第83話 替え玉騒動
シレンツィオは歩きながら、ボーラに読み取れるように考え出した。
”校長の言うことが本当だとして、過去にも同じことがあったというのは前進だな”
”これからみんなの症状が悪くなるかもしれませんよ?”
”事前に分かっているだけ、対応も対策も取れる。いい話だ”
”前向きですね”
”客観的というんだ。アルバではこう言う。医者に見せるから病気になるわけじゃない。医者はすでに体を蝕んでいる病気を見つけただけだと”
”心の強いシレンツィオさんなら確かにそうかもしれませんが……”
”究極的な対処法は校長が教えてくれている。昔は山から離れられずに大惨事だったが、今はそうではない”
”そうか。そうですね。問題はどう組織的に山を降りるか、でしょうか”
”エルフの連中は頭が固い。説得する材料を集めなければな”
そう思いつつ、シレンツィオはエルフの騎士のところへ向かっている。礼儀として事後報告と情報共有をするためである。ところがこれが、物議を醸し出した。
「校長の話なのだが、若返っているように見えた。こういう症状に覚えはあるだろうか」
シレンツィオがそう言った時のエルフの騎士の反応は残念ながら伝わっていないが、驚天動地、青天の霹靂、古今未曾有の表情だったと思われる。
一笑に付そうにも、笑おうにも笑えなかったのではなかろうか。相手がなにせ真顔のシレンツィオである。冗談と受けられなかった可能性が高い。
「は、はいー?」
「なるほど、エルフでも珍しいのだな」
「い、いえそれはその……入れ替わったのでは」
「そんな感じでもなかったが」
”シレンツィオさん、たぶんエルフでも極珍しいか、前例が無いのだと思いますよ?”
”そうか。まあ長命ではあっても若返るなんて確かに聞いたこともないからな”
”その割に冷静ですね”
”廊下でお前と話をしているうちに整理はできた。これ以上は驚くのが面倒くさい”
”それを理由に驚かない人を初めて見ましたよ。ちょっと本当に何を母親の腹の中にどれだけを置き忘れて来てるんですか”
”これは生まれつきではないぞ”
”なおさらです。羽妖精より突飛だと妖精生、苦労すると思いますよ。シレンツィオさん”
”俺は人間だ”
”なんでだろう、人間のほうがもっと苦労する気がします”
”気の所為だ”
シレンツィオの表情筋が仕事をしていないのを見て、エルフの騎士は顔色を変えて部下を連れてエムアティのところへ向かっている。このときのことは他の文献にも記載があり、ルース王国側というより北大陸全部のエルフは、これをエムアティ失踪事件として扱っている。つまり、エルフの騎士が思い込んだ通り、替え玉に入れ替わったという話になったのである。
他方、シレンツィオが残した文章から、人間側、中でもアルバ国では若返りが起きた、という現象が知られるようになった。この報告は殆どが与太話として扱われたが、数十年に一度真に受けたどこかの国がエルフの国に戦争を起こす遠因になった。若返りは人間の夢だったのである。
閑話休題。
この本では、シレンツィオの記録が全て正しいという形で話を進める。歴史的事実はさておき、シレンツィオの物語としてはそれが適当と思うからである。
それでシレンツィオはエルフの騎士に色々手伝ってほしかったのだが、エルフの騎士のほうがそれどころではなくなってしまった。捕縛対象がいなくなったとあれば責任問題であったのだから当然であろう。挨拶も程々に部下を連れて校長の部屋に突撃している。
”急いでいたのだがな”
”そうですねえ。校長の話ですと、このままだと死人がでるという話でしたし。シレンツィオさんが悲しむといけないので対処しましょう”
”そうだな。まずはどこから手をつけるか……”
考え込んでいると、ピッセロがひょっこり姿を見せた。帽子で耳を隠している。何を隠す必要があるのかシレンツィオは気になったが、寒いから帽子をかぶるのかもしれないと思い直した。北国ほど、冬の帽子には気を使う。
「シレンツィオさまっ、食材を買い集めてきました!」
「ありがたい」
シレンツィオは麓の食材で料理を作ると、大層子供たちから喜ばれた。
「これ舌が痺れないよ」
マクアディは嬉しそうである。同室のステファンという子も、大層喜んでいた。
「そうか」
マクアディの反応が優しい嘘でないかをボーラに確認させたあと、シレンツィオは腕を組んだ。
問題は、これらの食材の足の速さである。腐る前に舌が痺れてしまう。
”シレンツィオさん。せっかく集めてもらった食材ですけど……”
”分かっている。汚染される前に使い切ることとしよう。
シレンツィオはそこで、広く食事の提供をすることとした。閉鎖されている食堂を開け、シレンツィオ一人が厨房に立っている。黒い外套を脱いで白い服に着替えるとエプロンをつけて、白い帽子をかぶると、右手と左手に短剣をもって戦いに臨んでいる。
大忙しである。そのうち、手伝いに出るものも出てきた。
「シレンツィオさん、私にも手伝わせてください」
お腹が空きましたと連呼していたエルフリーデが、最初にそう言っている。料理のために前掛けをつけながらの宣言だった。
シレンツィオはエルフリーデの顔をまじまじと見下ろした。
「エルフリーデは大丈夫なのか? 熱が出たりはしてないか?」
「はい。大丈夫です」
「そうか。よかった」
襟がカンフーしているが、シレンツィオは無視している。
「では手伝いを頼む」
「はい。私、がんばりますね」
「恩に着る」
続いて協力を始めたのはマクアディたちである。
「俺もやるよ」
「僕たちもだ」
「ありがたい」
それで六〇〇人分の食事を提供した。この数字、子供たちの手伝いがあったとはいえ、大人一人で作った量としては超人的である。仕込みなしに時間制限付きともなると、一人で五〇人の騎士と戦うより難しい。
食事に困っていた子供たちから大層感謝されつつも、くたくたになって、この日シレンツィオは倒れ込むように寝ている。釣床でなくて床の上で寝たのは、長時間寝るためであろう。ボーラはこんなにボロボロになるまでなんで料理しているんですかとつぶやいたあと、シレンツィオの頬に抱きついて寝ている。
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