第132話 再会の宴

 淑女たるものたおやかに、急いで動けば格が下がる。教わった通り、そう思って動いているのだが、つい、駆け足になっていた。

 見知った顔の料理人、確か名前はグァビアと言った。

 それと親しげに談笑するのは……談笑するのは。

 気づけば脚が止まってしまっていた。不意に風を感じた。ひどく懐かしい風だった。いつも吹いているのに、気づかなかった空気の流れ。

 一瞬、おじさまが佇んでいるのを感じた。私を憐れんだりしない、でも慈しんでいるのは権能を使わないでも判る、大きな手。

「おじ……」

 言葉は止まった。違う。眼の前にいたのは、ぜんぜん違う人だった。そもそも古代人ですらなかった。エルフだ。一〇〇年に至ってないような若造。捻じ曲げられた私の趣味嗜好から酷く遠い。

 そうだよね。こんなところにおじさまがいるわけがない。

 私の視線が下を向くのと同時に、ウリナが追いついてきた。私が業者と話すと言うと、ついてきたのだった。

「なんだよ急に走るなんて! はしたないぞ!」

「黙りなさい。あと触らないで」

「なんでぇ、新しい方の人間と人間と一緒だった嬢ちゃんじゃないか」

 グァビアがそう言った。名前だけは由緒正しいエルフではある。太ったハゲ頭でドワーフと言われても納得しそう。かれこれ二〇〇年以上料理人をやっているというエルフで、学校の食堂で一番偉いわけではないが、一番の古株だった。

「そいつが出入りの商人かい?」

 ウリナが私の代わりに交渉している。私はもう一度エルフを見て、おじさまでないことを確認した。おじさまはもっと腕が太かったし、お顔にもシワがあった。目つきだけは合格点をあげてもいいでしょう。深い青をした瞳の色も。

 でもそれだけ。〇点。いえ、中途半端に似ているので負の一二〇〇〇点。若いのが致命的。

「おお、若いのにしっかりしててな。名前はムデンだ。なにか注文あるなら使ってやってくれ」

 何が面白いのか。グァボアはそう言って笑っている。

 ムデンは私とウリナを見て、かすかに笑った。そのかすかな笑いがおじさまを思い起こさせて、腹立たしい気持ちになった。

 なぜかは自分でもわからないけれど、腹が立つのは事実だった。

「何を笑っているのです?」

 すると、ムデンは右手を差し出した。おじさまとは全然違う。傷跡がない手。それがとても悲しい。

「心を読めばいい」

 言われた瞬間、心が怒りで真っ黒になって私はその手を払い除けた。

「私のいちばん大事な人と同じことを言わないで!」

 それから後は良く覚えてない。私は泣いたのだと思う。泣き崩れなかったのは良かった。多分、背を向けて走ることができた。寮の自室に籠もってからはさらに記憶が薄れている。ウリナが大丈夫かよーと扉の外で心配そうに声をかけてきたのだけは覚えている。後は知らない。


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 テティスは、背が伸びていた。それどころか、ルクレツィアもいた。すっかり美しくなり、大輪の花のよう。

 それでムデンは人に判るほど口の端を動かした。

 しかし、すぐにテティスは涙を流して走り去ってしまった。ルクレツィアも、おい、どこ行くんだよ! といいながら去っていってしまった。

 ムデンはこれまた口の端を動かすと。まあいいかと思った。無事ならそれでいいし、今日はボーラを連れてきてないので説明が長くなる。まあ次の機会でいいだろうと、そんな事を思ったのである。ここをまあいいかで流せるのがムデンがシレンツィオである由縁である。おおらかを通り越して周囲が理解に苦しむ。

 もっとも本人は、いささかも気にしていない。

 今のところは無事で成長しているならそれでいい。精霊のところに行ったかいもあるというもの。

 そんな事を思って満足していた。

 ムデンが満ち足りた気分でいるのをどう思ったか、グァビアは頭を軽く下げた。

「すまねえな。多感な年頃ってやつでよ」

「そうか」

「その言い方、昔なじみに似て悪い気がせんな」

「そうか。ところで蕎麦のパスタはどうだ」

「おお。知ってるのか、その献立を。実はお前と口調が似てるやつが残してったやつでよ。なんと醤油を使っているのにうめえんだよ。今じゃこの山の名物よ」

「そうか」

「なんだ、不機嫌かと思ったら笑ってるのかよ」

「俺は朗らかでいつも明るい男だ」

「なるほど。冗談は面白いな、どうだ酒でも飲むか」

「いいな。そうしよう。ちょうど一つ質問があったところだ」

「なんでぇそれは」

「酒と料理の相性だ」

「ほうほう。流石だな。そうなんだよ。蕎麦のパスタはうめえんだが、酒との相性が悪くてな」

「なるほど。生徒のことしか考えてなかったからな」

「まあそうなんだけどよ。画竜点睛を欠くってわけよ」

 ちなみに画竜点睛を欠くとは今で言う絹の国の表現で、グァビアが実際にそう言っていたかはかなり怪しい。意味的には同じエルフ語の言い回しをしていたと思われる。蕾に鋏を入れる、あたりであろう。

 ムデンはそうかと言いながら、説明のためにボーラを連れてこねばならんなと思った。

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