第75話 校長との話

 エムアティ校長は、微笑みを浮かべていた。シレンツィオは膝を折ると手の甲に口付けしようとして襟に邪魔されている。

「一つ二つお尋ねしたいことがあって参った」

「ちょうどよかった。私もよ」

”シレンツィオさんに用なんて変な人ですね”

”授業にでろと言う話だろう”

”ああ。うん。そうですね……”

「今回の食中毒とされる件なのだが……」

「このあたりで昔はよく見られた食中毒ね。なぜ今になって再流行したのかはわからない」

”シレンツィオさん、食中毒って言ってますよ”

”どういう話だ?”

 シレンツィオは、表情を変えないまま口を開いた。

「そうなのか。貴族の食事でも同じような症状がある、と聞いている」

「そうね」

 エムアティはあっさり認めた。シレンツィオが続きを促すと、エムアティは説明を始めた。

「ルース王国の前には帝国があったの。授業では四年生からね」

「なるほど。古代帝国のことだろうか」

「人間の? いいえ。エルフのエルフによる帝国よ」

 エルフのエルフによる帝国は、ややこしいことに現代では人間の人間による帝国と訳されている。略称は人間帝国である。これは北大陸のエルフたちの自称が人間だったことによる。彼らにとっては自分たちこそが唯一正当な人間であり、その他は人間扱いされていなかった。

 その帝国を打ち立てたエルフたちは、貴族とそれ以外を、わずか一文で持って規定したとされる。すなわち、魔法を使えるものを貴族とする。である。帝国が緩やかに滅んでルース王国他に分裂したあとも、この古法は北大陸のエルフを縛り続けた。

「その帝国と食中毒にどんな関係があるのだろう」

「迷信があったの。一定以上の魔法の力があると、この食中毒にはかからないと」

「それで?」

「その迷信はそのまま選別の儀式になったわ。貴族と貴族の格付けに使われたの。今もやられているわ」

「俺は魔力がないが、食中毒にかからなかったんだが」

「だから言ったでしょう。迷信だと」

 シレンツィオすら眉をひそめるとは、よほど酷いことを示す言葉なのだが、このときがまさにそうであった。

「子供には危険なものだと思うのだが……」

「シレンツィオくんの言う通りよ。本当にもう、ひどい悪習だわ。どうしようもない迷信に惑わされて、子供たちが何人も死んでいった。現在進行系で今も続いているわ。魔法学では否定されているのだけど、貴族同士の食事会では必ずといっていいほど、この食中毒が使われているわね」

 想像を絶する話であった。

”だからクソなんですよ。北大陸のエルフは”

 ボーラはテレパスでそう送った。

 シレンツィオは表情を変えずに口を開いている

「迷信であることは知られているんだろうか」

「ええ。ただそれを信じるかどうかはその人次第ってわけ。貴族の大部分は信じているし、残る一部は信じていないけどつきあっているわ」

「魔法があるということは、いいことばかりでもないらしい」

「魔法とも関係なさそうなのよね。シレンツィオくんの言う通り、魔法がまったく使えなくても食中毒にはかからないんだから」

「なるほど。色々釈然としないが、食中毒なのは分かった。治療法と回避法が知りたい」

「ないのよ」

 シレンツィオはぎょろりと目を向けた。エムアティは、私自身も到底納得しかねるという顔で口を開いている。

「だから、ないの。どこかの貴族が秘密裏に解毒剤を作っている可能性もあるけど、そういうものを持っているというだけで家に傷がついてしまうから」

「大勢が苦しんでいるが」

「そうね。でも対応する方法がない。やれて学校を閉鎖するくらいかも」

 校長であるエムアティは、そう言って苦い顔をしている。すでに出世の道もなく、ただ引退するまでその職を全うするだけであったが、それでも多少思うところがあったのだろう。その顔は悲痛であった。あるいは純粋に子供たちのことを考えていたのかもしれぬ。

 話がこれで終わってしまった。シレンツィオは苦い気分になりながら、頭をさげている。

「大変参考になった」

「エルフがバカのように見えているんでしょう? そうなのよ。いいところもたくさんあるけれど、この件についてはどうしようもなく愚かなのよ」

「なるほど。それで、俺に用とはなんだろう」

「ちょっと荷物を預かって欲しいの」

「荷物?」

「ええ。あなたにはガラクタでしかないのだけど」

 シレンツィオはいくつかの書物の入った袋を預かっている。

「魔法の本かなにかだろうか」

「日記よ。私のね。私にとっては宝物だけど、他人には意味がない。読んでもいいけれどなんの価値もないわ」

「そうなのか」」

「ええ。私が受け取りに来るまで預かっていて。誰にも言っちゃだめですよ」

「承知した。必ず預かっておこう。俺が死んでも俺の意思を継いだ誰かが約束を果たす」

 エムアティは少女のように笑っている。

「あらあら、深刻そうに言っているけれど、多分数日。長くても一月くらいよ」

「分かった」

 エムアティは微笑むと、どこか寂しそうに息をついた。

 預かった荷物を持って歩いていると、心配そうに襟が揺れた。

”あんなに北大陸のエルフが愚かだとは思いませんでした! まったくもう! シレンツィオさんが傷ついたらどうするんですか!!”

襟から細い手が出てきてシレンツィオの頬に触れている。

”シレンツィオさん……”

”食中毒なら、まだやりようはあるな。まあ、そのうち収まるようなものかもしれないが”

 細い手が、シレンツィオの頬を何度も叩いた。もっとも小さいので痛そうには見えない。

”それでこそですよ! 頑張ってガットちゃん他を救いましょう”

”そうしよう”

 気を取り直してシレンツィオは食中毒と戦い始める。

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