第103話 放たれる刺客

 かつて存在したエルフの国、人類帝国が分裂を繰り返して今のルース王国になっているので、ニクニッス国はルース王国の縁戚国家ともいえる。

 ルース王国は、この国を遠くに枝分かれした親戚の子孫のような扱いをしており、対してニクニッスは、ルース王国を何故か偉そうな遠方の国と認識していた。矜持がありすぎてバカにされることがまったく我慢ならず、気が短すぎてすぐ戦争を起こすことで知られるニクニッスがルース王国の認識を許していたのには理由があり、間に四国も国を挟んでいたせいであった。距離が遠かった、ともいう。

 そのニクニッスの諜報を担う貴族達は大混乱に陥っていた。実験に使用するため連れてきて放っていた子供達が全滅という名の大量脱落をしたのである。意味不明の事態であった。

「なんの変化もなかったとしても、全滅するであろう冬にはまだ早いと思うが……?」

 不思議そうな顔で報告書の感想を言ったのは、統括するバースクル伯爵である。ニクニッス王家の靴を丹念に舐めてその地位についたと言われる忠義者で、その表現の仕方から分かるとおり、王家以外からの評判はすこぶる悪かった。これは彼や彼の運営する組織が、国内貴族の問題を調査し、懲罰を与えていたためである。諜報にも色々あるが、彼は本来、国内の貴族の動向を調査する役目を持っていた。

 その彼はまこと長きに渡る活躍で、この度諜報関係をまとめる立場になった。よりにもよってこの時期である。まこと、運が悪かったと言わざるを得ない。

 書面に向けていた顔をあげて、バースクル伯爵は報告してきた部下を見た。部下もまた、貴族である。キーオベンチ男爵、という。こちらは古くからの対外諜報、中でも友好国での諜報活動をしていた貴族である。男爵とは名ばかりで、実質は二つ上の格である伯爵に匹敵する領地、権限を持っていた。諜報活動に便利だからという理由で男爵に留め置かれているという、彼も幸の薄い存在ではある。

「はい。早すぎます」

「どういうことだね。キーオベンチくん。ルース王国が我々の長い影に気付いて対応するにしても、早すぎる気がするが」

「はい。まったくもってその通りです。その線はないとして、現在三通りの可能性で対応を始めております」

 バースクル伯爵は自慢の口ひげを何度かなでた。

「第三国による横槍。これも同じ理由で早すぎるな。少なくとも見極めてから動くはずだ。となると……治安が悪すぎる、か? 外国人を大勢受け入れている割にはなんともお粗末だが」

「はい。治安が悪い、という話は聞いておりません。我が国の首都と同等と聞いております」

 バースクル伯爵は顔をしかめた。

「かなり悪いな」

「そうだったのですか」

 対するキーオベンチ男爵は、驚いている。彼は国内事情に明るくない。意図的に詳しくないようにして生き残りを図った面もある。尖りすぎた専門家は、処断されにくい。ニクニッスで王の座を狙っているなどと言われて処断されるのは大体多方面に情報を集めている貴族であったからだ。

 バースクル伯爵は、ちと処断が過ぎたかなという顔をしながら、口を開いた。

「これは王家批判ではないぞ。人口が多いということは多かれ少なかれそういう傾向がある。都市人口は犯罪者と比例するのだ。経験則だがな」

「承知いたしました」

「三通りの可能性と言っていたな。あと一つはなんだ」

「おおそれながら我が国の貴族が良からぬ動きをしている可能性があります」

「ない、とは言えぬのが悲しいのう。ニクニッスの歴史は裏切りの歴史でもある。嘆かわしいことだ」

「シレンツィオだ!!」

 バースクル伯爵とキーオベンチ男爵は同時に顔をしかめた。部屋の隅にいた老人が、急に叫びだしたのである。二人にとっては突発的に起きる、それは発作であった。

「ホーナーどの……」

 バースクル伯爵は声をあげた同僚を見て肩を落とした。ホーナー元侯爵、敵対国の諜報を行う家の当主であった人物である。今は領地召し上げの上、宮中伯爵扱いとなっていた。

 主にアルバ国に対する工作をしていたのだが、ことごとく裏目に出て心を病み、降格の上、バースクル伯爵の部下になっていたのである。当時におけるシレンツィオ被害者の一人と言えるだろう。もっとも、被害を与えた本人は、名前も覚えていないと思われる。

 元侯爵は、目つきだけは最盛期を思わせる鋭さで口を開いた。

「シレンツィオだ、ヤツがきたのだ」

「いえ、あの、今回はルース王国の話でしてな」

 バースクル伯爵の言葉に、元侯爵は激怒した。立ち上がってよろける。

「バカめ、それがもうヤツの術なのだ。ヤツはいつでも思いもよらぬ所から来る。いつもだ。いつでもだ!! 忘れたか、ヤツは北の凍てついた島から女巨人の肩に乗ってきた、ヤツは死の海の向こうから円卓の騎士たちを連れてきた、ヤツは……ヤツはいつでも、我らの野望が届くところに斜め上から現れるのだ!! 例外などない!」

 キーオベンチ男爵が頷くと、部下が元侯爵を別室へ連れて行った。長い沈黙の後、バースクル伯爵がため息をついた。

「シレンツィオはもう引退しておりますよ、閣下……」

「おいたわしい」

 キーオベンチ男爵の言葉に、バースクル伯爵は頷いた。気持ちは分かる。だが、時代は変わったのである。宝剣は林檎のアバロンへ帰った。シレンツィオはもういないのだ。あとは人的問題さえ解決すればいい。

「それで、どうなさいますか」

 そう問われて、バースクルは迷いもしなかった。彼は彼で優秀だったのである。

「治安と我が国の裏切り者の双方の線で動く。諜報員を動かせ。必要なら濡れ仕事も構わぬ」

 濡れ仕事とは殺人のことである。バースクル伯爵のこの果断さは、以後ことごとく裏目にでる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る