第115話 ムデン包囲網

 仕事を終えたゲルダが、木の棒で作った模擬槍を持って近寄ってきていた。

「今日の修行をつけてください」

「そうか。そうだな」

 ムデンは立ち上がった。疲労感はあるものの、そこで身体を動かさなければ筋肉もつかないのである。

 空き地にて立つ。両者が持つのは槍に見立てた棒である。穂先の部分にはひよこ豆が入った袋が被せられ、穂先の二〇cmほどが赤く塗られていた。この赤い部分は刃にあたる部分であり、ゲルダにも分かりやすくなっている。

 ムデン得意の短剣ではなく、槍を教えているのは権能のせいであった。自分と同じ権能を持たないゲルダに自分の短剣術を教えても意味がない、そう考えてのことであった。短剣限定とは言え重さを軽くし、威力を跳ね上げる短剣熟達は権能なしと比べると根本から使い方が異なってくる。

 武術に興味ある子どもたちが何人か集まってくる。ほとんどが少年で、女性はゲルダだけであった。

”人間よりよほど男女の体格差が少なく筋力の差もないのに、不思議なことだ”

 そう思う。返事はなかった。ボーラは天幕内で腕を組んで唸っており、距離が開いていたのである。

 テティスと俺を再会させる手はないか、そのように考えているのであろう。ムデンはそう思った。

 流れるように眼の前に集中する。模擬の槍とはいえ、下手をすれば命に関わるのである。特に突きは注意して手加減しないと、用意に致命傷になり得る。

”いあぁ!”

 裂帛の声とともにゲルダは槍を振るった。ゲルダが使うものと想定する槍は本邦でいうところの長柄槍、穂先はいささか太い銀杏穂になる予定である。太くなっている理由は青銅では鋼ほど穂先のねばりが出ないためである。

 創作物で見られるような槍の長さでは、もちろんない。人間の使うものより1mほど短いとはいえ、長さは3.5mを超える。柄材は柿木が最良、次点で樫木とされるが、練習用の槍はそのいずれでもなく、竹であった。ほぼ使い捨てといえるほど強度が足りぬが、よくしなって実戦で穂先をつけた時と同じくらいには、構えると先が落ちる。

 槍、とは真っ直ぐではあまり意味のある兵器ではない。簡単に軌道が読めるからである。だから手首をひねってしならせる。穂先あたりでは最大で1mほども揺れる。もとより3.5mだと長すぎて狙ったところにはそうそう刺すことができず、刺すより叩きつけて倒す。それが槍である。

 間合いは7m。一歩進んで手首を振れば簡単に刃が身体に触れる。

 ムデンはゲルダの勢いを評価しつつ、大股で一歩前に出るとゲルダの槍の半ばまで入って無効化した。そのまま短剣に模した竹のヘラを投げる。ゲルダは肩でヘラを受けるとそのまま槍を手放して飛びかかった。

 槍の修練とはいえ平気で投げ道具まで出てくるのがのちに鬼、悪魔と罵られるムデンの訓練である。

 ムデンは軽くため息をつくと、ゲルダを簡単に投げ飛ばした。

 今日二度目だなと思いつつ、手加減して地面に倒すと、ゲルダは目に一杯の涙をためている。これもまた、本日二度目であった。

「なんで俺たち以外を鍛えようとするのです」

 ゲルダはそう言って涙を落とした。まるで浮気を責められているようだなとムデンは思ったが、実際そのとおりであった。ゲルダはムデンを自分たちの祀神と考え、自らをその敬虔な使徒と考えている節があった。

「俺だけを虐めればいいのに」

 その目はいささか危ない光を孕んでいたが、ムデンは気にもしなかった。特に興味がなかったのである。

「訓練をつけたわけではないぞ。昔の知り合いが誤解から襲ってきたので撃退しただけだ」

「訓練にしか見えませんでした。しかも一日に二回も。俺達は毎日ムデンさんの手足として働いているのに」

「働かざるもの食うべからずだ」

 この言葉に類する言葉は世界中で使われている。語源はアルバの古代宗教である。エルフ語にも似たような言い回しとして、木に登らねば木の実は手に入らない、という言葉がある。

 しかし、ゲルダはそっぽを向いた。そういう話ではありませんという。そうなのかとムデンは思ったが、口にはしなかった。

「いつか自分たちの足で立つための訓練だ。これも、普段も」

「俺達を捨てるのであれば、その時はみんな殺して焼いてください」

「そんなことをしてどうする」

「俺達は殺す価値もないんですか!?」

 激昂してゲルダはそんなことを言う。抱きついて泣いた。他の子も集まって泣いた。ムデンはいつも通りの無表情だったが、ボーラに怒られるなと思って、少しばかり表情を改めた。

「他人のために働くなどお前たちには早過ぎる。まずは自分たちのために働け、必要なら戦え。他人のために何かをするのなら、余裕ができてからだ」

 毎度報酬を全額他人のために使うようなムデンが言っても、心には響かないものである。ゲルダは堰を切ったかのようにムデンの不実をなじり、ムデンは閉口した。ゲルダの背を撫でながら視線を動かす。口をへの字にしたボーラが近くを滞空していた。

”無自覚にフラグを立てるからそうなるんです。私というものがありながら”

”言っている意味は分からないが、やましいことはなにもないぞ”

”そうでしょうね。ただ自覚がないだけですもんね”

 ボーラは怒ってムデンの毛をむしろうと動いた。ムデンが困ったのは言うまでもない。

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