第105話 雨の待ち時間

 少し歩いて、学校前に屋台がなくなっていることに気付いた。いつもはたくさん並んでいるのに。

 立ちすくんでいると、ウリナが喋りだした。

「あ、買い食いか。雨じゃ仕方ないだろう」

「そうなの?」

「そりゃそうだ。屋台じゃ風雨は防げない。客も来ないだろ」

「私は以前にも雨の日に利用したことがあるのだけれど……」

 数が少ないことはあっても、まったくない、ということはなかった。どうしたのだろうと思っていたら、立ち並ぶ建物の隙間のような通りから着飾った女性が必死に手招きしている。

「なんて言ってるんだ?」

 ウリナはこちらの言葉に慣れていない。瞬く間に言葉を習得したおじさまとは違う。

 もっとも、言葉がわかっていてもこの距離では雨に邪魔されてよく聞こえない。

 私は心を読んだ。あれくらい必死なら、この距離でもいけるはずだ。

 私は少し手を挙げてウリナの行動を静止した。

「こっちに来い、危ないから。って。本心から言ってるわ」

「身振りで分かるよ。それぐらい」

「じゃあなんで聞いたのよ」

「もっと細かいなんかあるだろ」

「ないわ。行ってくる」

「行くのかよ」

 私は急いで着飾った女性の元へ急いだ。私の手を引いて、彼女は走った。いくつか辻を曲がって、勝手口から建物の中へ。どこをどう歩いて来たのか、一瞬で分からなくなる。私の場合は心を読めばいいだけだけど。

 荒い息で女性が肩を上下している。ウリナを見る。ウリナも私も、息は乱れていない。乱れるほど走ってはいない。病かなにかを持っているのかもしれない。

「人さらいか?」

「そんなわけないでしょう」

 ウリナの言葉が拙いのはわかっているが、つい、厳しい言葉が出てしまう。あれで彼女は人間の国では結構な立場の子女のはずだ。でなければ留学などできるわけがない。

「大丈夫ですか、あと、どうしたのですか?」

 私が声をかけると、女の人は荒い息の中で答えだした。

「あのあたり、人さらいがでるのよ」

 なるほど。この言葉も嘘ではない。本心から私達を心配している。その底には、大きすぎる反省がある。彼女はその反省から私達に声を掛けた、ということらしい。

 とはいえ、あまり心配はいらないかな。理由は私達の制服にある。この制服を纏っている貴族に危害を加えたりさらったりすれば、三族鏖殺皆殺しどころか地域一帯草木も残らず鏖殺ファイアーボールだ。貴族という生き物はやられたら一〇〇〇倍返しにするのだ。そうでなければ国家など経営できない。

「ここって首都に準じる扱いの場所なんでしょ?」

 ウリナが不思議そうに聞いてくる。人間の国だと、首都は治安を良くしなければならない使命でもあるのだろうか。もっとも今は、気にしても仕方ない。

「なるほど。ありがとう。お礼はあとで届けさせます。それよりも、食料を買うことができる場所を探しているのだけど」

 答えを聞くまでもなく心が読めていたが、それだと恐れさせるだけになってしまう。私は返事を待った。

「都の外れに屋台があるけれど、この時間から歩いていくと遅くなるわ、ああ。でもそうか。すこし待てる? 行商が来るから」

「行商」

「食べ物を売りに来るのよ。元締めが特別に頼んでね」

「元締めって商会長でしょ?}

 ウリナがそんなことを言っている。しかしこの女性は商会の人には見えない。

 まあいいか。

 私は興味をなくしてしまった。世界は灰色で、色がない。色はおじさまが持っていってしまった。

「では待ちます。料金はどれくらいかしら」

「子供が気にするんじゃないわよ」

 女性はそんなことを言って笑っている。

 それで、行商とやらが来るまで、少し時間ができてしまった。女はどこかに行ってしまい、私達は取り残されてしまった。

「大丈夫なのかよ、あんな女を信用して」

 ウリナがそんなことを言っている。心が読めないということは苦労するということだ。読めたら読めたらで、別の苦労もあるけれど。つまりこの世は等しく苦しみで満ちている。

「それについては私が保証するわ。それより悪いわね。待たせて」

「いや、それはいいんだけどよ」

 拙い私たちの言葉で、ウリナはそう言っている。訛りがどこかおじさまに似ていて嫌だと思ってしまった。

「安い調度品だな」

「そういうことを言うんではなくってよ」

 ウリナはそう言いながら優雅に壊れかけの椅子に座った。言葉が拙いだけで、育ちは良いのだ。育ちは。

「今まで聞いたことはなかったけど、名前を聞いても?」

「おいっ、かれこれ一年くらい一緒だろ!? そんなことある?」

「家名は分かるわ。ウリナでしょ。私が尋ねているのは、個名」

「個名? 名前のことかな。まあいいけど。私はジウリア・ドロテア・ウリナ。ウリナ家のジウリア」

「真ん中の名前ぽいものは何かしら」

「それも名前。母親の名前だよ。アルバでは伝統的に始祖の母親の名前をつけるの」

 おじさまはどうだったろうか。そう思ったら、疑問が口から出ていた。

「あなた、シレンツィオ・アガタの真ん中の名前は分かる?」

 言った瞬間に、ウリナが飛び上がった。

「なんでその名を知っている!」

「大声を出さないで。知っているのね」

 急にウリナという人間に興味がわいて来た。おじさまのことを知る、私以外の人。

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