第111話 獣人との戦い

 ムデンが顔を向ければ獣耳の美女がいた。ただ格好は今しがたまで山の中にいたかのような重装備である。

「食べたい、売って」

 猫耳の美女は、そんな事をいう。分かったと言って屋台を止めるムデン。本邦では信じられない話だが、当時のアルバもエルフの国々も、屋台の店員は無愛想が普通であった。現代でこそありえない話だが、当時は屋台を広げる場所を巡って殺し合いすら発生するような人々が運営していていたので、当然、といえなくもない。

 ムデンはファリナータを木の葉で包むと差し出した。包装紙というものがない時代、場所や国を問わずに包むための木の皮や葉があった。エルフ語で包むものの意味があるハラシキという葉っぱである。このハラシキ、名前だけは多くの日記にたくさん出てくるのであるが、実物は製紙業の発達によって競争の結果使われなくなくなり、今ではどんな植物であったのか、全く分からなくなってしまっている。

 そのハラシキに包んだファシリータを、美女は大口を開けてんだ。粗い砂糖を噛んだ音がして、笑顔がこぼれる。

「美味しい」

「そうか」

 どこかでみたような風景。もっともムデンの場合、屋台をやっていれば毎日見られる風景ではあった。ムデンは元より商売気が薄いため、原材料費は屋台と思えぬほど高かった。またよく売れるので原材料の回転も早い。結果として新鮮な良い食材が使われることになり、うまいせいでさらに売れるという連鎖が出来上がっていた。

 美女は余程気に入ったのか、ファシリータをいくつもいくつも買って行李に放り込んだ。屋台の商品全部買い占めである。

”全部売れちゃいましたよ。ムデンさん”

”結構なことだが、また戻って焼き直しと思うと、嬉しさも中ぐらいだな”

”今日はもう休みましょうよぉ”

”最近子供が増えているので稼がねばならん”

 そんなやりとりをしながら数歩歩くと、美女は山刀を抜いて切っ先をムデンの背に向けた。

「待て」

「どうした」

「なぜその外套から私の匂いがする?」

「心当たりがないが」

”ムデンさん、この獣人、ガットちゃんです!”

”なるほど”

 エルフの七年は人間の二年に満たないが、人間や獣人にとって、七年は七年である。獣人ならば毛も生え変わり、人の姿に近づくというものだった。

”うっすー。ムデンさん、そこはもう少し驚いたりしましょうよ!”

”驚くのは後だな、怒った獣人の手の届く範囲で下手に動くと、死ぬ”

”任せてください!”

 ムデンの襟が動いた瞬間に、ガットは超人的な反応速度で山刀を動かした。ムデンは軽くため息をつきながら一歩下がって回避した。遅れて襟の先を貫かれてボーラがぎゃーと声を上げる。その時にはガットは返す刀で三回の突きを放っていた。

 一度は動かずに回避し、一度を屋台で受け、もう一度を身をかがめて回避する。筋力が以前より落ちているので、姿勢も体勢も悪くなる。それを魔法で無理して立て直す。魔力の手が無理やり背中を支えて背筋を伸ばすかのような動き。

「不思議な魔法!」

「我流でな」

 回避だけではうまくいかぬ。ムデンは一瞬の目配りでそれを知った。ガットは良く訓練をしている。逃げられぬように山刀を奮って回避方向を誘導している。後一度のやり取りで壁際に追い込まれるであろう。

”ムデンさん、笑ってますよ”

”それはそうだろう”

”殺さないでください。殺されるのもなしです、怪我させるのも怪我するのも駄目です、あと強敵に会うと笑顔になるのはどうかと思います”

 ムデンは返事をしなかった。思考の全部を回避と反撃に向けていたとも言う。

 魔法で生成した銅の短剣を持ち上げるが次の瞬間山刀に切飛ばされる。錫の入っていない単純な銅剣は、柔らかい。しかしわずかに切っ先を逸らすことに成功した。ムデンはその間に屋台を捨てて距離を取った。声をかけようとして失敗、全盛期のシレンツィオも超える速度で助走無しで屋台を飛び越えガットが襲いかかる。片手は山刀だが片手は素手。しかし獣人の素手の一撃は、金属鎧すら軽く握りつぶす。

 ムデンは迷わず山刀の方へ向かう、懐から魔法のように第二の短剣を取り出した。石の短剣。それを二つ十字にして山刀を止めた。魔法で背中を押して、それでもなお押し負けるところをムデンは魔法を切ってガットの目論見を外した。力を入れすぎたガットがつんのめって足を滑らせる。この状態で短剣を逆手に持ち替えて背を刺せば勝つところだが、ムデンはそうしなかった。距離を取った。

「腕をあげたな。ガット」

「私はガットじゃない」

”あれー?”

 ボーラがそんなことを思っている。ムデンは表情を変えていない。


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