第106話 おじさまの情報
私は一度深呼吸した。こんなところでおじさまの情報に触れることができるとは。
思考を全部読もうと思ったけれど、まずは言葉で聞いてみることにした。必要があればためらいはないが、私達だろうと古代人だろうと、人の心というものは汚濁に満ちている。積極的に触れたいものではない。
大丈夫なのはおじさまだけだった。あの人の心には表裏も揺らぎもない。
「シレンツィオ・アガタは私にとって大事な人よ」
そう言うと、ウリナは嫌な顔をした。さっき言葉で聞くとか言ってたわね。あれは嘘だったわ。おじさまのことを知るのは必要なこと。間違いない。権能発動。
ウリナはまさかこんな小さな娘に手を出したんじゃないでしょうねと思っていた。
手を出すって、どんな意味かしら。まあいい。それよりも。
「貴方とおじさまの関係は?」
「恋人」
ウリナは堂々と嘘を言った。そこは、有害な羽妖精に似ている。
「実際のところは?」
「恋人……に非常に近い位置と言っておく」
「それでも無理がありそうね」
「うっさい! お前は何だよ! どんな関係だよ」
「そうね。抱き上げてもらって屋根の上に登ったことがあるわ」
「あー」
急にウリナが納得した。私の心は乱れた。
「他でもそんなことをしていると?」
「やりそうじゃん」
言われてそのとおりだと思いつつ、腹立たしい気分になった。やはりおじさまは私が独占せねばならない。独占しなければならなかったのだ。
「泣くなよー」
ウリナが私の横に座って頭をなでた。はねつけようと思ったが、できなかった。古代人は力が異様に強い。私が両手で押しているのが面白かったのか、ウリナは笑って余計に私の頭をなでた。
「まあ実際見たことないけどね」
それは本当。自分にもやったことがない。とウリナは思っていた。その上で自分を子供扱いしなかったのは偉いなどと都合のいいことを思っている。だいたい私はおじさまと同い年なのだから子供扱いもなにもないのだけど、と張り合いそうになるのを抑える。
貴族とは忍耐である。やるならば一度で全部を成し遂げないといけない。
ああでも、だめだ。
おじさまはいなくなってしまった。
「おじさま……どこに行ってしまったの」
「それは私も知りたい。山の中に入ったとかいうけれど、あの優男が女のいないところに行くなんてありえないんだけど」
本心でそう言っていたので、私は顔をあげてしまった。
「おじさまは度々山歩きをしていました。間違いありません」
「山に美女がいたとか」
「そんなわけがないでしょう。美女ところか人もいません、ここより上の標高に集落はないのですから」
「そこが信じられないんだよなあ」
ウリナは本心から言っている。へらへらして酒浸りのシレンツィオが、山なんかにいるわけがない、と思っている。
それはそれで気になるが、まずはその前に、ウリナに礼をするべきだろう。
「そこが信じられないと言いますけれど、まずはそこについてきちんと指定しないと我々の言葉としては誤解を招きますよ。場所なのか、人なのか、はっきり言うように」
情報の礼に私は言葉の指導をした。
「通じているからいいじゃん」
「よくありません。我々の中で生活するのなら、まずはそこをしっかりするべきです。また語尾を最後まで言うようにしなさい。とっても乱暴に聞こえてよ」
「エルフ語は面倒くせえなあ」
「エルフとは我々とは違う、少数民族のことです」
私はそこまで言った後、本題を話すことにした。
「おじさまはお酒を料理以外に使っていませんでした」
「それもへんな話だ。あいつ、いつでも酒を飲んでた。私が酒壺を何度隠しても、いつの間にか酒飲んでたし」
ウリナの幼いころの思い出が私の中に入ってくる。酒が身体に悪いと知って、必死に止めていた。なるほど。ウリナにとってのシレンツィオとは、父に似たなにかだったらしい。父を慕うなんて、子供のような、というより、彼女は正真正銘の子供だった。私より大きな姿だが、わずか二歳なのだ。私の半分も生きていない。
「なんだか、別の人のことを話しているようですね」
「その可能性もある。リアン国が嘘をついているってのはな」
ウリナは十中八九、シレンツィオが別人ではないかと思っていた。そうなのだろうか。私にとってはどうでもいいのだけれど。おじさまはおじさま。私にはそれでいい。おじさまがアルバ人のシレンツィオではないとしても、何の問題もない。むしろ歓迎すべきだろう。価値が低くなれば独占も容易いというもの。
ただ、私が彼の心をくまなく読み取っていた感じでは、おじさまが偽物だった、とも到底思えないのだった。演技が挟まるような思考はなかった。
ウリナが扉の方を見ている。
「誰か来たな」
「さっきの女の人です」
「耳いいんだな。長いだけはある」
ウリナは誤解をしているようだが、私はそれについて何も言わなかった。孤立なんかするから私についての話も他人から聞いていないのだろう。まあ、それはそれでいい。
「それで、シレンツィオの真ん中の名前は?」
「本名と同じ。ピエール同・アガタ」
ピエールの子のピエール・アガタが正式な名乗りなのだが、この時代、表記ではピエール同と書く。二世とか三世とという今見慣れた表現になるまでにはなお数百年の時がいる。
「本名?」
「男は特に名前の種類が少ないからな。名乗りは別に持つんだ。私も男がないけど本名が母親と同じだから別にジウリアって名乗り持っている」
「ジュリア?」
「ジウリア。どういう訛り方だよ」
ウリナはそう言って、立ち上がった。女が扉を開けて入ってきた。
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