウリナに言われて、テティスは目の周りに氷を生成した。ウリナは驚き、笑った。
「何回見てもすげえな!」
「古代人は大変ですね。あぁ」
「なんだよ。またシレンツィオか?」
「おじさま、魔法を使えなくて困ってないかしら、それが心配です」
「絶対困らないと思うぞ。人間魔法なしで何千年もやってるし」
「おじさまは料理に役に立つと喜んでいました」
「それな。シレンツィオが料理なんてどうも想像できない」
ウリナはそう言って、難しい顔をした。彼女はテティスほど、シレンツィオの生存を信じてはいなかった。
「そうなのですか?」
「ああ。短剣を使うのはうまいが、料理しているところなんか見たこともない」
別々の人のことを話しているような気分になる。テティスはため息をついて、身を起こした。
「それもこれも、会えば分かるのです。探しましょう」
「お前三日も泣いてたじゃん」
「それは、だって……」
「一応言い訳は聞いといてやるよ」
ウリナは面白そうに言った。テティスはうつむいて、独白を始める。
「すべてはあのムデンという男が悪いのです。まず私を見る目が優しすぎました。おじさまの目つきより優しそうだったので私は傷ついたのです」
「お、おう」
ウリナが相槌のような何かをうつと、テティスはだんだん早口になりながら言葉を続けた。
「さらには声です。声はもう完全におじさまでした。見た目は若いのに、あんなに若いのに!」
ひどくずるいことをされたようにテティスは枕に八つ当たりをした。ちなみにエルフの国々では枕は柔らかい。固いと長い耳を痛めるからである。このため、ぽふぽふ、という感じになった。
「そのくせ別人なのです! 怒って当然です!」
「まあなんというか、シレンツィオのことが好きってことは分かったよ」
「だから最初からそう言っているでしょう」
「ああうん。私も小さいときはそんな感じだったのかなあ」
ウリナがいうと、テティスは不思議そうにした。
「老婆のようなこと言いますね」
「私のほうがお前の半分と生きてないけどな。さておき」
すべてはウリナの狙い通り、シレンツィオで傷ついた心はシレンツィオで癒すことができた。次は本題である。
「そのムデンって奴に会いたい」
「私は嫌です」
「そう言うなよ、なんか関係あるかもしれないだろ。シレンツィオの子供かもしれないじゃん」
「おじさまは私と同い年です」
「はいはい。まあ、いいからいいから。ついでに私の推理につきあってくれよ」
「推理、ですか」
「そう。シレンツィオが生きてたら、手紙の一つだって送ってきてもおかしくないだろ?」
テティスはそれが全然分からなかった。またも、文化の違いである。
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