第97話 覗き見ゲルダ

 その、ムデンの服を引っ張って恥ずかしがってーとテレパスで叫んでいる様子を、眺めている子供がいた。一度帰らせた貧しい子供たちのうち、代表格の一人が戻ってきてムデンの様子を見ていたのである。

 この人物がこのときのことを書いた文書が残っており、エメラルド姫を巡る研究では重要な資料になっている。彼女の守役、ムデンという名前が最初に出てくる文書だからである。ただこの小説ではムデン=シレンツィオとし、資料の価値はあまりないものとして扱う。実際シレンツィオ・アガタの為人ひとなりから考えれば、別段驚くような内容はなにもない。

 その文書の内容から一部を引き写せば、以下のようになる。書かれた時代的にはこの場面の少し後になるのだが、臨場感は高い記録であろう。文語ではなく口語で記録されていたせいもある。

 文字を教わったので、書いてみる。最初に書くのはあの日のこと。忘れないとは思うけれども、書く。

 やばいものを見てしまった。ムデンと名乗ったおっさんはおとぎ話みたいに魔法を使い始めて、屋台を作り上げてしまった。

 (その際)魔法陣も、詠唱もなかった。たぶんこのことは、誰も信じてくれないだろう。だから書く。言いたいから。

 おっさんは涼しい顔で道端に座ると、羽妖精と戯れていた。どんなやつだよ。あんな光景見られたら、ただじゃ済まないはずだ。商人やら貴族様やらがほっとくわけがない。料理が微妙なだけの人じゃなかったんだ。大魔術師だったんだ。

 以上のようなものであった。なお()は筆者が補足した内容である。北大陸のエルフは秋津洲と系統が全く異なるため、この魔法の技は相当奇異、または衝撃的に映ったはずである。大魔術師などという誤認も、そこからきていると思われる。

 またシレンツィオ=ムデン説を採らない研究では、現在では魔法の内容と名前と合わせてムデンを秋津洲から派遣された人物、とする。

 いずれにせよ記録を残した子は、衝撃を受けた。うっかり声を上げてしまうほど驚いたのである。 

 その声で、ムデンとボーラは同時に顔を向けた。

”ムデンさん”

”ほう。すごいな。俺とボーラの気配察知をかいくぐるとは”

”隠形の権能持ちだと思います”

”なるほど。エルフの国では権能がすぐに鑑定されるのだな”

”いーえー。権能の鑑定はどこでも特権階級の独占物ですよ。あの子もおそらくは貴族かなにかの手のものでは”

”そうは見えないが”

”間抜けなのはそうですね”

 ムデンは苦笑すると、うっかり声をあげてしまった子を呼び寄せている。

 子供は震えながら、歩いてきた。もう駄目だと思いながら。

 ムデンはいつもの無表情。

「どうした、忘れ物か?」

「俺を鼠に変えちゃうの?」

「何故だ?」

「秘密を見ちゃったから」

 しばし、間があった。ムデンであっても不思議なことはある。

「いや、屋台を作るのを見ても腹は膨れんだろうから帰しただけだ」

”ムデンさんは魔力量が飛び抜けて多いので、それを秘密にしているのかと思いました!”

”それは秘密にしなければいけないことなのか”

 ボーラのテレパスに返事をしながら、ムデンは頭を掻いている。

”魔法について、色々学ばねばならぬようだ”

”あ。はい。もちろんですよ。知らないで魔法使うとか、最悪世界滅ぼしますからね”

”気をつけよう”

 ムデンはそう言って笑みをかすかに浮かべると、震える子供に口を開いた。

「面白かったか」

「す、すげえと思った」

「そうか。だがまあ、魔法は甘えだ。余り使うなよ」

”面倒くさそうな説明、全部省きましたね。今。あとその言い方、いつも罠にはまってる人みたいです”

”そうか。まあ、そうだな”

 ムデンはそれだけ言って、何食わぬ顔でできたばかりの屋台と銅の固まりを運んでいる。

 その後を、件の子供が追ってきた。

「なあ、本当に鼠にしないの?」

「しないな」

「あとでまとめて俺達殺すの?」

「何故だ?」

「秘密を見ちゃったから」

「それはもう聞いた。秘密なんてものはない。大丈夫だ」

”貴族に知られたらどうするんです?”

”その時に考える”

”羽妖精より行き当たりばったりですねえ”

”それはいい褒め言葉だな”

”えぇ……”

 テレパス中の間をどう思ったか、件の子供は決意した面持ちで顔をあげ、ムデンに並んだ。

「俺、ゲルダ。ニクニッスの東方領土生まれ。父ちゃんは船乗りで戦争で死んだ。母ちゃんは俺を棄てて、どっか行った。それで道端で寝起きしたら、偉そうな連中に捕まってこんな山の中まで連れてこられたんだ」

「そうか。俺はムデンだ」

”いやいや、ゲルダちゃんが丁寧に自己紹介してんだからムデンさんも自己紹介しましょうよ!! 可哀相じゃないですか!”

”まかせた”

”自己紹介任せたら自己紹介じゃないじゃないですか! なんでも自分でやるくせに、どうしてそういう時だけ任せるんですか!”

”面倒だからだな”

”心から本気で言ってるのはわかりますけど、正直どうかと思います”

 ボーラはそう言ってゲルダの方を見ると、滞空しながらテレパスを飛ばした。

”えっとこの人はムデンって人で、変なところで面倒くさがりの変な人です。趣味は前にも言いましたけど子供になにか食べさせること! あと元船乗りです”

「そうなんだ。でも船乗りがなんでこんな山奥に? 父ちゃん、仮に船乗り辞めても海からは離れられないだろうって言ってたよ」

”お父さんも海が大好きだったんですね……このムデンさんも海が大好きなんですけど、好きすぎて失恋みたいになって海から遠ざかってるんです”

 ムデンは何も言わなかった。話を聞いてすらいなかったと思われる。

 ちなみにこの山都の近くの海はルース王国の北の端、または西のリアン国にある。北の方は小規模な軍港しかなく、波も高いため、ゲルダはムデンをリアン国の人間だろうとあたりをつけた。この推測は前述の文書に書かれている。同時代的には、ムデンをリアン国出身とするものが多かったようである。

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