第109話 塩気

 場面はテティスたちに戻る。


 ガラスがない時代、光を取り込むことは外気を取り込むことと同然である。

 冬が終わったとはいえ、何せ高所である。涼しいを通り越して肌寒く、ウリナは身を震わせた。

「寒くない?」

「私は慣れていますから」

 テティスはそう返事をした。エルフ年で三年だから人間で言えば一二年もこの山都ヘキトゥーラに住んでいる。この程度の気温ではなにも思うことがなかった。

 それよりも、高所に取り付けられた窓から差し込む光が部屋全体を明るく照らしている。

 光が空気中の埃を浮かび上がらせていて、そちらのほうに気が行った。

 魔力の温存を考えない状況なら空気中の塵を魔法で動かして絵でも描いていたはずである。

 ただ現状は気楽に魔法を使うわけにも行かなかった。連れてきた女は親切だったとしても、その後ろにはろくでもない輩がいるかも知れぬ。テティスは貴族の子女としての経験からうんざりするほどそのような例を見ていた。心を読める権能を持つ彼女に対抗する簡単な手段として無知な者を使って接近させるのはこの頃の常套手段であった。

 いささか簡素な部屋に似つかわしくない着飾った女が木箱を持って来ている。胸元をもう少し隠すべきと思ったがテティスは何も言わなかった。美味しそうな匂いに釣られたのである。

「最近評判の風変わりな料理出す屋台があるの」

 着飾った女はそう言って微笑むと、さあお食べと言った。

 テティスは気づかれぬように毒見の魔法を四種類使ったあと、大丈夫だと言うようにウリナに向かって軽く頷いた。

 ウリナも完璧な所作で頷き返し、そうして食事が始まった。

 木箱を開くとまだ湯気が立っていそうな薄い茶色の板が皿に積んであった。少しの厚みがある板である。表面に小さな粒があり、豆か何かか原料だと思わせた。

 テティスは周囲を見回した。短剣は自前のものを使うにせよ、とりわけの皿がない。

「なんだパネッレじゃん」

 ウリナは特に気負うでもなく手で板を掴んで頬張っている。

 テティスが絶句していると、ウリナは世間知らずをみる顔で喋りだした。

「これはそういう食い物なんだよ。屋台料理で手づかみで食べる。手づかみだからうまいとも言える」

「手が汚れるのでは」

「洗えばいいだろうが」

 テティスは人間の国は野蛮だと思ったあと、おじさまはそうでもなかったと思い出した。無表情だが内心は優しいおじさまを思い出し突発的に泣きそうになるのを唇を噛んで我慢して、素手でパネッレなる食べ物を手に取る。

 食べてみる。

「……悪くはありませんね」

「南アルバの名産でハズレがないと言われてるな。エルフの国でも似たようなものがあろうとは」

 似たようなものも何もムデンが表情を変えずに作っていたものだが、テティスもウリナもその肝心なことには気づかないままであった。夢にも思ってなかったという。

 一人と一妖精はしばしパネッレを食べると、期せずして同時に口を開いた。

「塩気が足りないな」

「もう少し塩辛いほうが好きです」

 テティスの言葉にウリナは大いに頷いた。

「アルバじゃこれの上に塩をかけてある。というか、お前話が分かるな。こっちの料理はみんな塩気が足りない」

「そうかもしれませんね」

 思えばおじさまの作る料理は塩が効いていた。テティスはすっかりそれに食べ慣れてしまってエルフとしては例外的に塩気が多い料理を好むようになってしまっている。

 最初は塩辛いのに驚いて、それでも出されたものを食べるのが貴族の子女の務めと思っていたなあと思い出し、テティスは少しだけ笑った。どこかアルバを思わせる味だった。乾酪のせいかもしれない。

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