第116話 計算する女たち

 ボーラは怒ってムデンの毛をむしろうと動いた。ムデンが困ったのは言うまでもない。

「仕方がない」

 ムデンがそう呟いた瞬間にボーラの動きは止まった。雷に打たれたように離れてゲルダに声を掛け、そのままゲルダも下がっている。

 このあたり、具体的にムデンが何を思ったのかは謎、とされるが、おそらくは色恋関係で責められぬように結婚するかとか、そういうことを思ったのだろう。そしてそんなことを言い出せば、ボーラもゲルダも引き下がるしかない。

 ボーラは種族的な差から、自称はともかく実際に嫁になれるとはまだ思っていなかった。

 ゲルダは年齢的にムデンにはまだ釣り合わないと考えていた。

 ここでムデンが嫁取りすれば、高い確率で自分以外になる。そう思って二人は引き下がった。好機を待つために耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ、という思考だったはずである。

 もっとも、ムデンが単にボーラやゲルダに性的なことをして黙らせようと考えた可能性も、僅かにはある。ムデンがかつてシレンツィオだった時代には、大量の女性をそうやって分からせていたであろうことが、複数のアルバ貴族の記録に残っている。

 もっとも、この頃のムデンは、浮名の一つも出ていないので、そういう目では周囲を見ていなかったであろう。色恋遊びそっちのけで、子供たちに食事を与えることを趣味としていた、と考えるのが普通である。

 船に乗っていた時代は子供の相手をまったくしていなかったムデンである。世の父親たちから遅れて子供に慕われるその喜びを知ったのではなかろうか。

 ともあれムデンは、その後は詰め寄られることもなく、糸の切れた凧生活を満喫することになる。実際はどうやってブルを説得しようかと考えていたのだが、肝心のブルが姿を見せなくなっていた。

 まあ、慌てても仕方あるまい。

 そんなことを考えるのがムデンである。彼は身体を鍛え、子供たちを鍛え、毎日銅鍋を振りつつ、屋台を繁盛させていた。そのうち年かさの子たちがアルバ風の料理を覚えて屋台が増えていき、一月ほどで屋台村どころか屋台町ともいうべき規模になりつつある。

 私娼の団体がムデンのところに来るのは、その頃であった。

 いつも通りに料理をしながら筋肉を鍛えてついでに魔力を抑える訓練をやっていると、ボーラが嫌そうな顔で思念を飛ばしてきた。

”客ですよ。ムデンさん”

”今日もたくさん来ているな”

 並ぶ屋台の前は見渡す限り客でいっぱいである。

”違いますー。フンだ”

 ムデンは何を怒っているのだろうと思いつつ、気配を察知した。魔法を使って探知することもできるのだが、あえて使わぬ。魔法に頼ると感覚が鈍くなるのを恐れての話であった。

 数人の足音。すべて女。迷うことなくこちらへ進んでいる。案内するのは世話している子供たちのうちの一人である。

「邪魔するよ」

 そう言って厨房になっている天幕に入ってくる。肩から長い上着をふわりとかけただけの女である。

 形のいい胸だなとムデンは思ったが、それだけであった。

「今は料理中だ。油がはねて胸に当たると痛いだろうから、少し待て」

 ムデンがそういうと、女はフンといってじゃあ待たせてもらうよと言った。

 ムデンはしっかりと料理した後、前掛けをつけたまま女の方へ近づいた。

「なんの用だ」

「悪いことは言わない。私達の傘下に入りな」

 ムデンは値踏みするような、かつてのシレンツィオのような顔をした。これで以前よりは険の取れた顔だったのである。

「見たところ私娼の同業者組合ギルドに見えるが」

「その通り。言っておくけど、悪い話じゃないわよ」

「断る」

「せめて条件を聞いて話を聞いたらどうなの?」

 呆れた顔で女は言った。長い耳が困ったようにうなだれている。感情によって動くこともあるのだなと、ムデンはそんなことを思った。様子からして、そう悪い女、というわけでもないらしい。少なくとも権力をかさにするようには見えない。

「条件の話ではない。金儲けにも地位にも興味はない」

「女は? 私を含めて選び放題だよ?」

 ムデンがなにか言う前に、高速でボーラが飛んできて、女とムデンの間に入った。飛びながらの仁王立ちである。残念ながら女の目には何も映っていなかったが。

「隙間風かい?」

「まあ、そういう風に感じるものもいるな」

「子供たちのためにも金がいるんじゃないかい?」

「子供たちに必要なのは金じゃない」

 ムデンがそう答えると、女はなぜか目を細めた。怒りを秘めたような顔だった。

「愛とか言ったらこの話はなしだよ。あんたが泣いて謝るまで嫌がらせしてやる」

「子供たちに金を持たせて歩かせてみろ。ものを買って食えると本当に思っているのか」

 当時のアルバも孤児の扱いは酷いが、北大陸のエルフの国々ほどではない。金を持つ子供が道を歩いていたら、良くて強盗、普通は強盗殺人、悪ければ犯されて奴隷の上、金品強奪である。これは田舎でも都会でも変わらない。悪いのは自衛力がないことか、あるいは自分たちに利益をもたらしうるかという二つしかない。

 ムデンがいうと、女は少し考えて、表情を改めた。

「滅法喧嘩に強いって話だけど、それだけじゃなさそうだね」

「うまい料理も作れる」

 ムデンが真面目な顔でいうと、女は少し笑った。

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