第134話 トリッパ
翌日になると、ムデンは朝から料理をしている。この頃になると厨房には子供たちから選ばれた料理好きや娼婦をやめて料理人になった女たちなどによって随分と大人数になっており、普通に屋台町を動かすのにムデンの力は必ずしも必要なくなっていた。
ムデンはそれを利用して、新しい料理を作ろうというのである。新しい料理があればそれの売り込みという名目で幼年学校に行ける、というわけである。
ムデンが用意したのはその日の朝に解体したヤギの内蔵、玉ねぎ、薄荷(ミント)、人参、匂いの強い野菜、塩、胡椒、乾酪、にんにくである。魚醤代わりに醤油、酢、そして植物油もある。
肝になるのは薄荷であった。アルバでは内臓料理に薄荷を必ず使うと言って良い。臭い消しと食あたり防止である。
まずは、汚れてもいい服に着替える。水を大量に用意して、内蔵を切りながら洗う。内容物が入っていると悲惨なのだが、この頃は絶食させて〆る、という概念がない。この時点で臭くて涙や鼻水が止まらぬものも多い、臭いが移って数日、他人から忌避されることもある。現代であれば洗濯機を使うが当時はそんなものがない。内臓料理は臭いとの戦いなのである。
次に大鍋に張ったたっぷりの水で、内蔵を茹でる。とにかく茹でる。半日茹でる。この時、臓物の発する強烈な臭いでばたばた人が倒れる大変に危険なものなので、郊外でやる。町中でやると殴り合いが発生するほどのものである。
灰汁を捨てながら半日もするとようやく食べられるくらいの臭いと歯ごたえになり、噛みちぎれるようになる。一度水気を切り、鍋と水を変えて玉ねぎ、人参、匂いの強い野菜とともに茹でる。小さければ人参も玉ねぎも皮も剥かずにそのまま煮込んでしまう。醤油を投入、酢も入れる。煮込んで水かさが半分に減るまで行う。アルバの正式な献立では醤油ではなく魚醤であり、入れる頃合いは最後の最後なのだが、醤油は魚醤ほど加熱しても匂いが立たないので味が染み込むように早めに入れるのである。これでまた、二時間は煮る。
長時間の下茹で脂が落ちてしまうので完成直前に補うために乾酪と油も入れる。この最後の煮込みに再度薄荷を入れ、塩胡椒で味を整える。本邦では乾酪のかわりに味噌、現代アルバでは唐柿(ルビ:トマト)を入れて煮込む。
最後に内蔵を取り出して薄荷をちらして完成である。野菜も食すのであれば、煮る前に切っておくのが普通である。また煮込みに使った薄荷を捨てる。
こうしてできた料理を、アルバではトリッパという。現代では牛の内蔵でつくるのだが、山都では山羊を使う。ちなみにほぼ同じ手順で山羊の肉を煮込む時もある。山羊の肉は独特の臭いを持つので、突き詰めた結果内蔵料理とほぼ同じになったのだろう。一〇〇年ほど前では内蔵も肉も一緒に煮られていたところもあったようである。内臓と肉では性質が異なるので、あまり美味とは言えなかったろう。ちなみにアルバでは内臓と肉を混ぜて料理することを極端に嫌うので、ムデンが作ったそれは、内臓だけで作っていたはずである。
一般に内臓料理は安いとされるが、見てきたようにこの時代では手間暇燃料から、そう安いとも言えない。それでも内蔵を食べるのは好き好んでの話である。
ボーラは肉食をしないので、ムデンは一人で試食する。山羊の胃は噛み応えがあり、噛む内に旨味が溢れてきた。
「完成とするか」
今度はこれを町中に運ぶのである。重労働と言ってよい。逆に言えば学校の食堂では作れず、また出てこない料理なのでこれならテティスを呼べるとムデンは思ったのである。
正確には、噂を聞きつけたルクレツィア(ウリナ)が故郷の味恋しさにテティスを連れて来る、と踏んだのである。それまで高値でちびちび売るつもりだったのだが、屋台に出すと一瞬で全量が消えた。酒のアテに最高だったのである。特に麦酒との相性が良く、騎士と酔っ払いと肉体労働者が輪になって踊るように回りながら消費してしまった。
ムデンが難しい顔をしたのは言うまでもない。毎日作っても毎日全部消費され、販売前の最前列でシリヴリンがトリッパはまだですかという顔をしているので、ついにムデンは日をあけて作ることにした。シリヴリンのそれは尻尾があれば全力で振っていた顔であった。
食べる方はさておき、作る手間暇がかかりすぎる。
そこでムデンは麓の村々で手に入れたハムやらベーコンを炭火で直焼きし、表面が泡立つと薄焼きのパンで挟んで食べるという料理を持ち出した。ここでも薄荷と発酵乳と塩を混ぜたかけ汁を足すのである。炭火の臭いと清涼な薄荷が組み合わさり、これまた酒とともに消えた。この料理もまた、麦酒と相性が良かった。またもシリヴリンは最前列で注文していた。
おりしも気温は上がる一方である。涼しい山都でも清涼なものが好まれだし、ムデンは麦酒に薄荷と塩を加えて出すようになった。これもまたあたった。本当は柑橘類、中でも檸檬がほしいのだが、ここまで届く頃には輸送費で金塊みたいな価格になってしまっていた。
売上があがるのはいいのだが、これは困ったな。ムデンにしては珍しく、そんなことを思っている。おそらくはシリヴリンの頭を撫でながらそう思っていたのではないか。
困りながらもハムを焼いていたら、匂いにつられたか、ふらふらと子犬ならに少年騎士がやってきていた。マクアディであった。
ムデンはすぐに声をかけている。
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