第87話 山へ入る

 シレンツィオが言葉を待っていると、ボーラは顔の横に飛んだ。

”さっき日記から調べたことを教えますね。結論から言うと、よく分かりませんでした”

”そうか”

”校長の父が山に入ったことと、病気の快復に関連性はあるような感じなんですが、どこにも書いてないんです。暗号も疑ってみたんですが、その可能性も低いと思います”

”山になにかがある、だけしか分からんか……”

”霧を掴むような話です”

”そうだな。実際、校長の父君もそういう気分で山に分け入ったのだろう”

 そこまで考えてシレンツィオは間を置いた。

”校長の父君の気持ちになって、山の中に入ってみるか”

”霧を掴むよりは多少マシな気がしますね”

”そうだな”

 その前に、蕎麦のパスタの作り方伝授である。シレンツィオは金を取らずに伝えて蕎麦のパスタを量産、食堂を再開させた。

 シレンツィオの狙い通り、挽きたてに限っては、味の異変や口内の熱さを完全に抑え込むことに成功している。

 このため食堂は低学年の子供たちによって瞬く間に人でいっぱいになったと伝えられている。シレンツィオの心意気を買ってか、この蕎麦のパスタの作り方は広く伝授され、ルース王国が滅んだ後は世界中に広がっている。料理人たちが他国へ散っていったためである。本邦にも江戸の時代に伝えられ、今や国民食となっている。

 しかしシレンツィオは、食堂で皆が蕎麦のパスタを食べている現場を見ていない。一人、正確には羽妖精を連れて一人と一妖精で、山の中に分け入っているからである。


(8)

 春先のヘキトゥ山は雪解けの真っ最中である。足元は濡れ、岩場になると大層危なかった。植物も盛んに生えている。

”コゴミがありますねえ”

”あれは本来雪が融けたあとの草だ”

”なるほど。異常繁殖だったんですね”

”ああ”

”魔法かもしれませんね”

”そうだな”

 しばらく会話が途絶えた。急にできた雪解け水の小川を飛び越えるために集中せざるをえなかったためである。

”思うに、娘に何かを食べさせたかったのではないか”

 歩きながらシレンツィオはそんなことを伝えている。

”そうですね。薬を探すなら、薬師だったというお母さんを連れて行っているでしょうし”

”そうだ。適当な野草を取って渡した可能性もあるが、俺はそうではないと思う。何か栄養をとってほしいと思っていたはずだ。”

”そうですねえ。そもそもこの季節では……山菜だけですよね”

”秋津洲から流されて来た人物だ。植生が違うのに苦労しているはずだ”

”秋津洲にもコゴミとかはありましたよ?”

”コゴミ以外はどうだ”

”アスパラガスは見たことがないです。シレンツィオさんが言う火炎草はありました。それ以外はないと思います”

”そうか”

”あとペンペン草”

”それもあったな”

 シレンツィオは歩きながらついでのように山菜を集めている。

”シレンツィオさん、山菜は粉にできないから駄目なんじゃないんですか? かなり最初からガットちゃんと性悪幼女、痛いとか言ってましたよね”

”ああ。だがこれは食わせるために取っているんじゃない。昔、娘のために歩いた漁師の足跡を探るための行動だ”

 シレンツィオは雪の積もった斜面で立ち止まって、少し考える。

”そうだな。娘に山菜を食べさせようにも汚染されているはずだ。じゃあどうした。何を食わせようとした?”

”カモシカの肉とかどうでしょう”

”流れ着いた漁師が捕れるような生き物ではない。だがまあ、そうだな。そうか”

 シレンツィオは、山の中で海を思い出した。

”魚なら、取れると思ったんじゃないか”

”なるほど。漁師が山で漁をする。言葉は変ですけど、確かにありそうですね。カモシカさんよりは取りやすいでしょうし”

”ああ。すると水場に向かう。川下は別の村が独占しているだろう。必然、行く先は”

 シレンツィオは実際に水源に向かって歩いている。

”シレンツィオさん、このままでは壊した遺跡の方に行ってしまいますよ”

”水が流れて谷を作るのだから、道理だな。ふむ。行ってみよう”

 シレンツィオは歩いて向かっている。

 ゆっくりと踏みしめるように歩き、そのまま谷に入った。遠くで水の音が聞こえる。

”流量が少ないから凍ったと思っていたが、まだ水が流れているんだな”

”本当ですね。こんなに寒いのに”

 シレンツィオとボーラは顔を見合わせた。

”熱源があると推定します”

”そうなるな。何が出るか”

”休眠とはいえ、火山ですから。温泉かなにかがある可能性はあります”

”俺はそう思わん”

”そうですね……”

 ボーラもそう思っていたが、認めたくはないようであった。

 温泉特有の臭いがなく、植生も変化していない。温泉の近くに生える植物は、他と違うはずだがそれもないのである。

”魔法陣が残っている……はずはないんですけど”

”事実は事実だ”

”はい”

 シレンツィオは表情を一切変えずに思念を飛ばした。

”ところで聞きたいことがあるのだが”

”私は一夫多妻制に断固反対しています。どうぞ”

”そうか”

”なんでいつもと同じ反応なんですか!”

”俺の国も一夫一婦制だぞ”

”えぇ……”

 心底困惑した感じのボーラの心境を無視して、シレンツィオは質問を始めている。

”お前の翅から鱗粉が出ていた”

”出ますね。たまに。汚くはないですからね。一応言っておきますけど”

”あの鱗粉の正体はなんだ?”

”はい?”

”鱗粉の正体だ”

 ボーラはしばらく動きを止めた。というよりも、考えることに注力した。お陰で飛べなくなって、落ちるところをシレンツィオに拾われている。

”えーと”

 さらにしばらく考えて、シレンツィオの顔を見ている。

”ものすごくスットコドッコイな質問のような気もしますが、シレンツィオさんは真面目に質問しているのは分かります”

”俺はいつでも真面目だ”

”真面目に脱線したり道草くったり遊んだりしてますね、さておき……”

 ボーラはうなっている。

”私の知る限り、鱗粉は鱗粉です。正体もなにもって感じです。見たままですよ。でもそれでは期待した答えではないんですよね”

”そうだ”

”もう少し、何を知りたいのか教えてくれませんか。正体と言われてもですね、とんと見当がつかないんです”

”鱗粉が口に入ったが、苦く、口の中が熱くなった。これはあれじゃないのか”

 しばし、間があった。

”えーと、口に入ってたのならすみません”

”それはどうでもいい”

”そのうえで話をしますけど!! 私の鱗粉が苦いのと、食中毒もどきは関係ないと思います! 私、食材に鱗粉ばらまいたりしてません。本当ですよ!”

”疑っていない。俺が言いたいのは、やはり魔力には味があるんじゃないか?”

”えー”

”鱗粉は魔力の塊である可能性がある。どうだ”

”どうだと言われましても……ええと”

 ボーラは頭の中で色々考えた。顔をあげてシレンツィオを見上げる。

”まあたしかに常時飛翔魔法が掛かっているマジックアイテムみたいなものですから、ありえるかというとありえるのかなあ……でもそんな突拍子もないこと考えた人なんてシレンツィオさん以外にいませんよ。絶対”

”他人のことは気にしていない”

”ですよね。うーん。あ。でもシレンツィオさん。その考えは間違っているかもしれません。だって”

 ボーラはシレンツィオの顔を眺めている。

”シレンツィオさん、元から苦いとか熱いとかわからないとか言ってたでしょ?”

”それが昨日ぐらいから分かるようになった”

”ちょ”

”まだ元気なほうだ。心配はいらん。それで、ここにきてなんとなく分かるようになったんだが”

”それが私の鱗粉と同じ味だったと”

”そうだ”

”なるほど。分かりました。でも私の探知魔法で把握できる範囲では羽妖精なんか住んでいませんよ?”

”その範囲はどれくらいの範囲だ?”

”この山全部くらいです。麓の村まで届きます”

”なるほど”

 シレンツィオは、あまり残念そうではない。

”元々羽妖精を疑ったりはしていない。魔力に味がある。それが一番重要だ”

”そうなんですか”

”ああ。授業のときから、不思議に思ってはいたのだ。魔力は血に宿る、というのなら、魔法陣を起動させたという裏庭の土はなんなのかと”

”あー”

”おそらく生命がどうこうは、実は関係ない。あらゆるものに魔力は含まれる”

”じゃあどうして……”

”おそらく、砕く以外には魔法によってしか魔力は抽出、排出できないんだろう。食い物の中に魔力は含まれている”

”生物濃縮!? え、魔力が生物濃縮されるなんて業界がひっくり返りますよシレンツィオさん”

”業界がなにかはしらんが、ひっくり返るのは後だ。今は時間が惜しい”

”はい”

 ボーラは空中正座している。

”お話を聞かせてください”

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