第91話 引き分け狙い
ボーラ短剣を握って煙を上げる手とシレンツィオの横顔を交互に見た後、口を開いた。
”魔力で人間がエルフになるという話、本当だったんですね……”
”説明したろう”
”いやそうなんですけど……実際見るとちがうというかなんというか。いや、シレンツィオさんの耳が長く尖り始めてるなあとは思ってたんですよ?”
”軽口よりも作戦会議とかしたほうがよくなくて?”
シレンツィオの負傷で挑発から立ち直り、余裕を取り戻したエルフモドキがそう言った。
”ご丁寧に痛み入る”
”ふん”
エルフモドキはそう言って急に顔を歪めた。。
「”憎い、その余裕が憎い。思い合っているのが憎い!”」
”どうしましょうシレンツィオさん、私達のラブラブは羽妖精女王モドキにも知られているようですよ”
”ラブラブがなにかは分からんが、あれは、正気を失っているように見える。冷静な判断ができているようにも見えんし、隙をついても来ない。そもそも目的が日記の奪取。意味が分からんな”
”もしかして、今のやりとりは罠でした?”
”いや。痛みを紛らわせるためだ”
”シレンツィオさん、日記を捨てて逃げるのはどうですか。あの日記には大したことは書いてありません”
”俺は女との約束は破らない主義だ”
”私と約束しましたよね。危ないことしないとか戦闘はしないとか”
”そっちは覚えていない”
”こら”
エルフモドキは翅を動かしながら奇怪な植物たちを伸ばしてシレンツィオの足を絡め取ろうとした。シレンツィオは短剣で植物を切断し、植物が煙をあげて燃え始めるのを見て、俺の同類だなと考えた。
つまり魔力というものは、鉄と激しく反応する性質があるらしい。
シレンツィオは鉄の短剣を握りしめた手を包帯でぐるぐる巻きにして笑った。
「”最後までやるか? 俺は引き分けでも構わないのだが”」
「”殺してやる”」
エルフモドキは再び植物の槍を次々と形成し始めた。この攻撃が一番効果があると判断したようであった。実際その通りなのだが、シレンツィオの表情はいつも通りだった。心の内もまた同じ。静寂の名は伊達でなかった。
”ボーラ、怒っていないで、頼まれてくれ”
”シレンツィオさん、絶対悪い男って言われますよね、言われますよね?”
”他人が何を言おうが知ったことか”
”そういうところですよ! 戦い終わったら説教三時間ラブラブ六時間です。それで私に何をさせようっていうんですか!”
”エルフモドキから情報を得ようとしても埒はあかないだろう。他から、答えを出すしかない”
”ノーヒントは無理ですよ!”
”難しい話ではない。日記を思い出してくれ”
”羽妖精に記憶問題は期待しないでください”
”それでもだ。今はそれが頼りだ”
”がんばります”
シレンツィオは思った。
”あれは植物の魔法しか使ってこない。人間にとって忌々しい火の球を使ってこないということは、新しい魔法に精通していないということではないか?”
”はい。シレンツィオさんのいう、意思の力だけで魔法を使っていると思います”
”正気を失う前は植物に関係した仕事をしていた可能性がある。それでいてエムアティ校長の日記を読みたがる人物だ”
”エムアティさんのお母さんですね”
”その名前が知りたい。おとぎ話が本当だとして、名前を呼びかければ、あるいは”
”難しいことをいいますね! 確かに魔法には名前の掟というものがありますが! あとそれは求婚になりかねないので言い方考えてください。”
シレンツィオは飛んでくる槍をぎりぎりで躱しながら足に絡みつく草を短剣で薙ぎ払った。踊るような舞うような、それは動きであった。
”頼む”
”通常、日記に母親の名前を書く人はほとんどいないと思います。母と書けばでいいわけですから”
”それでもだ”
”日記を落としてください。最速で探しますから”
”分かった”
シレンツィオは日記を入れた袋を落とした。
エルフモドキは目当てのものが落とされたにも関わらず、シレンツィオを狙った。冷静な判断力が失われていると判断した、シレンツィオは外套を盾や鎧にしながら回避した。外套にはボーラがちくちくと刺繍した守りの魔法陣が描かれており、それがシレンツィオの身に致命的な怪我を負わせることを阻止していた。
”俺は好かれているな”
”今頃言わないでください! 一冊目読了、あと二冊です。現在該当なし”
守りの魔法があるとはいえ、無傷ではいられない。怪我はしている。加えて短剣を持ち続けることでの傷もある。持つかどうか。シレンツィオは考えながら何度目かの植物の槍の一斉攻撃を回避した。外套に穴が開いて淡い光が急速に失われていく。
”二冊目読了、現在該当なし”
シレンツィオは呼吸を一度すると、息を止めてはじめて接近を試みた。逃げ回る間に足元を確認し続けていたのである。
短剣を突き立てようと動いたのを見てエルフモドキは植物の壁を立てた。茨がひしめく生け垣だった。シレンツィオは薄く笑うと距離を取った。
”戦いの素人だな。壁では敵の動きが見えなくなる”
”殺してやる! 理由も思い出せないが殺してやる!”
シレンツィオは包帯を解くと短剣を捨てた。これ以上持っていると指が使い物にならなくなるという判断だった。
有利なことはこちらは戦いが仕事だった。向こうは素人だ。不利なことは数え切れんな。
シレンツィオは笑っている。日記に名前がなかったら?
まあその時に考えよう。シレンツィオはそういう人物である。顔は凛々しく険しいが、楽観主義なのだった。
後、何手稼げるか。それが問題だ。
シレンツィオは狭い範囲を逃げ回りながら、エルフモドキの立てた茨の壁を利用して身を躱している。
”あと二手くらいは持つ”
”急いでます! あった!”
シレンツィオは微笑んだ。目の前の壁がほどけて触手になって襲いかかるのを後ろに飛んで回避した。ボーラの横へ。
”名は?”
”リアティ”
「”リアティ!”」
シレンツィオが大声を上げると、エルフもどきの動きが止まった。なにかに縛られたかのように固まっている。
「”敵対をやめてくれ。俺はあなたの娘を尊敬しているし、その母を傷つけたくもない”」
シレンツィオがそういうと、エルフモドキことリアティは急に脱力した。
”嘘をつけ”
「”嘘ではない”」
”娘が私のことを思うわけがない!”
”え、そっちですか?”
ボーラの思念がシレンツィオに入ってくる。シレンツィオは巨体を震わせて両手で顔を隠して泣くリアティを見た。
”私は夫や村に捨てられたのよ。もう人ではないと。彼らが娘に私のことをどう言ったかなんて簡単に想像できる”
「”想像はどこの国でも最強の化け物だ。それは普通の人間をも化け物に変える”」
シレンツィオは酷く優しくそう言うと、リアティに近づいた。
「”想像は事実と真実で殺すことができる。誤解があるなら解こう。その手助けはする”」
ボーラは頬を膨らませたが、膨らませるだけにとどめた。
「シレンツィオくん? 私の母を口説かないで欲しいんだけど」
いつのまにか現れたエムアティがそう言った。シレンツィオはそんなつもりはないと眉一つ動かさず答えている。そういう男なのだった。
”俺のことよりも、校長はすべきことがあるだろう”
”そうね”
エムアティはそう考えると、数歩前に歩いた。表情をどうしようかと考えて、笑いながら涙がでている。
「”お母さん”」
「”エムアティ……”」
シレンツィオはそっと下がると、腰を下ろした。焼けただれた手を見ながら治療の魔法を使おうと考える。
治りは遅いが手から煙が上がって治癒が始まった。まあ、時間はかかってもいいだろうとシレンツィオは思う。久しぶりの親子の再会であろうから。
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