第72話 料理研究

 こうしてシレンツィオは大量の醤油に、蕎麦粉消費するためにまた新しい料理を研究する。

 遺跡を壊して回るのも手に止めての、厨房にこもって数日の試行錯である。当然授業そっちのけであった。この行動がルース王国やアルバ国には大きな誤解を与えることになる。

 最初にシレンツィオが手を着けたのは汁物の改良であった。

 何度かの失敗ののち、シレンツィオは一つの結論に達している。

”結局、出汁、というものが、醤油には欠かせないのだな”

”だから言ったじゃないですか”

 非難がましい目でボーラは言う。シレンツィオは腕を組んだ。

”そうなのだがな。グァビアの調理法になかったので何か理由があると思った”

 一緒になって腕を組むボーラ。もちろん空中を飛んでいる。

”うーん。そうだ、それこそシレンツィオさんの推理が正しかった、というのはどうでしょう”

”どういうことだ?”

”醤油は魚醤の代替品ではないかという推理です”

”なるほど。元々は魚醤を使った汁物の調理法、か”

 シレンツィオは頭の中で味を組み立てた。

”確かにな。ボーラの言う通りかもしれん。魚醤が手元にないので確認はできないが、全く同じ作り方でも、それなら食えたものになりそうだ”

”でもそうすると、やっぱり北大陸のエルフは海から来たことになりますね”

”そうなるな。醤油汁の料理法から考えれば、まず間違いないと言っていいだろう”

”もしかしたら秋津洲からここまで移住してきたのかもしれませんね”

”その可能性は高いな”

 シレンツィオの言葉を聞いて、ボーラはその顔をまじまじと眺めた。

”言い切りますねえ。なんでそう言えるんですか?”

”秋津洲の北の海には北方へ向かう大海流がある。その終点はこのあたりのはずだと。それと、それこそ醤油だ。違う地域で同じ物が再発明されたと思うよりも、もとは一つから枝分かれしたと考える方が普通だろう”

 明快な答えに対してボーラは何か悔しかったのか、不意に話題を変えた。

”そうですね。ところでシレンツィオさん、同じ理屈で言うと人間も元は一カ所から生まれたとか思いません?”

 ちなみにこの考えはこの時代、人間でもエルフでも禁忌や異端とされる考えである。この時代では人間は世界中に同時発生したと教えられていた。

 シレンツィオはあっさり頷いている。

”十分にあり得る話だ。神の怒りに触れて言葉がばらばらになったというおとぎ話も、ボーラ風に言えば昔話である可能性が捨てきれない”

 ボーラは肩を落とした。大事なことを教えたのに、なんの反応もなかった風。

”まったく賢い人ですね。シレンツィオさん、学者かなにかになれば良かったのに”

”俺の知る学者は料理をしない。羽妖精を連れて歩くこともない”

”今がいいってことですよね”

”そうなるな”

”絶対私のこと好きですよね。シレンツィオさん。誰にも言わないので私に教えてください。それで私は、色々あきらめがつきますから”

”どんなあきらめだ”

”イントラシアに連れて行くとか、世界の行く末とか”

”世界の行く末とは、また大げさな話だな”


 フリコの伝授のあと、シレンツィオが寮へと帰ろうとしていると、テティスがやってきて両手を広げた。あまり淑女と言えない行為なのだが、シレンツィオはたしなめることもなく、テティスを抱き上げている。襟が激しくカンフーしているが、テティスもシレンツィオも、無視した。

 シレンツィオの顔を見ながら、テティスはテレパスを飛ばした。

”おじさま、なにかをしましたか”

”蕎麦のレシピを教えていた”

”えーと、そうではなく”

 要領を得ない話だなとシレンツィオが思っていると、襟に目が生えた。ボーラだった。

”そこの性悪エルフが言いたいのは、シレンツィオさんが何者かに狙われているってことです”

”そうか”

”興味を失わないでください。一部は暗殺すらも視野に入れているようです。あちらこちらで物騒な思考を読み取りました”

 そうテティスに伝えられても、シレンツィオは眉一つ動かさない。本当に興味がないのだった。

 テティスは眉をひそめる。

”すごい胆力だとは思いますけど……”

”シレンツィオさんのものはそんなものじゃないですよ。シレンツィオさんは捨鉢なんです。いつだって死んでもいいくらいに思っています”

”そこまでは思ってないが”

 シレンツィオの思考は、ボーラとテティスに無視された。

”羽妖精はもっと警戒を厳重にしてください”

”してますー”

”この間、私達が朝の挨拶をしにいった時、寝ていたでしょう”

”あれは眠たかったんです! 羽妖精はホワイト種族なんです! 一日労働は三時間まで、週休六日!”

”おじさまに何かあったらどうするのですか”

”シレンツィオさんはテレパスを使える私たちより、ずっと警戒距離が長いんです。実際部屋に突撃してきたとき、シレンツィオさんは待ち構えていたでしょ?”

”それはそうかもしれませんが、万が一のことがあるでしょう”

”その時は本人から教えてもらいますからいいんです”

 シレンツィオは二妖精が俺の暗殺のことを気にしているのかと思ったが、特に何も言わなかった。

”それよりも酒だ”

”お酒、ですか”

”ああ、醤油の可能性を思うに、酒がいる”

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る