第108話 シーサーパネッレ
この時ムデンが作っていたのは、ひよこ豆の粉を使った揚げ菓子である。
ひよこ豆というものは乾燥地帯でよく栽培される豆で、世界中で栽培されている優秀な食料である。その優秀さゆえに豚、羊、牛、鶏、小麦、黒麦、燕麦、大豆、蜀黍と並んで良く生産されていた。水か少なくても育てられ、収量も多く、味も悪くはない。
ヘキトゥ山の東側、乾燥した山の斜面でもよく作られていた。なお、西側は雨の森と呼ばれるほど多湿な場所のため、ひよこ豆の生産にはまったく向いていない。
そのひよこ豆を、アルバではあらゆる階級が食べていた。貧乏人の何々とすぐ名前をつけたがるアルバでは珍しい食材である。これだけでもその味が証明されているようなものである。本邦における大豆のような位置にあると言っても良いであろう。もっとも本邦は湿潤なためひよこ豆を育てるにはあまり向いておらず、ひよこ豆と大豆の競争があったわけではない。
このひよこ豆を、粉にしたものを使う。ムデンは筋力が落ちているため、石臼を動かすという魔法の補助を用いて粉にした。
この粉を水に溶いて揚げればいいのだが、それだけでは味気がないので、乾酪を粉にしたものと野菜の皮や切れ端を煮出した汁を混ぜる。粉一に対して汁四なのでずいぶんと薄い。これを一度浅鍋で火にかけて水分を飛ばし、とろりとしたところで塩で味を整え、皿に移すのである。しばらく待てば固まる。この固まったものを食べやすいように切って、油で揚げるのである。
現代では一度固まって切った後に冷凍した後に油で揚げる。こうすることで中がもちもちする一方で外がからりとして美味になる。
ただこの時代では冷凍技術がなく、ムデンはそのまま、揚げていたであろう。中までさくっとした揚げ菓子のようになっていたはずである。
油ものは、この時代食堂や屋台での専売特許とも言えるものであった。油が高価なせいで製作量が少ない家庭料理としては割高になってしまうからだった。
アルバではさらにこの上から塩をふるのだが、エルフの味覚にあわせてムデンは塩を振らなかった。自分がエルフになったからこその気づきである。通常、標高が高いと塩味を感じにくくなるのが普通なので、エルフはずいぶんと薄味が好きだったようである。あるいはルース王国が北の端を除いて内陸国であり、塩が手に入りにくかったこともあるかもしれない。
”テティスやマクアディには濃いめの食べ物を食べさせていたのかもしれん”
”味より会いに行ってあげましょうよ。拗ねてガットちゃん困らせていたらどうするんですか”
”分かっている。そう時間もかからず、忍び込めるはずだ”
ムデンとて何もしていたわけではない。屋台を立てたり料理をする間、ずっと垂れ流しと言われていた魔力を抑える訓練をしていたのである。その訓練が、ようやく実を結びつつあった。年単位にかかるものという当初の見積もりからすればかなりの速さなのだが、元々人生の長さというか生きる速度が異なる羽妖精出身のボーラには、酷く悠長に見えたのである。
ムデンは子供たちに料理を渡した。この頃子供たちの一部は屋台不足の対応として、行商のようなこともしている。得意客を相手に、料理を届けるようなことをしているのである。
その中には娼館もあった。テティスとウリナを保護した女が所属するところもその一つである。もっとも二人は育ちが良すぎて、その場所や働いている女が何なのかは分かっていなかった。縁が無いといえばここまで縁がないのもなかったろう。
「師匠、届けてくるよ!」
出来立てで湯気をあげるひよこ豆の揚げ菓子を木箱に入れて背負うのはゲルダである。さらにその上から雨よけの木板も持っている。ちなみにこの木板も現地では盾と言うのだが、戦闘に使うには強度が足りず、軽すぎた。この山都では育てていない関係で藁が希少で、必然藁傘や蓑もないので、代用である。
「行って来い。襲われそうだったら逃げろよ」
「うん」
ゲルダは嬉しそうに笑うと、雨の中を走っている。
ちなみにムデンを師匠呼びするのはゲルダだけである。それ以外の子供たちは、親方とムデンのことを呼んでいた。実際ムデンは完全に屋台の親方を楽しんでおり、日々大量の料理を作り、あるいは子供たちに手伝わせ、料理を教えていた。
「帰って来たら稽古つけてね!」
ゲルダは振り返ってそう大声をあげると、今度こそ雨の中を走った。
ムデンとボーラは二妖精でその後ろ姿を見送っている。
”懐かれましたねえ、ムデンさん”
”そんなものか”
”はい。彼女、どれだけ酷い目に合わせられるかと思って興奮してましたよ”
”戦士向きではあるな”
”そこは性格を変えようとか言うべきでは”
”エルフが考えを変えるなんて想像もつかんな”
”諦めないでください! 変な趣味の人になったらどうするんですか!”
”趣味は自由でいいだろう”
この趣味は自由でいいだろうは、北アルバで良く聞く倫理観である。同地は本邦並に、多彩な色事の趣味を誇った。
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