第77話 あわや戦争

 ボーラは微笑むと、滞空しながら考えた。

 シレンツィオはそのさまを眺めながら言葉を考えている。

”それで、さっきありえないと否定したことはなんだ、教えてくれ、今はどんなことでも情報が欲しい”

”ちょっとややこしいんですが、ちゃんと説明するとですね。最初は子供だけがかかるというところが変だと思ったんです”

”ふむ。通常病魔は弱いものを狙う。どこもおかしくない気はするが”

”そうなんですけどね。んー。二乗三乗の法則というのがあってですね。それで不思議だなあと。ええとですね。私達羽妖精はおよそ人間やエルフの六分の一程度の大きさです。大きさは六分の一なんですが重量で言えば二一六分の一になります。その分致死量も減りますから、毒の効果は羽妖精にこそ最初に効果ありそうなんですよね”

”しかし実際には効果がでていない。なるほど。確かに変だな”

”はい。毒、という可能性は薄いかもしれません。と、ここまで考えたところで、病気の可能性に気づいたんです。病気だったら羽妖精やゴブリンは人間やオーク、エルフと構造が違いすぎるので病気が共通ではないので、体重だけでは判断できないなあと”

”なるほど。獣人やエルフだけにかかる病気という話もありえるか。そうなると人間である俺の知識ではどうにもならん可能性すらある”

”はい。弱ってるガットちゃんに毒見をさせるわけにもいけませんし”

”そうだな……”

 正直、あまり良くない状況である。

 シレンツィオのいつもの表情から何かを見つけたか、ボーラは補足を口にした。

”言い添えると、シレンツィオさんが病気を媒介した可能性は低いと思います。以前からあった症例ですし、なにより広がり方がシレンツィオさんを中心にしていません。濃厚接触している性悪エルフの発症はむしろ遅めなので……”

”それについては誤解していない。大丈夫だ”

 シレンツィオは背筋を伸ばしたまま、しばし考えた。

”病気が一番濃厚だとして、他の可能性としては魔法の効果はどうだ。舌が痺れる魔法とか”

”その可能性はないと思います。これだけの広範囲に効果のある魔法は存在しませんし、そもそも魔法ならば私が常時使用している魔法探知にひっかかります”

”そういうものがあるんだな”

”はい。もっとも北大陸のエルフはそういうものも忘れているみたいですけど”

”その言い方だと、初歩的な魔法のようだな”

”はい。初歩の初歩です。魔法を習得する第一歩でもあるので最初に習う魔法ですね”

”こちらのエルフが初歩の初歩を捨てる理由が分からんな”

”確かに。言われてみればそうですね。うーん。大規模自然破壊のせいで、私の目が偏見で曇っているかもしれません”

”今は偏見の出番ではない”

”そうですね。シレンツィオさんのそういうところが好きです”

 シレンツィオの母がエルフと戦って死んでいることをテレパスで読み取ったうえで、ボーラはそう言っている。

”話は戻るが、魔法習得する第一歩の魔法を捨てた理由はなんだろう”

”それ以外のもっと効率的な魔法習得手段を手に入れたんですかねぇ”

”そうかもしれん。そうでないかもしれん”

”私にも分かりません。授業で解説があったかもしれませんけど、最近授業そっちのけで蕎麦料理の研究してましたからねえ”

”過ぎたことは仕方がない”

”そうですね。羽妖精がよく使う言葉なんですけど、羽妖精以外が使ってるとものすごく無責任に聞こえますね?”

 もちろん羽妖精が使っても無責任であるが、シレンツィオはそれについては言及しなかった。

”気にするな”

”はい。ところでなんでそんなことを気にしたんですか?”

”俺にとってのエルフと言えば魔法なんだが。どうにもチグハグに思えてな”

”それはありますね。歪というかなんというか”

”まあ、今回の病気もどきには関係ないか。俺はどうも、答えを決めつけようとしているのかもしれん”

”どんな答えなんです?”

”遺跡だ”

”遺跡ですか”

”この症状が出る前と後ろでは変わったことと言えばこれが一番だと思う。俺が遺跡を破壊したことが引き金になっているんじゃないか”

”うーん”

”どうだ”

”多分違いと思います。心当たりがないんです。当然類似の例もありません。遺跡が壊れて子供たちが影響受けるなんて、ちょっと突飛すぎると思いますよ。これが知り合いが犠牲になってなかったら、鼻で笑い飛ばしているところです”

”そうか、関連は薄いか”

”はい。残念ながら。残念なのかな”

 ボーラはそういった後、なにかに思い当たったか、恐る恐るといった風にシレンツィオの顔を間近に見た。

”もしかして、シレンツィオさんにはなにか感じるんですか。あのゴーレムと遭遇した時に見せたような不思議な力で何かを感じたり?”

”そんなことはないんだが、時期の一致がな”

”それでいうと悪魔とかも範囲にはいりませんか”

”そうか。それもあったな。連中が子供だけに効果ある毒をばらまいたとは到底思えないが、調べるだけは調べるか”

”そうですね。それと、子供たちを麓に下ろしてみるのはどうですか? 病気や毒ではなかった場合、遺跡やら悪魔の出た地域からはなれることで改善するかも”

”それはいい考えだと思うが、実行はされないだろう”

”そうなんですね?”

”ああ。食中毒という断定に加えてこの蔓延だ。それが病気である可能性もある以上、これ以上の蔓延を阻止するために生徒や関係者は全部この地に止め置かれる可能性が高い。船ではよくある話だ。陸でも変わるまい”

”精霊魔法的に正しいとは思うんですが、貴族の子弟もたくさんいるんですよね。大丈夫なのかな”

”さてな。ともあれ、いくぞ。悪魔の魔法陣の場所だ。痕跡を見つけられるといいんだが”

”魔法陣近くの食べられそうな野草を試料として確保しましょう”

”そうするか”

 それでシレンツィオは急ぎ裏庭へ向かった。裏庭は普段ののんびりした雰囲気から一転、物々しい雰囲気に包まれている。

”兵士がたくさんいますね。こちらに強い警戒を抱いています”

”考えることは同じだったか”

 違った。シレンツィオはすぐに武装したエルフたちに囲まれてしまってる。

「シレンツィオ・アガタ。貴殿には外患誘致罪の疑いが掛かっている。大人しく従って貰いたい」

 兵士をまとめる騎士に言われて、シレンツィオが口を開こうとすると、そこに拳大の球が投げ込まれた。地面に着くや激しい音と煙を吹き出し回転を始める。

”煙幕ですね”

”そうだな”

「シレンツィオさん! 逃げて!」

 聞こえる声は、ピッセロか。

”長い時間はもたないと思います。どうします?”

”エルフの拷問にも興味はあるが、今俺は忙しい”

”ですよね。まあ、最悪性悪エルフとガットちゃんとマクアディくんだけ助けて脱出しますか”

”行き先は秋津洲か?”

”大軍師はとても歓迎してくれると思いますよ”

”そうか”

 ところがシレンツィオは動かずじっとしていた。見れば人間、獣人とエルフたちが互いに剣を抜いて戦おうとしている。シレンツィオは大きく息を吸うと、そんなことをしている場合ではないだろうと、一喝した。

 静かになった。流石に逮捕対象やら保護対象やらに怒られるとは誰も思ってなかったらしい。

 無事だったのは襟の中に隠れて耳を塞いでいたボーラだけである。ボーラは音声の大きさに震えたが、それだけだった。

”とんでもない大声ですね。シレンツィオさん”

”船の上で必要だからな”

 シレンツィオは口を開いた。

「今重要なのは子供たちの病状だろう。悪魔との関連性は調べたのか!」

 声を向けられたエルフの騎士が左右を見た。

「どうなんだ!」

「え、いえ。小官は貴殿を捕縛せよと……」

「ここの学校には大量の貴族の子弟もいるのだ。下手を打てばルース王国の未来に関わるぞ。その認識は王家にあるのだろうな!」

 大声で正論を話す大男は怖いものである。シレンツィオはまさにそれであった。兵士が互いに顔を見合わせている。

「ピッセロ、護衛ご苦労。とはいえ、今は引け。どういう主張があるにせよ、正式な手続きを踏め」

 密使と言えばどんな詮索をされるかわかったものではないので、シレンツィオはピッセロを護衛ということにした。

 名指しされたピッセロは苦い顔をしている。不満顔である。

「シレンツィオさまを逮捕しようとするようなやつらですよ!?」

「海洋国家である我がアルバが、なぜ内陸国と戦う必要がある。道理で考えろ」

”よく嘘を並び立てることができますね?”

”誰もが信じたい言葉を言うのも仕事だったからな”

”なるほど。今度は私が信じたい言葉を言うのがいいと思います。本音で”

 シレンツィオは思わず笑みを浮かべた。この笑みが、ルース王国とアルバの双方の兵に直撃した。心からの笑みが誤解を生んだのである。シレンツィオは敵にあらずと。

 シレンツィオはうっかり笑ってしまっただけだったが、起きた状況は最大限利用した。

「まず、この俺になんらかの疑いがあるのであれば、心を読めるものを連れてくれば良いではないか」

「いえ、それだとその、完全に罪人扱いになりますので……」

「重要なのは扱いではなく、心がどこにあるかだ。それと今は時間が敵だ。なんなり疑いがあるのなら手早くやってくれるほうがありがたい」

「そ、そこまで急ぐようなことですか。劣等人の方には馴染みがないかもしれませんが、今子供たちに流行っているのは古くからあるちょっとした食中毒でして」

”食堂を閉鎖すれば大丈夫と思っていたか。まあ本当にそうなんだが”

 シレンツィオはそう思いながら、全然別のことを言った。

「それだけでは説明がつかない部分がある。なるほど症状は既知の食中毒に近い。だがこの広がりは……すでにこのヘキトゥーラ全域に及んでいる。食中毒なら食事で広がるが、それだけでこの規模、広がりの速度を説明するのは難しいのではないか」

 シレンツィオの言葉は短く、その分威力があった。

「症状だけで断じるのは危険だ。俺はルース王国のためにしっかりとした調査をすべきと思う」

「シレンツィオさま、おかしいですよ。なんでそこまでエルフに肩入れするんですか」

「そ、それはルース王国としても気になる」

 ピッセロとエルフの騎士が交互に言った。言った後で、いつのまにか共同歩調を取ってるぞと思ったが、真剣そうなシレンツィオの顔を見ていると、そういう事はあとで考えようという気になった。

「わからないか」

 シレンツィオは優しく低い声を出した。

「俺は子供が好きだ」

 襟から羽妖精が飛び出したくてうずうずしているが、シレンツィオは無視した。

 シレンツィオの低い声に優しさが入ると、一部の女性はひどく反応する。

 実際、う、うわぁと顔を真っ赤にしてピッセロがつぶやいた。エルフの騎士は感極まった。

 それでエルフの騎士とピッセロをシレンツィオの側につけるという条件で、一旦停戦がなされた。

”子供が好きだといいますけど、じゃあ羽妖精はどうなんですか!”

”好きに決まっているだろう”

”じゃあ羽妖精と子供が好きだと言い直してください!”

”今度な”

”それなら私の名前呼びながら言ってください。ゆっくり、優しめで。できれば月の見える窓辺でお願いします”

”そうか”

”忘れたら毎日耳の穴にミミズ入れますから”

 シレンツィオは黙って東屋の魔法陣を見ている。かつて悪魔たちが転送されてきた魔法陣だった。

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