第119話 肉爆弾

「バースクル伯爵からは濡れ仕事の許可が出ている。頭を潰せばすぐに計画は元通りになるだろう。肉爆弾を使いなさい」

「はっ」


 指令はすぐさま伝えられることになった。何千kmという距離を夜の灯りを使用して連絡するのである。およそ3kmごとに松明が置かれて、それを布で隠したり、あるいは覆ったりしてアリ、ナシという二つの状態の組み合わせで信号を送っていた。ちなみにこの頃人間は灯火通信ではなく手旗信号を使用しており、こちらのほうが単位時間に伝えられる情報量では多かったという。

 この時代は魔法の組織的軍事利用が華やかな時代であったが、通信分野などには、その恩恵がほとんど生かされていない。一説では電波という実際には存在しなかった存在にこだわり過ぎて技術開発に失敗したとも、遠隔地への情報を送る魔法陣が禁忌に触れているからとも、伝令に最適な存在である羽妖精の信頼性があまりに低いからだったとも言われている。いずれにせよ、ニクニッスは灯火通信という簡単に邪魔できる方法でしか通信を確立できなかった。当然、交戦地域や政情不安のある場所では昔ながらの伝令を使うことになる。

 そして、七日後である。


 その日、娼婦メリッタはゆっくりと屋台町へ向かっていた。

 いつもなら仕事に備えて寝ている時間なのだが、休養を申し渡されたのだった。ここ数ヶ月肺病を患っており、いよいよ客が取れなくなってきた、という事情もある。

「まあいいから、休んで、うまいものでも買って食べな」

 守銭奴で知られるダウギリスがそんな事を言って銀貨を押し付けるので、メリッタは頭を下げて指示通りに動いた。いつもは子供たちに届けてもらうのだが、気分転換に屋台町へ行って来いとも指示を受けている。

 足取りは重くないはずだが、体調が悪くて速度は遅い。まあ、でもいいか。別に今日は、仕事がないし。

 屋台町に近づくと、子供の姿が目立つようになった。山都に現れた子供の国だ。メリッタはそんなことを思って涙が出そうになった。次の瞬間に猛烈な痛みに襲われてうずくまっている。


”ムデンさん、攻撃魔法を検知しました。ひどくゆっくり接近中。数、一”

”どこだ”

 ムデンは銅鍋を振っていたが即座に手を止めてそう言った。そのまま天幕を飛び出る。このあたりはムデンが世話する子供で一杯である。

”大通り!”

 ボーラが思考したその瞬間には、もう走っている。普段は使わぬ魔法すら使った。背中を押されるようにしてムデンは土煙だけ残して姿を消している。すでに、遥か遠くへ。

 屋台町の入口に入るか入らないの場所でうずくまる女と、介抱している子供たちを見る。

”あの女の人です”

”肉爆弾か!!”

 思わず肩に乗ったボーラが身を震わせるほどの怒りの思考がムデンから漏れ出ている。

”魔法陣はどこだ”

 ボーラが答える前にムデンの瞳に光が灯った。強い思いに魔法が発動したのである。

”子宮か、外道め”

 ムデンがさらに怒ったその瞬間、介抱していた子供たちが見えない手で引き剥がされた。これもムデンの魔法であった。魔法とは別に彼自身は袖から短剣を取り出すと、もう投げている。

 魔法で身を起こされていた女の下腹部に短剣が突き立った。魔法陣が崩れる。

 ムデンは速度を落とすと女の元へ寄った。しゃがみ込んで優しく抱き起こした。

 女は泣いている。

「子供がいたの。でもいなくなったの。……ずっと探して」

 静寂、という意味のシレンツィオがムデンの元々の名前である。確かにムデンは静かであった。自分が害した女を前に表情一つ変えぬ。ただ人間の頃にはなかった魔力がムデンの意思に反応してしまい、無差別全方向に怒りの波動を飛ばしてしまっている。一番近くにいるボーラが吹き飛びそうになるほどであった。しがみついて必死に耐えたが。


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 その日は幼年学校の校舎で授業を受けていたが、テティスは不意に窓に目をやっている。

「おじさま!?」

「シレンツィオ?」

 同時に口を開いていたのはウリナだった。

 開いていた窓から強い突風が吹いたのかと、同級生たちが騒いでいる。


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 ブルは山で遺跡の跡地を歩いていたが、耳が震えるほど毛を逆立てて周囲を見た。

 懐かしいのに懐かしくない、一度も嗅いだことのない感情。それはいつも落ち着いていた人物の怒りの匂いだった。

 鼻を手で抑え、それが幻覚だと理解するまでに随分時間がかかった。


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 娼館の一室。ダウギリスは銀貨は奮発しすぎたかと思っていたが、頭を叩かれたような衝撃を受けて寝台から転げ落ちた。なにが起きたのか分かっていない顔で落ちて倒れたまま天井を見上げた。


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 遠く、ニクニッス。諜報、謀略を司る部門の第三執務室。

 手紙を書いていたキーオベンチ男爵は顔をしかめた。修正が難しいくらいに書きそこねたのである。

「シレンツィオだ! やつが、ついにやつが我々の企みに気付いたぞ!」

 ホーナー元侯爵が叫んでいる。

「おいたわしい」


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 ムデンは、低く優しい声を女に向けた。

「その子の名前は?」

「……ビー」

「ビーだな、分かった。その名がつく全ての子を俺が保護する。俺が倒れたその後は俺の意思を継ぐものが必ず約束を果たす」

 女は微笑みを見せようとして、目を瞑った。

 ムデンは女を抱いて立ち上がった。

 ボーラが百面相の後、ムデンの耳元で囁いた。

”安請け合いとは言いません。私も手伝います”

”そうか”

 しばしの沈黙があった。ボーラはつらそうな顔をした後、思念を飛ばした。

”あの……あの人に仕掛けられていたのは火球の魔法……ですか”

”射程を〇にした、な。ニクニッスの使う肉爆弾だ。船一隻くらいは吹き飛ぶ”

”……これだから北大陸のエルフは……”

”誰だろうと”

 ムデンはそう言って、シレンツィオのような顔をした。

”俺の短剣が届く”

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