第107話 忘れてはいない

(3)


 そして、時と場面は少し戻る。

 ムデンはこの頃、日々熱心に料理を作っている。売るのはもっぱら、子供達の仕事である。ムデン自身が売り場に出るほどの時間がないともいう。

 盛況、であった。あまりの盛況に、ボーラが呆れるほどである。

”ムデンさん、目的とか忘れていません?”

”目的か”

”遠い目をしないでください。今ホントに忘れてましたよね!?”

”忘れてはいない。ただ俺は隠居も同然なので、若干違和感があっただけだ”

“目的という言葉にですか”

”ああ”

 補足するならば、ムデンという人物は平素から何も考えていない。シレンツィオとして軍役を退いてからは完全にそうなっている。目的も戦略もなくして、猫だか糸の切れた凧だかのごとく毎日を興味の向く方に向かって動き、困っている女、最近だと困っている子供がいると助けるような日々を送っている。本人はそれで心から満足しており、それで何かをしようということがまったくなかった。

 とはいえ、それでは困る者が多いのも事実である。

”性悪エルフ幼女とかほっといていいんですか!!”

 ボーラは両手を振って抗議した。

”学校に侵入するための算段を今、立てているだろう”

 ムデンが銅の浅鍋を揺らしながらそう思うと、ボーラは潰れたようにムデンの肩の上でしおれた。

”なるべく早くできませんか。性悪エルフ幼女、あれで意外に傷つきやすいので”

”七年も経っているんだから、今更焦らないでもいいとは思うんだがな”

”ムデンさんは女心が分かってないんです。下手をすると一生こじらせますよ”

”女というものはそんなに弱くもないし、依存もしないと思うがな。まあ男の前では別だが”

 そこはそれ、男に夢を見せてくれる楽しい嘘と言うべきであろう。ムデンは表情一つ変えずそう思った。

”ムデンさん、どれだけ女性に酷い目に遭わされてきたんですか”

”そんなことはないと思うが”

”なるほど? ともあれとにかく! この件についてはムデンさんの経験より私の意見を優先するべきです!”

”分かった”

 ムデンは素直に頷いた。ムデンの心には信頼だけがある。ボーラは恥ずかしそうな顔をしたあと、私はバカだと呟いた。ムデンの耳にその言葉は届いていたが、当然何の反応もしなかった。特に興味がなかったからである。

 ボーラは、恥ずかしさを振り切るように話題を変えた。

”それにしても、お客さん多くないですか?”

”そうか? かまどの火を毎度強くするのも大変なものだ。金銭で解決出来るなら、それが一番と思うが”

 この時代、竈の火を落とすのは新年だけという国や地域も珍しくなかった。それぐらい一から火を起こすのが面倒臭いのである。また炊事で一日の大部分が消えてしまうことも普通にあった。無理せず一人暮らしができるようになったのは様々な発明や技術革新があった最近のこと、ここ一〇〇年も経っていない。

 そういう時代、場所にあって、隣近所の助け合いが強くない都市圏では現代とは比べものにならないくらいに食堂や屋台は重要な場所であった。家事を担う主婦が風邪でも引けば、これらに頼らなければあらゆる家の事業が止まるのである。

 ムデンのこの推理は間違ってはいなかったが、全部ではなかった。忙しいのは自業自得の面が大きい。

 過日、ムデンは屋台を作って連れてこられた孤児たちを助けたが、この行動は屋台の同業者組合を激怒させるものであった。どんな理由があるにせよ、やってきたのは横紙破りの掟破りであり、同業者組合は当然の権利として暴力を行使した。打ち壊しである。

 そして返り討ちにあった。荒事巧者としてのムデンの能力はすさまじく、一人で五〇人ばかりの屋台の店主達を倒してしまったのである。

 殺したのは数名だが、その戦いぶりは屋台の店主たちを恐れさせるには十分だった。さらに嫌がらせしようとして、これも阻止している。結果どうなったかと言えば、大量の屋台主が報復を恐れて山都から離れることになった。

 屋台が少なくなったことで雨の日とはいえ、幼年学校前の一等地でも屋台が姿を消し、同時にムデンが率いる屋台群は大いに賑わっている。一周回って打ち壊しに及んだ同業者組合の読みは正しかったということになろう。もっとも、彼らは打ち壊しをする前に、話し合いを試みるべきであった。事情をきちんと話せばムデンはうまく利害調整をしたであろう。相手を子供と思って蹂躙しよう、あわよくば奴隷かなにかにしようなどと思うからこうなる。

 ムデンは、敵の事情を一切斟酌しなかった。武器を取って攻めてきたらどれだけ返り討ちしても文句は言えないという海の法そのままで屋台を運営し始めている。

「屋台を増やすか」

”もう四〇くらい作ってませんか”

”だが足りていない”

”この、まま、じゃ、ムデンさんが屋台王になってしまう!!”

 実際そうなりつつあった。ムデンという男は加減を知らぬ。


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