第126話 美しき絵図
”次の手って騎士団の上層部が短剣でまとめて死んじゃうとかですか”
”シリヴリンにはああ言ったが、そうはならん”
”自信満々ですね。ムデンさん”
もっとも、その表情はいつも通りである。なんの気負いもなさそうであった。
シリヴリンが走った先は山都を差配する代官所である。
時期的にはマンランのほうだが、当時は申し送りに人間の時間で半年程度かかっていたため、カウランの可能性もある。というのも、後の事績を考えればカウランのほうが腑に落ちるからである。ここではカウランが実質の代官であったとして話を進める。
僻地の代官となればこの時代、太るのが一般であった。仕事が少なく、美食くらいしか楽しみがないとされていたからである。ところが次期代官であり、今は引き継ぎ中のカウランは食に楽しみをみいだせない人物であった。
彼はこちらに赴任して名物になっていた蕎麦のパスタに出会い、その手軽さから重度の蕎麦喰いになってしまっている。
ちょうどその時も蕎麦のパスタを手繰っていたが、部下が困惑した顔でムデンの手紙を持ってくると、すすりながら受け取っている。行儀は悪いが仕事熱心だったのは疑いようがない。
彼は蕎麦を手繰りながら手紙に目を走らせると、目を見開いた。
「これを持ってきた使者は?」
部下はすぐ答えた。
「女騎士です」
「その騎士はこの文章の中身を知っているのか」
「はい。金額が金額故に確認いたしました」
「どうだった」
「騎士も半信半疑、いえ、九割方疑っていたようです。託されたのは随分前で、届けは今まで遅れていたとのこと」
カウランは指で手紙を弾いた。
「いかにもたるんだ騎士らしい動きではあるが……その気持も分からんではないな。叱責はしたか?」
「規則通りに。言い訳として、いやしかし、娼婦や子供たちがやってるような屋台からの申し出でして、と、言っておりました。棒読みでこう、言い訳を覚えてきていた感がありました」
最初は本気にせず取り合ってなかったところ、再度念押しされて仕方なく代官所に来たものの、言い訳の必要性は感じていてああなったのではと、部下は自分の推理を口にした。この段階でムデンの策にまんまとはまったのである。
カウランは部下の推理を聞き流して、再度手紙を見た。この時代に使われていた公文書用の墨は時間とともに色が変化し、最終的には青黒くなって固定する。書かれている日付に間違いはなさそうだった。
「賄賂にしては金額が立派すぎる」
「書き間違いか、あるいは騙し、でしょうか」
「そう、それだ。だからこそ騙しに取られぬようにと、直接騎士団にではなく、わざわざ代官所に持ってきたのだろう」
カウランはしばし考えた後、何度も自らの膝を打った。
「田舎でつまらんと思っていたが、存外面白いではないか。ヘキトゥーラ」
「はぁ」
部下の気のない返事をよそに、この瞬間、能吏であり、それゆえ僻地に飛ばされていたカウランの頭の中で美しい絵図が描かれた。その名を国民国家という。民が国民という名で平等であり等しく国家に奉仕するという、近代への幕開けとも、国家総動員による総力戦時代の開始とも言える、恐ろしい考えとも言える絵図であった。
カウランは自分の描いた絵図の美しさに涙を流した。
「尊い、実に尊い申し出ではないか。書かれている金貨の額よりずっと重い申し入れだぞ。我が国は子供や娼婦ですら愛国心を持ち、国に奉仕しようとしているのだ!」
「騎士団のゆすりたかりに困って、どうにかしてくれと言っているのかもしれません」
「国民の本音などどうでもいい。官僚は建前だけで国をいいように扱う仕事だ。君もそうなりたまえ」
のちにニクニッスによって捕らえられ、国家を私物化したとして火炙りになるカウランが良く口走っていた言葉である。
彼はすぐに騎士団長を呼び出すと、予算が倍増すると告げた。手紙に書かれている金額は倍増どころでないのだが、差額はちゃっかり国庫に入ったようである。どこの国の官僚も、すぐにこういう事をする。市民の監視がいる由縁であろう。
なお、このムデンが書いた手紙は今も残っている。
「いいかね騎士団長。君たちはこれから警邏をうんと増やして娼婦と子供たちを守らなければならん」
「市中で大量殺人が起きて不死者が出たので警邏を増やすのは分かりますが、はて、娼婦と子供たちを守れというのは……」
騎士が守るのは国と国王だろうという、たった今新しいことを思いついたカウランからすると古い感覚が染み付いた騎士団長は、目を瞬かせた。
「建前だよ。騎士団長。全ては美しい建前のためなのだ。これからの国家はそうでなければならんのだ。ああそれと、賄賂は取るな。そういう騎士は退役させろ。かわりに、今後は予算を増やして対応してやる。損はさせんぞ?」
元はと言えば他人の金なのだが、カウランは心からその事実を忘れた。一度国庫に入ったら、それは全部国のもの国のものは官僚のものなのである。
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