第81話 真なるエルフ
エムアティは拘禁と言っても無体なことはされておらず、移動を少しばかり制限されているだけのようだった。事件性もないし、証拠を画するようなこともないと、判断されたのであろう。
「シレンツィオ・アガタが参った。エムアティ校長にお会いしたい」
「どうぞ」
エムアティ自身の声で許可が出た。シレンツィオは扉を開いて音もなく歩いてエムアティの前に立っている。
「ご無事で何よりだった」
「あら、おませさんね」
エムアティは煙るように笑っている。この人物、高齢のため目が悪いのだが、違和感を感じてシレンツィオは目を見開いた。
「視力が回復しておられるのか」
「ええ。この数日調子が良くて……いいことと悪いことはいつも同時にくるわね。夫の戦死と私の出世が同時に来たことを思い出したわ」
「それは残念だった。立派な人物であったろうに」
「もう一〇〇〇年も前のことよ」
エムアティは優しく笑ってシレンツィオに顔を近づけた。
「同じ年頃の友達と比べて随分苦労しているように見えるわ」
「苦労などしたことはないが、誰かのために動いては来ていた」
「そう。いい子なのね」
エムアティは微笑むと少女のような身軽さで椅子に座った。以前あった危なっかしい動きがない。
「本当に調子がよさそうだ」
「ええ。なんでかしらね」
シレンツィオはその理由を知りたいと思ったに違いないのだが、優先順位を間違えるようなことはしなかった。
「それで校長にお願いがあるのだが」
「なにかしら?」
顔の上げ方の勢いが、老人のそれでないことにシレンツィオは違和感を覚える。覚えたが、無視した。
「例の食中毒だが、調べるほど俺は食中毒とは言い切れないと思っている。なんらか心当たりはないだろうか」
「そうね……最近の若者ときたらまったく……小さい子のほうがずっと勉強熱心だわ」
小さい子というのは自分のことではないだろうなとシレンツィオは思ったが、人間年齢で五〇歳以上、およそ二〇〇年以上を生きたエルフにしてみれば三〇年はそういうものなのだろう。エムアティからすれば他のエルフですら若者扱いなのかもしれない。
「過去に似たような症例はあるだろうか」
シレンツィオが重ねて尋ねると、エムアティは困ったような顔をした。
「それが……あるようなないような、そんな感じなの」
「なるほど。定かではないが引っかかるところはある。くらいだろうか」
「そうね。その通り。なにせ私が子供の頃の話だから……」
現存するエルフはいないが、墳墓などから発見されるエルフの頭蓋骨から推定される脳は人間と比較して極端に大きいということはない。それで数千年の記憶をちゃんと保持できるかというと、そんなことはないのである。人間がある程度大きくなるまで記憶定着しないように、エルフも記憶を断片的にしか保持しない時期が多かったと思われる。
「そうね。話すうちに思い出すかもしれないから、少し話そうかしら。今日は学校の仕事もないの」
自分が幽閉されているとは言わず、エムアティはそう言った。
シレンツィオも同様に幽閉されている者として扱ってない。頭を下げている。
「貴重な休日を俺のために使わせてすまない」
「あらあら、本当におませさんなのね。あと四〇年もすれば、いろんな女の子から声を掛けられるようになるわよ」
「それは楽しみだな」
そうなる前に死ぬのはシレンツィオとて分かっているが、笑顔でそう返事をしている。嘘ではなく、真心でそう返事をした。
エムアティは微笑むと、遠くを見るように目をさまよわせた。
「昔は貧しかったのよ。私の父は漁師で、母は薬草売りだったけど、それでも食事には事欠く始末だったわ。山と海の両方の食料を得ていたにも関わらずよ。父は断崖の果の海から仲間と一緒に流されてきたと言っていたわ」
「希望の岬の先にある海のことだな」
「そうね。父はそこから北へ行く海流に流されてきたの」
シレンツィオは頷いて言葉を促した。エムアティは話を続ける。
「流れ着いたのは今で言うルース王国の北の端。水軍士官学校があるところよ。当時はなんにもない砂浜だけの場所だったんだけどね。……そう、畑のない生活なんて想像できるかしら。最初はそこからだったの。私達の親世代は、畑がなかった。だから苦しんだわ。畑がないということは精霊魔法も使えないのよ」
「計算……というより、予定が成り立たない。という意味だろうか」
「そうね。明日がなかったの。今日を生き延びるのが精一杯。ときには笑っちゃうくらい何も採れないことがあったわ」
シレンツィオは想像する。要するに毎日が飢饉である。飢饉で食べるものと言えば救荒作物。救荒作物と言えば、蕎麦である。
「なるほど。それで蕎麦か」
「そうね。最初は蕎麦畑を作ったわ。母が薬草売だったから、自生する蕎麦を見分けることができたの」
「なるほど」
シレンツィオが眺めていると、エムアティの表情が急に険しくなった。
「そう、それだわ。私も小さいときは蕎麦を食べるたびに熱を出していたわ。舌が痺れて……」
「他の食材でもなかったろうか」
シレンツィオが尋ねると、エムアティは微笑んで頷いた。
「そうね。当時はそんな食べ物で溢れていたわ。それでも食べるしかなかったの。子供だけじゃなく、大人だって熱を出した。むしろ。だからこそ私達は強くなった、と今では思うわ」
エムアティは微笑んでいるが目は笑っていない。シレンツィオはその瞳の中に、塗炭の苦しみを見た気がした。
「苦しみを肯定するときはある。次の苦しみの予行練習になったときだ。エルフの先人の苦労は想像するに余りある」
「ありがとう。父母に替わってお礼を言うわ」
エムアティはそう言って、記憶の中に自分を置いた。その底から汲み出した記憶のかけらを言葉にしていく。
「本当に苦しかったのよね。でもそれがなければ、今の私達はない。そう信じなければ生きていけなかった。私達が劣等人ではなくなったのは、苦しい中で努力をしたからね」
「なるほど。努力か」
「そうよ。だからアガタくんもがんばりなさい?」
「心しよう。ところで今、子供たちが校長殿と同じめにあっているのだが、それは努力でどうにかなるのだろうか」
「ええ。どうにかなると思うわ。それまでに何人死ぬかは分からないけれど」
表情を変えずにそう言うエムアティに、シレンツィオが違和感を覚えていると、襟が少し揺れた。
”シレンツィオさん、この人エルフですよ”
”それは知っている”
”そうじゃなくて、動きというか考え方がものすごく秋津洲のエルフ様ぽいです。長く生きすぎて人の生死とかどうでもいいと思っているような、そんな感じです”
”ふむ。幽閉されて、やけになったというのはどうだ”
”そうかもしれません。いずれにしても危ない感じがします”
”そうか”
シレンツィオは、エムアティに尋ねた。
「なにか対策はないだろうか。俺は友人が死ぬのは見過ごせぬ」
「”さあ? ある日突然楽になったのよ。魔法も使えるようになった”」
シレンツィオが黙っていると、エムアティは急に眼の前の霧が晴れたような顔をした。皺のなくなった自分の手を見ている。
「”対策で思い出したわ。父母の世代の人たちが何かをやっていたのをおぼろげながら覚えている”」
「なんだろう。薬湯かなにかだろうか」
「”それが、何もしないのよ。苦しかったなあ”」
足をぶらぶらさせてエムアティは言った。子供のように。
「”話はそれだけ?”」
羽妖精のような声でエムアティは言った。音とかではない、もっと根源的な部分が同じ響きだった。今すぐ帰りたくなるような、強制力のこもった響き。
シレンツィオはそれを、表情一つ変えず無視した。
「もう少しだけいいだろうか。何もしないとおっしゃっているが、何かをやっていたとも言っている、できれば何かをやっていた方を思い出してほしい」
「”そうね……”」
エムアティは少し考えた。
「”父が漁を休んで山に行ったのよ。それから帰ってきて、私達は山に移り住んだ。他の土地なら食べられるものがあるかもしれないと、そういう考えだったのかも”」
周囲の柱から若芽が出て、枝を伸ばし、花を咲かせた。机の上に置いてあった壺の絵柄が特徴的な山の形を描いている。
シレンツィオは周囲に軽く目をやったあと、口を開いた。
「それが、<ここ>だろうか」
「”そう。ここ、ヘキトゥーラよ。もっと上の方に、最初の集落を作ったわ”」
「しかし、症状は軽くならなかった?」
「”そうなの。むしろ余計に悪くなった。同じ年代の子供が次々と死んだわ。次は大人。変異に耐えられた者だけが生き延びたわ”」
壁にいくつか踏みつけたような跡が刻まれる。シレンツィオはこれも無視した。
「北の方へ戻ったりはしなかったのだろうか」
「”できなかったわ。もうそんなに人数も残ってなかったし”」
「他に対策はなにかなかったか?」
「”母が料理を工夫をしていたわ。ああそう。そうだ”」
エムアティは下を向くと涙を落とした。
「”頑張ってはくれていたのよ。なんで私はそんなことすら忘れていたんだろう……”」
そのままエムアティは黙ってしまった。シレンツィオは頭を下げ、礼を言って立ち去っている。
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