第85話 グァビアと抱擁

 状況はさらに悪くなりつつある。

 もっとも、悪いことばかり、というわけでもなかった。

 シレンツィオの疑いが晴れた。とエルフの騎士が伝えに来ている。魔法国家にありがちな話ではあるが、心を読んでみろという言葉は大変な重みがあった。

 それと、もう一つ。

 吉報を聞いて食堂へ向かったシレンツィオは、彼にしては珍しく、少し笑顔を見せた。

「解放されたか、グァビア」

 食堂の前にはエルフの料理人たちがいた。シレンツィオはそれぞれと抱擁を交わして再開を喜んだ。

 なお抱擁するのはアルバの文化であり、北大陸のエルフにはそういう文化がない。さぞかし微妙な顔をしていたと思われる。

「どうやら尽力してくれたようじゃないか」

 グァビアが心なしか離れながら言った。今はテティスがシレンツィオに抱きつこうとして外套の中から細い手がでてきてこれを拒否している。

 シレンツィオは一切を無視した。

「気にするな」

「お前実は劣……古代人の中でも相当凄い立場なんじゃないか」

「俺がレシピを売ったのは、クァビア、あなたの立場を見たわけではない。人なりを見たんだ」

 シレンツィオが言外に、だから俺のことも立場を見てくれるなと伝えた。グァビアは苦笑している。

「そうか……じゃあ、それでいいんだな」

「いいとも」

”シレンツィオさん、私にはめったに笑顔を見せないのになんで笑顔を見せてるんですか! しかも相手は男の人ですよ”

”性別がここで関係あるのか”

 まあいい。シレンツィオはそう考えたあと、グァビアたちに話しかけている。

「解放されたところ申し訳ないが、子供たちが困っている。調理を頼みたい」

「もちろんだ」

「安全性が高そうな食材は調べてあるが、なぜかとても足が早い。見た目で良し悪しを判断するのではなく、帳面を付けて厳密に日数に判断してくれ」

「分かった。腕によりをかけるぜ」

 おおっ、と他の料理人たちも声をあげた。シレンツィオは頷くと、頼むと頭を下げている。

 否が応でも、料理人たちの士気はあがった。

”これで暇ができたな”

”そうですね。ようやく休めます”

”休んでいていいぞ”

”え、シレンツィオさん、まだ何かするんですか?”

 ボーラのテレパスに、シレンツィオは眉一つ動かさない。

”ボーラは此処から先どうなると思う?”

”料理人さんたちが解放されたんですから、エルフも食中毒ではないと思い始めたんじゃないでしょうか”

”そうだな”

”ならもう、エルフに任せればいいじゃないですか。シレンツィオさん今回もいい仕事したと思いますよ。また報奨金がもらえるかもしれませんね?”

”俺はエルフという種族と戦争をしたことがある”

”はぁ、知っていますけど何か?”

 ついでに言えばその腕を見込んで勧誘に来ましたが? という顔でボーラは思念を飛ばしている。

”エルフという種族にはその長い寿命のせいか、問題があってな”

”どんな問題ですか?”

”連中、都合が悪くなってもやり方を変えない。変えるのが極端に遅い。自分たちのやり方に自信がありすぎるのか、それとも別の何かがあるのかは分からんが、明らかに非効率になった戦術でもそのまま強行する悪癖がある。優れた魔法の力を持つことと、戦術に柔軟性があることは同じ頭脳の働きともいえども、どうも別らしい。エルフと人間はなまじ混血可能だから同じように考えると思われがちだが、思考の部分までやはり別の種族だ”

”ほぇー。大軍師が聞いたら興味深いですねととか言って大変に喜びそうな話ですけど……”

”今回の場合でいうと、おそらく対応を変えてくるまでに年単位がかかる。エルフの年の数え方でな”

”え。ええ……つまり我々の年の数え方だと最短四年とか? 正気ですか”

”エルフの海軍だけがおかしいということもあるまい”

 しばし、間があった。羽妖精は唸っている。

”うーん。まあでも、たしかに秋津洲のエルフ様ならそうかもって感じがありますね。鉄砲に全然対応できてませんでしたし”

”そうか”

”じゃ、じゃあシレンツィオさんが対応するってわけですね?”

”テティスやガットにまずいものは食わせられん”

”シレンツィオさんらしい動機ですね。心優しいシレンツィオさんが好きです。分かりました! ボーラ、ついていきます”

”それは嬉しい”

”表情筋が仕事してませんよ? いいですけど”

 ボーラはくすくすと笑ったあと、不意に独り言を喋りだした。

「あー。なんでこんな人好きになったんだろうなあ。私、好きになるなら背が釣り合ってシュッとして魔法が得意で元気いっぱいの妖精に恋するだろうと思っていたんですけどね」

 そう言いながら、テレパスでは好きです。シレンツィオさんを連呼している。

「まさか全部予想と違うとは思ってもいませんでした。なんか怖いし魔法使えないし、都合よく耳が悪くなるし、おまけに人間なんですから」

”それで?”

”大好きです。ちゅーしてもいいですか?”

”いいぞ”

”べ、ベロちゅーでも?”

”それが何かはよく分からんが、いいぞ”

 数秒のあと、ボーラは野太い声でよっしゃあとか言っている。可愛らしくないことこの上ないが、本妖精は幸せそうであった。そういうこともあろう。

 シレンツィオは気にした風でもない。口づけが挨拶の国なのだから致し方ない。

 ともあれ、再び調べ始めることにした。事件解決まではお預けである。

”エムアティ校長は、俺に手がかりをくれたと思う”

”え、そうですか? 私から見るとなんというか、壊れたと言うか、上のエルフになっちゃった感があるんですけど”

”それでも、だ。昔似たような症状があったことを教えてくれた”

 シレンツィオは外套の中に入れている日記の表紙を見る。 

”おそらく重要な情報が、この中にあるはずだ”

”どうでしょうねえ。見てもいいとは言っていましたけど……それが手がかりになるなんて一言も言ってませんでしたよ”

”溺れているときは藁にもすがるものだ。まして俺は魔法に詳しくもなく、病気の専門家でもないのだからな”

”……そうですね。昔にはあったかもしれない対処を、日記から調べてみるしかないですね……確かに”

”読む時間がかかる。それをどうするかだな”

”それなら私が読みましょうか?”

”できるのか”

”リードタイムは全知的種族の中でぶっちぎりですよ。お任せください”

”助かる”

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