第101話 筆逸れる

(2)

 ここで一旦、筆はムデンから離れる。

 ムデン、という人物はシレンツィオであった頃から一部の例外を除いて他人というものに興味がない。そして興味がないものについては冷淡を通り越して酷寒であり、路傍の石に対するよりも気を回さない。

 敵なら殺す、そうでなければ無視する。以上で終わりである。殺す際も敵に対して一切の事情を斟酌せず、虫を殺すように扱った。慈悲深く見えてもその実、面倒だから最小の労力で最大の効果を狙っている、ということが珍しくない。

 では興味がある数少ない例外にはどうかと言えば、これもまた、冷淡と言うか、相手の事情を調べようとか察しようとか、そういう気持ちはまったくなかった。母国アルバで諜報員の訓練を受けておきながら、最終的に使い物にならないと追い出されたのもこのあたりに起因する。

 指摘されてもそうかと答えるだけにとどまり、改善するための最小限の努力すらやっていない。いっそ薄ら寒いほどである。自分に好意を持っている人物がいればその人物がなぜ好意を持つに至ったのか興味があってもおかしくないのだが、ムデンはそれらについてすら興味はなく、相手が口にするまで特に何をするでもないのだった。ムデンは生来の異常者であるという説はこのあたりの行動に起因する。

 物語として見る場合、ムデン側の視点に立つと敵を含めたそれ以外の連中が何を考えていたのかさっぱり分からず、ただただ、ムデンというとんでもない嵐に巻き込まれて翻弄される話になってしまう。それはそれで面白いのだが、エルフの国に長く住むと関係する人物が増えてくると、読者としても気になる人が増えていって甚だ説明不足に落ちいってしまうはずである。

 それを受けての、一旦、ムデンから離れる、というわけである。

 しばしの間、ムデン以外の人々(エルフや羽妖精含む)の事情を見ていこう。


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 ゲルダは、ムデンの強さに愕然とした。専門の兵士ではないとはいえ、五〇人から武装集団を一瞬で壊滅に追いやって息一つ乱すことがない。そこに魂が揺らぐほどの衝撃を受けた。何もかも奪われてばかりだった少女が見上げたものは、ただ無条件で与えてくれる人ではなかった。

「化物だったんだ。化物だったんだ!! 人間ですらなかった!!」

 彼女はムデンを通じて世界の真理に触れた顔になった。納得した。心から完全に納得したと思い込んだ。思えば人が自分たちのような孤児を助けてくれるわけがなかったのである。

 でも、化物なら?

 人や人の理をいとも簡単に食い破るような、そんな化物なら?

 ただの気まぐれで俺たちを助けてくれることだってあるかもしれない。それなら分かる。むしろそうであって欲しい。それだったら、運なら信じることができるから。

 人の善意や神の存在に強い不信があっても、運なら信じられたのである。彼女はいつか気まぐれで自分が殺されるかもしれないと思ったが、それでもいいとすら思った。

「強いから……ただただ、強いから……だから俺たちを助けていたんだ。なんの事情もなく」

 ゲルダは狂喜乱舞した。自らの股間が小便が水溜まりを作っていたが、その事実からは目を逸らした。


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 ボーラは、怒った。無限抱擁らしからぬ所作であると憤慨した。猛烈抗議をしたせいか、酷薄そうに笑うことこそなかったが、面倒臭そうに人を殺して回るムデンを見てしまったのである。

”違う! そうじゃないでしょ!”

 自分の理想を押しつけているのは全部分かった上で、ボーラは怒った。怒らねばならぬと思ったのだ。何よりもムデンのために。

 ボーラは自分が死んだ後、ムデンが人に慕われて生きていくことを望んだ。それこそを自分の生涯の仕事と決めたのである。

「”自分を大切に、敵にも慈悲を与えてください!!”」

”面倒臭い”

「”そこを面倒くさがったら知的存在としての最低限の倫理すら破れるんです! やめてください!!”」

”よく分からんがそんなに嫌か”

“嫌です”

”ならお前の前ではやらんようにしよう”

 違いますとボーラは言おう、言い切ろうとして、言い損ねた。顔を真っ赤にして、はぁ? などと挙動不審になってしまっていた。

 生き物としての強さ、あらゆる修羅場を巡ってきた経験から、どう考えても自分が死んでムデンだけが生き残ると思っていたのだが、その論理的計算と決意が、飛んだ。頭の中からどこかに行ってしまった。


 しかもよりによって、そんな時に限って、ムデンは自分だけを見て微笑むのである。

 ひどいひとだ、いやひどいえるふだとボーラは思った。

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