第117話 門前払いと夢の菓子
ムデンが真面目な顔でいうと、女は少し笑った。
「じゃあ改めて。私はダウギリス、この都の夜の女王さ」
”嘘ですよ。ムデンさん。名前も嘘なら肩書も自称です。あと私の姿も見えていないみたいですね”
”最近羽妖精が見えないのが流行っているのか”
”いやな流行ですね。私達、ゴキブリの次に数が多いと言われているのに幻の種族になっちゃう”
ムデンはその例えに微妙に微笑んだ。口を開く。
「ムデンだ」
「随分と威勢がたりないみたいだけど、あんた大丈夫かい?」
”はったりが足りてないと思ってますね”
”ふむ、商売はやっていても商人とは違う理屈で動いているようだな”
”大海原を股にかける交易商人と山の中の小さな都の夜のお店の人が同じ理屈で動いてたらそっちの方が怖くありません?”
”それもそうだ。対処を切り替えよう。ボーラに感謝を”
”えへへ。嬉しいです”
「なんか言ったらどうだい?」
「威勢が必要なところにはいなかったものでな。考えていた」
ムデンが言うと、ダウギリスはわざとらしく長いため息をついた。
「色々教えてやらないといけないようだね」
「必要ない」
「損するよ」
「先ほども言った。俺は損得で動かない。対処を切り替えろ。できないなら去れ」
”まさかの自分が変わるんじゃなくて相手に変えさせるスタイル! オレ様キングダム、オレ様キングダムですよ! ムデンさん”
何が楽しいのか、ボーラは羽を振っている。鱗粉がかかったのか、タウギリスが顔を払っている。
「ど、どういう教育されているんだい。私はあんたらのケツを持ってやると言っているんだよ?」
「対処を切り替えろと言った」
ムデンは魔法も使ってまとめて女たちを外に出し、料理を再開した。ダウギリスたちは怒って天幕に再び突撃しようとしたが、魔法によって完璧に遮られてしまった。
”来るな”
そうムデンが意思を込めて言葉にしたからである。ダウギリスたちは薄い天幕に何度も頭をぶつけて困惑したあと、悪態をつきながら帰っていった。ボーラは盛大にあっかんべーをしている。
”見ました? 今の渾身のあっかんべー”
”俺からは背中しか見えなかったが”
”そこは尻っていいましょうよ”
”そういうものか”
”そうです。まあムデンさん以外に尻がとか言われたらドン引きですよ。ドン引きです”
”なるほど”
”面倒くさいからこれまでと同じでいいかと考えましたね?”
”ああ”
”力強く返事しないでください! 私を特別扱いしてください!”
ムデンはその言葉を軽く流して銅の鍋を振っている。作っているものはひよこ豆の粉を油で練って金貨状にして揚げた揚げ菓子である。揚げ物ばかり、ひよこ豆ばかり、なのだが食材の仕入れに問題があるためだった。体力の衰えたムデンや最初から体力のない子供たちでは、手に入れられる食材に限りがあったのである。
理由はもう一つあった。油がとにかく豊富につかえるのである。
使用済みの油に、”綺麗になれ”、”不純物は浮かべ”と、魔法を使うことで、油の再利用ができたのである。ひよこ豆の安さと相まって、これがムデンを大いに儲けさせていた。
”その魔力、ちゃんと使えば、すごいことできるんですけどねえ”
ボーラはそんな思念を飛ばしたが、ムデンが世界が壊れないように控えめに魔法を使っていることを察して、空中で飛び跳ねて寄って来たあと、顔に抱きついた。
”くっ、ここに邪魔が入らないことを寂しく思う日が来ようとは”
”学校を破壊してテティスに会いに行く手もあるんだろうが、警備兵や職員を殺さずに行くのが難しい”
殺しながらであれば簡単だと、言外にムデンは言っている。おそらく本当であろう。ボーラはムデンの横顔を眺めたあと、微笑んだ。
”自重してくれるムデンさんが大好きです。うーん。どうしたものか”
”やはり、屋台を大きくしていって客を増やすしかあるまい”
”向こうから来てくれるのを待つんですね?”
”本人が来ないでも、関係者が来てくれれば可能性はある”
”買い食いしてくれる子、いますかねえ”
”さてな。並行して魔法の訓練や身体の鍛錬も続ける。どちらかがうまくいかなくてもなんとかなるだろう”
”はい。ちゃんとやってくれるムデンさん大好きです”
ムデンは頷くと、金貨状の揚げ菓子に味付けをはじめた。塩以外にも乾酪(ルビ:チーズ)や玉ねぎと酢で味付けをしている。
”牛酪(ルビ:バター)があるといいんですけどねー。牛酪醤油ー”
牛酪が手に入りにくい話は、以前にも書いた。それから人間の年で七年たつが、状況は変わりがない。相変わらず、誰も作ろうとしていない。
ムデンはひよこ豆に飽きた顔をで食べたいものを心に浮かべた。
”そろそろ夏が近づくから、ジェラートを作りたいんだが、とにかく乳製品が手に入りにくくてな”
”古代語でアイスクリームですね! 話は聞いていても食べたことないです!”
ちなみに、古代語とは羽妖精が使う旧世界語であり、アルバ語の元になっている。この一度人類からは去った古代語が英語として復活するには長い紆余曲折があり、そこにはムデンやリアン国もからんでいる。
なお、よく混同されるがアイスクリームとジェラートは似てはいるが別物である。特に保存期間が異なり、ジェラートはおよそ三日で食べきらなければ破棄することが多かった。現代でもアルバ人は一緒くたにすると怒る。
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