第74話 急変

 ところで材料を豚肉にしたのは、安いからである。ここで言う安いとは入手のしやすさを言う。価格の安さと入手のしやすさはこの時代、ほぼ同じ意味であった。

 わかりやすく言えば、潰す家畜がなければ購入することもままならないのである。牛は基本農業などに使い、乳をとり、最後の方向として食肉になる一方、豚は食肉専用であったから、この時点で入手のしやすさには歴然とした差がついていた。

 シレンツィオは、考える。

 牛ならどうかと興味はあるのだが、なかなかその機会に巡り会わないでいる。

 そもそも実験的に料理をするくらいなら確立された調理法でうまいものを食べた方がいいかもしれない。

”男前の顔で、時々割とどうでもいいことを考えてますよね。シレンツィオさん”

”人間なんてそんなものだ”

”そこを悪びれもせず、格好をつけもしないシレンツィオさんが好きです”

 シレンツィオはつい、微笑んだ。顔の近くでボーラが滞空している。

”恋が多そうな甘い評価だな”

”知ってました? 私はシレンツィオさん大好きなんです”

”そうか”

 そう考えたシレンツィオが太い腕を組んで次に思ったのは、牛と醤油をどう組み合わせるかだった。ボーラは半眼になったあと、えいえいと頬をつついた。

 ところで豚の醤油煮のほうは、まったくといっていいほど受けなかった。その日の夕方のこと、夕食として出した豚の醤油煮をテティスやガットは食べることができなかったのである。

「舌が痺れます」

 涙目のテティスに言われてシレンツィオはあわてている。

「どういうことだ?」

 心配そうに見ていたボーラがテレパスを飛ばしてきた。

”同じ豚肉はその前の日も出してましたよね”

”ああ”

”寒いから腐る可能性も低いですし、そうなるとネギ、ですかね”

”山菜と同じか……”

”やっぱり山に毒があるんですかねえ”

”アスパラガスや火炎草は大丈夫だったのが悩ましい”

”あれも同じ程度には洗ってましたよね。表面についたものが原因とかではないというわけですよね”

”中に由来がある?”

”おそらくは。そうなると毒が最有力です”

 急いで作った別の料理を出して、シレンツィオは深い悩みを抱えることになった。

 良いと駄目の違いが分からない。植物の種類にも関係がないようである。



(6)


 数日もせぬうちに、事態は急変した。あるいは、悪化の一途をたどり始めた。食堂に出る全ての食事で舌が痺れると子供たちが訴えだしたのである。下級生の大部分がこの症状を訴えた。

 終いには熱を出してしまう子まで出始めている。その中にはテティスがおり、ガットもいる。

”もっと貴族の料理に慣れておけばよかったですね”

 元気をなくして喋ることもなくなったテティスが、テレパスでそんなことを伝えてきている。シレンツィオはそうかと言った跡、横になっているテティスとガットの頭を撫でた。

「お前たちが食えるものを探そう」

 事態は急であり、また規模が大きいため、食べ物の好き嫌いではすまされなくなった。

 真の問題はその後である。シレンツィオとは別に幼年学校と、その管轄を行うルース王国陸軍が動き出したのである。

 彼らがやったことはこの件を食中毒と断じることであり、その結果として急遽食堂は閉鎖されることになった。

「まずいな」

 シレンツィオが口に出すほどであるから、どれだけ深刻かおわかりであろう。普段なら黙っているか、せいぜいボーラとテレパスでやり取りをしている程度である。

 ボーラは襟から顔を出すと、不思議そうな顔をした。

”そんなにまずいですか? 食中毒という話なら、別におかしくもないし、間違ってもいないように思えますけど”

”色々まずいことはあるが、一番まずいのは食中毒ときめて掛かっていることだ。違った時に全部の対応が後手に回る”

”なるほど……シレンツィオさんは食中毒でないと思っているわけですね?”

”貴族や王族の食べた料理と同じ症状だ。もしそれが毒だったら毒見役は仕事をしていないことになる”

”なるほど。それはそうですね。んー。じゃあ、これは一体なんなんです?”

”分からん”

”なるほど。えーと”

 ボーラはシレンツィオの周りを飛び回りながら考えた。

”毒じゃないのに食中毒と認定されちゃったわけですか?”

”そうなるな”

”冤罪じゃないですか”

”それだけで済めばいいんだが”

”えー。他にもなにかあるということですか?”

”食中毒じゃなかった場合、対応が根本から異なる可能性がある”

”わぁ。大問題ですね。んー”

”なにか思ったことはあるか? 今は何でも情報が欲しい”

”お役に立てるかは分かりませんけどね。ルース王国の陸軍には貴族がたくさんいますよね”

”そうだな”

”貴族料理の特徴を貴族が間違えるなんておかしくありません?”

 シレンツィオはしばらく考えた。

”そうだな”

”食中毒、というのは建前なのかもしれませんね”

 シレンツィオには珍しく、かすかに表情に出るほど嫌そうな顔をした。

”だとすれば政治だな。ここでも政治か”

”陸軍は政治をするものだそうです”

”俺は船乗りだ”

 とはいえここは妖精の国で、さらには海の上ですらなかった。シレンツィオが渋い顔をしている間にも事態が動いていると考えるほうが自然である。

”政治の事は分からんが、エルフの国の政治に至っては全く見当もつかない。校長に尋ねてみるか”

”シレンツィオさん、なにげにあのおばあちゃん大好きですよね?”

”年上の女性には誰しも憧れはあるものだ”

”幼女趣味だったんじゃないんですか”

”そんな趣味はないが、まあ、趣味はいくつあってもいいだろう”

”浮気は禁止です”

 シレンツィオはそれには何も答えず、ボーラに百回ほど同じことを言わせている。浮気禁止と連呼するうちにボーラが泣きそうになったのでシレンツィオは優しく襟の中に入れてやっている。

”起きてもいないことを騒いでどうする”

”起きそうだから言ってるんじゃないですかやーだー!”

 そうこうするうちにたどり着いたのは校長の部屋である。声をかけて入るとそこには苦い顔をして考え込むエムアティ校長の姿があった。

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